読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

アフリカで最も血にまみれた独裁者を描く、「ラストキング・オブ・スコットランド」(英/2006)

2007-10-18 05:46:14 | 映画;洋画
原題:THE LAST KING OF SCOTLAND
監督:ケヴィン・マクドナルド
原作:ジャイルズ・フォーデン「スコットランドの黒い王様」(The Last King of Scotland/1998)
脚本:ジェレミー・ブルック、ピーター・モーガン
音楽:アレックス・ヘッフェス
撮影:アンソニー・ドッド・マントル
出演:フォレスト・ウィッテカー、ジェームズ・マカヴォイ、ケリー・ワシントン、ジリアン・アンダーソン、サイモン・マクバーニー、デヴィッド・オイェロウォ

「医大を卒業したスコットランド人青年ニコラス・ギャリガン(ジェームズ・マカヴォイ)は、冒険心に動かされ国を出ることを決意する。国情をよく知らないままアフリカ東部のウガンダに渡ると、軍によるクーデターでイディ・アミン(フォレスト・ウィテカー)が大統領になったところだった」。

「たまたまアミンの怪我を治した縁で主治医へと請われると、そのカリスマ性を目にしたニコラスは任地の医療設備の整わない村を放り出し、首都カンパラの豪勢な大統領官邸へと出向いてしまう」。

「アミンに気に入られ右腕となったニコラスだが、前政権を支持する反対派勢力の攻勢に脅えるアミンが大規模な粛清を行っていることを知る。ニコラスは怖くなってアミンのもとを離れようとするが、パスポートを取り上げられ国外への脱出ルートを閉ざされてしまう……」。(ウィキペディア)

アミン大統領といえば、アントニオ猪木さんとの異種格闘技戦の計画が浮上したことがありましたね。結局は、反体制派クーデターの影響でお流れになりましたが、アミンが50代半ばでこの猪木戦を承諾したということが凄い話です。

また、さだまさしさんは彼の名前の響きが面白いと思い『パンプキン・パイとシナモン・ティー』(1979年 アルバム『夢供養』収録)に出てくる喫茶店の名前を「安眠(あみん)」と名づけ、さらに、さだまさしファンだった岡村孝子は、この名前を取って自らのユニット名にした、それが「あみん」であるという話もなにか凄い。

イディ・アミン・ダダ・オウメ(Idi Amin Dada Oumee, 1923年?- 2003年8月16日)は「ウガンダの軍人出身の元大統領で独裁者。ムスリム(イスラム教徒)。身長2mを超す巨漢で、アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンになったこともある」。

「1923年に出生したと言われるが、1925年生まれとの説もある。ウガンダ北西端に住むカクワ族出身。小学校を卒業後、イギリス植民地軍に炊事係として雇われた。その体格を生かし部隊内の体育大会で活躍、衆目を浴びる。ボクシングではヘビー級チャンピオンになったほか、白人ばかりのウガンダラグビーチーム唯一の黒人選手として活躍し、植民地軍中尉にまで昇進する」。

「軍参謀総長だった1971年1月に、クーデターでオボテ政権を打倒して政権を掌握。アドルフ・ヒトラーを尊敬し、1970年代のウガンダに独裁政治を敷いた。反体制派の国民約30万人(40万人説もあり)を虐殺し、『アフリカで最も血にまみれた独裁者』と称された。『人食い大統領』というおどろおどろしいニックネームもつけられたが、実際のアミンは鶏肉しか口にしたことがなかったといわれている」。

「1978年、隣国タンザニアに侵攻するも失敗、逆にタンザニア軍に首都のカンパラまで攻め込まれた。1979年、反体制派のウガンダ民族解放戦線に攻撃されて失脚。リビア経由でサウジアラビアへ亡命した。2003年8月16日、亡命先のサウジアラビア、ジッダの病院で、多臓器不全による合併症で死去」。

私がウィテカーを知ったのは「クライング・ゲーム」(1992)でした。また、1988年のクリント・イーストウッド監督作品「バード Bird」では、チャーリー・パーカーを演じていますね。

フォレスト・ウィテカー(Forest Steven Whitaker、1961年7月15日-)は、「アメリカ合衆国の俳優。テキサス州で生まれ、カリフォルニア州ロサンゼルスで育つ。フットボールの奨学金を得て進学するも、オペラ歌手を目指しクラシック音楽と演劇を学ぶために南カリフォルニア大学に編入」。

「舞台とテレビドラマを経て1982年に映画デビュー。『プラトーン』や『クライング・ゲーム』、『スモーク』や『グッドモーニング, ベトナム』などの映画で印象的な演技を披露し俳優として着実に評価を高めていく一方で複数の映画で監督や脚本、製作を担当した」。

「頼りなく気弱な印象を受けるが、演技に関しては確かな実力を持っており、1988年の『バード』でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞し、また2006年の『ラスト・キング・オブ・スコットランド』ではゴールデングローブ賞 主演男優賞を初め各映画賞の主演男優賞を独占。第79回アカデミー賞では主演男優賞を受賞した」。

<フォレスト・ウィテカー - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%AB%E3%83%BC

「アミンの白い鼠」といわれた医師ニコラス・ギャリガン役は実在した人物かどうかわかりませんが、演じたジェームズ・マカヴォイが実際、スコットランド出身であることが面白いところです。

ジェームズ・マカヴォイ(James McAvoy、本名:James Andrew McAvoy、1979年4月21日-)は、「イギリスの俳優。スコットランド・グラスゴー出身。7歳の時に両親が離婚し、祖父母のもとで育つ」。

「ロイヤル・スコティッシュ・アカデミーで演技を学び、1995年にデビュー。主にイギリスのテレビで活躍してきた。2005年の『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』にて英国アカデミー賞ライジング・スター賞を受賞。2006年10月、コメディードラマで共演した女優のアンヌ=マリー・ダフ(Anne-Marie Duff)と結婚。セルティックFCのファンである」。

<ジェームズ・マカヴォイ - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4

最初誰だかわかりませんでした。彼女に限らず、俳優にとって人気シリーズに出演することのメリット、デメリットを考えると、難しい判断がいると思いますが、この壁を乗り越えてほしい女優さんの一人です。

ジリアン・アンダーソン(Gillian Anderson、1968年8月9日-)は、「アメリカ合衆国の女優。日本においては、XファイルのFBI捜査官ダナ・スカリー(Dana Scully)の演者として有名である。イギリス系・アイルランド系の両親のもと、3人兄弟のうちの1人として、イリノイ州の都市シカゴに生まれる。出生直後に家族でプエルトリコに移り、15ヶ月間の滞在ののちに英国はロンドンに転住。11歳のときにミシガン州南西部の都市グランド・ラピッズに移る」。

「自らの英国系としての背景とアイルランド訛りの英語もあり、アメリカ中西部という土地における疎外感と同時にこの土地に対する反骨心を旺盛に抱いた、強固な意志と反抗的な態度を持った少女であったという。アイルランド訛りの英語を度々からかわれた事もあり、次第に中西部方言を身につけた。若い頃はまた、1980年代の始め頃には鼻ピアスを開けたり様々な色に染髪をするなどしていたという」。(以上、ウィキペディア)


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