読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

理想と孤独、そして「中田英寿 誇り」(小松成美著/2007)

2010-04-05 06:29:45 | Weblog
<目次>
第1章 引退告知(引退告知、マンチェスターでの取材)
第2章 決戦の前奏曲(Jヴィレッジ合宿、引き分けたドイツ戦、崩壊をもたらしたマルタ戦、決戦三日前)
第3章 ワールドカップ・ドイツ大会一次リーグ二敗一分け(オーストラリア戦、クロアチア戦、二試合を終えてのインタビュー、欧州での八年、ブラジル戦、ラストインタビュー)


来る6月11日から7月11日まで南アフリカで開催される第19回FIFAワールドカップ。日本代表は、1998年の第16回フランス大会で初出場し、日本・韓国大会、ドイツ大会と三大会連続出場。通算戦績は10試合、2勝2分け6敗。得点8点、失点14点。


南アフリカで岡田ジャパンが目指すベスト4はどのような戦略で臨めば可能なのでしょうか?現在のFIFAランクでなく、対戦国のワールドカップ通算戦績を見ても、それがいかに困難な目標であることがわかります。



<最先端のデータ解析と精神論で岡田ジャパンは「ベスト4」を狙う>
http://number.bunshun.jp/articles/-/12576


今、前大会で思い出されるのは、一次リーグ敗退の決まったブラジル戦で、後半三点差という絶望的な戦況で、ボールを無心に追いかけ続けた中田選手の悲壮な走りでした。南フランス大会を直前に、サッカーとは何か、ワールドカップとは何かを再確認する意味で、本書を手に取りました。


ブラジル代表で五歳歳下のアドリアーノ・レイテ・リベイロはイタリア語で次のように語ったそうです。
Hide,Nella vita c’e un momento di piangere e quello di ridere.
(ヒデ、人生には、涙を流すときもあれば、笑うときもあるさ)



前大会で日本代表を率いたジーコのディレクションに対し、中田選手は次のように語っています。

~ジーコは、トルシエ型の明確な戦術を与えるわけじゃあない。「攻撃はこうやってやりなさい」と言うわけじゃないし、「ディフェンスはこうやってやりなさい」とも言わなかった。だから、選手たちが、場面、場面で、どうしたらいいのかと考えることが必要になったことは事実なんだ。

しかし、だからこそ、自分たちのプレーや試合を振り返って、分析して、自分たちがどんなサッカーをしていくのか、どんなパターンで攻め、守るのか、どんな弱点を持っているのか、しっかり掴み、理解しなければならなかった。

ジーコはおれたちの力を信じ、そうすることを求めたわけだからね、ピッチで何が起こっているか、それが分かるのは選手だけだし、そのためのプレーをするのは選手なんだ、とジーコは強く思っていた。でも、おれたちはジーコの要求には、完全には応えられなかった。

今回この四年間ジーコのもとでやってきて、この代表の中でプレーして最終的に思ったのは、現時点ではあのトルシエ時代のようにすべてをオーダーされるほうがよかったかもしれない、ということ。前にもそう言ったと思うけど、自分たちが責任を持ち自分たちのサッカーを構築していくのは、まだちょっと早かったのかなと思う。ブラジル戦が終わって最初に思ったのは、そのことだった~


中田選手のいない岡田゛ジャパンの選手たちに、この四年間という時間は十分だったのでしょうか?中田選手が見せてくれた、ブラジル戦での、あの徒労とも思える走りの意味は、その後オシム監督がオーダーし、岡田監督も90分で一人平均11km走ることを戦術としていることが示しています。

中田選手は前大会を次のように振り返っています。

~本来のパワーを発揮できたら、一次リーグ突破どころかもっと上まで行ける力があったと思う。その力を出し切れずに終わってしまったけど、だからといって日本のサッカーが世界の通用しないなどと思わないで欲しい。今、気づくべきことは、自分たちの力を百パーセント出し切れぬまま終わったんだ、ということ。チームメイトに何か伝えるとしたら、おれは、それを一番言いたい~


岡田ジャパンのサムライたちの走りに期待します。


ところで、昨日「ナイナイのガチバトル」、ご覧になりました?

岡村さん率いる元オランダ代表アーロン・ヴィンター、元トルコ代表イルハン・マンスズ、元カメルーン代表パトリック・エムボマ、そして元日本代表中田英寿。方や矢部さん率いる元日本代表の名波浩、小島伸幸、本並健治、澤登正朗、奥大介、小村徳男、鈴木隆行という一世を風靡した選手たちによるフットサル対決。バラエティではありますが、見ていて幸せな気分になりました。


世界のサッカー界に名を馳せるエージェントであり、欧州での中田選手の代理人だったのがブランキー二。

<Web CALCiO2002 : Magazine : Special Issue/ジョバンニ・ブランキーニ>.
http://www.from1.com/calcio2002/mag/special/0901_parma/branchini01.html

中田選手支え続けるのがこの人。

<次原悦子 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A1%E5%8E%9F%E6%82%A6%E5%AD%90

<PR会社 株式会社サニーサイドアップ SUNNY SIDE UP Inc.>
http://www.ssu.co.jp/


そして、中田選手を追いかけ続けた著者。

<小松成美 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E6%88%90%E7%BE%8E

<nakata.net -- 中田英寿オフィシャルホームページ>
http://www.nakata.net/jp/football/football_archive.htm


<備忘録>
中田プロジェクト(P31)、引退の理由(P55)、デッドマール・クラマー(P165)、マーク(P261)、オーストラリア戦で欠いた意思疎通(P266)、全員での戦略ミーティング(P282)、ジョバンニ・ブランキーニ(P296)、中田の日本代表観(P368)

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