読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

「アビエイター」(アメリカ/2004年)、ハワード・ヒューズと偉大なる三人の女優たち

2007-07-28 03:41:29 | 映画;洋画
原題:THE AVIATOR
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジョン・ローガン
撮影:ロバート・リチャードソン
音楽:ハワード・ショア
出演:レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ブランシェット、ケイト・ベッキンセイル、ジュード・ロウ、アレック・ボールドウィン、ジョン・C・ライリー、グウェン・ステファニー、ダニー・ヒューストン、ウィレム・デフォー

実在の大富豪、実業家であるハワード・ヒューズの波乱に富んだ半生を描いた。スコセッシ監督の作品としては、前作『ギャング・オブ・ニューヨーク』に引き続いてのレオナルド・ディカプリオ主演作品。ディカプリオは製作総指揮としても参加。

「アビエイター」は飛行士、航空士、航空機操縦士の意味、今で言うパイロット。第一次世界大戦のパイロット達を描いた作品である『地獄の天使/ Hell's Angels』は、87機の第一次世界大戦当時の戦闘機や爆撃機を購入し実際に飛行させ撮影するなど、当時としては破格の100万ドルを超える製作費をかけた超大作で、公開当時大ヒットしたものの、結局その製作費を回収することは出来なかったそうです。映画の中ではトーキー化するため200万ドルに跳ね上がったことが伝えられます。


それにしても、この「スプルース製のガチョウ(スプルース・グース)」とも呼ばれた巨大な飛行艇「H-4 ハーキュリーズ」はすごいですね。「ハーキュリーズ」はギリシア神話の英雄であるヘラクレスの英語読みだそうです。現在でもオレゴン州マクミンビルにあるエバーグリーン航空博物館で展示されているそうですよ。

ハワード・ヒューズのことは、この映画で初めて知りました。こんな人がいたんですね。作品内では、「リスクを厭わない莫大な投資と破天荒なまでのビジネス手法、正に命懸けの成功を収めていく影で彼自身は心を病み、強迫性障害に苦しめられ、全裸で試写室にこもり、乱心(牛乳瓶に排泄したり、映画を見て苦しむなど)する姿が描かれて」いますが、数々の女優との華やかな恋愛や失恋はフィクションだそうです。

それにしてもディカプリオ、更に一皮剥けていい男ですが、「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002)、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002)「、アビエイター」(2004)、「ディパーテッド」(2006)、「ブラッド・ダイヤモンド」(2006)といい作品に主演していますが、オスカーに恵まれませんね。まだ幼さが残るからでしょうか?スコセッシ監督はディカプリオを使い続けていますが、監督の作品はやはりイタリア系アメリカ人が主役を演じることが多いですね。


ハワード・ヒューズ(Howard Robard Hughes, Jr., 1905年12月24日 - 1976年4月5日)は「アメリカの実業家・映画製作者・飛行家で、20世紀を代表する大富豪として知られ、『資本主義の権化』、『地球上の富の半分を持つ男』と言われた。テキサスのヒューストンで、名家出身の母エイリーン・ガノ・ヒューズとハーバード大学法学部出(中退)の父、ハワード・ロバード・ヒューズ・シニア(ビッグ・ハワード)の間に生まれる」。

「父のビッグ・ハワードは、弁護士資格は持っていたものの、地道に働くのが性に合わず一攫千金を夢見て鉱物の掘削に取り組む。浮き沈みの激しい生活であったがハワードが3歳のとき、ドリルビットの特許と共にシャープ・ヒューズ・ツール社を設立(後のヒューズ・ツール社)し、同社が製造したビットは、それまでのものとは桁違いの掘削能力を発揮しヒューズ家に大金をもたらした」。

「ハワードを溺愛していた父親の不在、父方の遺伝による難聴もあいまって、内向的な性格となる。学業にはほとんど興味を示さず、飛行機・レーシングカー・ハム無線機に魅力を感じる。1922年、ヒューズが16歳のとき母エイリーンが病死、2年後に父ビッグ・ハワードが急死する。孤児となるが、同時に遺産として871,000ドルと評価されたヒューズ・ツール社の株 (75%) と当時、ほとんどの石油・ガスの掘削機が使用していたドリルビットの特許を手に入れる」。

俳優陣についてはビッグ・ネームばかりですので、ここではハワード・ヒューズに絡む三人の実在の女優さんをウィペディアからチェックしておきましょう。


キャサリン・ヘプバーン(Katharine Hepburn,1907年5月12日 - 2003年6月29日)は、「アメリカ合衆国コネチカット州ハートフォード出身の女優である。米国映画史上最も特筆すべき女優の一人である。2007年現在、オスカーを4回受賞したただ一人の俳優。ノミネート数は12回に上る。ただし、そのため本人がアカデミー賞授賞式に出かけたことは1度もなかった(別の人のプレゼンターとして1度だけ授賞式に出かけたことがある)」。

「裕福な医者の娘で、幼い頃から演じることに熱中していた。大学では心理学を学んでいたが演劇も続け、卒業後に劇団に参加。舞台を経て1932年に映画デビューした。決して正統派美人女優ではないが、飾らない性格と知的な雰囲気、確かな演技力で世界中から愛された。身長が170センチあり、当時としては大柄な女優で、小柄な男優が相手役を尻込みしたという」。

「『フィラデルフィア物語』などのジョージ・キューカーと組んだコメディも有名である。一方、気が強い性格で、そりの合わなかったジョゼフ・L・マンキウィッツ監督に、『去年の夏、突然に』の映画撮影終了後につばを吐きかけたという逸話がある。米国映画協会(AFI)が1999年6月に選出した、米国で「最も偉大なる女優50名」の中で、第1位であった」。

「9作品で共演したスペンサー・トレイシーとは名コンビだった。初めて撮影所で顔を合わせた際、キャサリンが『私より背が低いみたいねと漏らすと、スペンサーが「心配ない。僕の身長に合わせて君を切ってしまうから』と答えたという。(彼は165センチ程度)。ハリウッドの俳優がハンサムだが女性的すぎると物足りなさを感じていたキャサリンは、この荒々しい返答に逆に惹かれた。彼に家族がいたために二人は結婚しなかったが、パートナー同士だった。彼女は自宅をニューヨークに持ち、ハリウッドで仕事の時はスペンサーの家に泊まった。スペンサーの死を見取ったのもキャサリンだった。しかし、葬儀には出席しなかった。理由は、『(スペンサーの妻の)ルイーズに申し訳ないから』だった」。


エヴァ・ガ-ドナー(Ava Gardner,1922年12月24日 - 1990年1月25日)は「アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の女優である。貧しい農家の7人兄弟の末っ子に生まれる。姉の夫が写真家であり、彼が撮ったエヴァの写真がきっかけで映画界入りした。デビューしたものの、強い南部訛りが災いし、何年も目だったヒット作がなく、役者としては低迷していた。仕事といえば、ピンナップの撮影の方が多かった」。

「しかし人気俳優ミッキー・ルーニーと結婚したことで名前は知られるようになった。しかしこの結婚は長続きせず、1年半で離婚。その後ミュージシャンのアーティ・ショーと結婚するも1年で離婚。アーティーとの間に初めての子供を身ごもるも、所属映画会社社長の『子持ちの女優はスターになれない』との一言で、中絶し、『夫より社長の言うことを聞くなんて!』と彼を嘆かせた」。

「身長が170センチ近くあり、顔立ちがエキゾチックであるため、ブロンドの女優がもてはやされるハリウッドでは異色の存在だった。既定路線の役柄でなく、ジプシー役、アフリカ系アメリカ人の役(当時アフリカ系アメリカ人の俳優は、人種差別のため用いられることが少なかった)などが多かった。早くから、ファムファタル適材の女優として目立っていた。米国映画協会(AFI)が1999年6月に選出した、米国で『最も偉大なる女優50名』の中で、第25位であった」。

「フランク・シナトラとは、交際時からスキャンダルとなった。ティーン向けの歌手から出発し、幼なじみのナンシーと結婚して三児の父になっていた彼は、当時歌手として低迷し、俳優としてもくすぶっていた。エヴァと交際するようになっても、カトリックであるシナトラ夫人が離婚を承諾せず、いらだったエヴァは前夫アーティー・ショーに会ったりしていた。そのことに怒ったシナトラが、エヴァと電話で会話中に、彼女に聞こえるようにピストルを壁に向けて発射するという事件を起こした。1951年に結婚。1957年に離婚している」。


ジーン・ハーロウ(Jean Harlow、1911年3月3日 - 1937年6月7日)は、「アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティ出身の女優である。 本名:Herlean Carpentier。1930年代のセックスシンボルとして活躍した。16歳で駆け落ちし、ロサンゼルスに移り住んだ。そこで映画のエキストラの仕事をするようになった。その結婚は長続きせず、離婚後さらに大きな役を得ようと努力するようになった」。

「1930年、彼女はチャンスを掴む。ハワード・ヒューズ監督作品の『地獄の天使』の製作スタッフは、ヒロインの代役を探していた。ヒロインはすでにあるスウェーデン女優に決まっていたが、彼女の訛りがひどかったために早急に代役が必要だったのだ。そんな時、たまたまスタジオにいた彼女が抜擢され、妖艶な彼女は一躍スターとなる。プラチナ・ブロンドというニックネームを与えられ、悪女や妖婦役で人気を得た。また、クラーク・ゲイブルとの共演作も多い」。

「アルコールの問題を抱えたり、2番目の夫が結婚後2ヶ月でピストル自殺するなどのスキャンダルも多かった。1937年に腎臓を煩い倒れたが、クリスチャン・サイエンスを信奉していた彼女の母親は医者に見せることを拒み、そのまま26歳の若さで亡くなった。米国映画協会(AFI)が1999年6月に選出した、米国で『最も偉大なる女優50名』の中で、第22位であった」。

この三人の女優さんたちは、それぞれが伝記映画化されてもおかしくはない人たちばかりです。さて本作ではディカプリオが製作総指揮を務めているそうですが、製作総指揮はどういう仕事なのか疑問に思って調べてみました。映画製作者ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーのサイトから引用します。

「製作者には2通りあり、1つは自分で資金から全てを工面する製作者。もう1つは、資金面はスタジオに任せる『ディペンデント・プロデューサー』と呼ばれるタイプ。後者は、俳優のギャラ交渉もスタジオが進める。1000万ドルのギャラを支払うならば、少なくとも公開後最初の1週間で同額をもうけさせてくれることが条件になる」。

「監督というのは一応現場のみの責任者だが、最終決定権を持っているのは製作者。当然、監督より地位は上。だが、映画がヒットしなかったら、それは監督の責任になるので、ある意味有利な位置でもある」。

そして、「製作総指揮(エクゼクティブ・プロデューサー)。「例が『スティーブン・スピルバーグ製作総指揮』。こちらは製作にはほとんど関与しない。これは知名度の高い人物や会社のヘッドの名前が多いが、単に名前だけでありその映画が売れるよう、本人が映画製作に関わっているかのように見せているだけである」。意外に淡白なお答えでした。

「ちなみにアカデミー賞などにある、『作品賞』というのは誰に与えられるのかというと、監督ではなく製作者に与えられるのである。これは製作者こそが映画を作った人物だと考えられているからである。日本ではまだ、どの映画を見るかを出演俳優で決める人が多い。多少『映画通』になると監督で選ぶようになるようだが、製作者で決める人は少ない。本当は製作者が映画の質を左右する位置にいるのである」。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿