カンアオイ

野草の観察・ハイキング・旅行・散歩などメモ的な身辺雑記。

古城街道

2007年02月06日 | 旅行
景色の素晴らしい古城街道をローテンブルグへ
ハイデルベルク→ネッカーシュタイナッハ(4ヶ所の城がありました)→ヒルシュホルン→エーバーバッハ(猪の川という意味)→ツビンゲンベルク(今はバーデン伯の城)→ネッカーゲラッハ{ミンナという女性と貧しい騎士の恋の伝説がある…}→ネッカーツィンメルン(中世の英雄ゲッソの城)→グンデルスハイム→バートヴィンブフェン{別名:夢のシルエット}→
{中世のおとぎの世界・ローテンブルクを観光}
中世の面影をほぼ完璧に残していると云われるローテンブルクはドイツ観光の目玉となっている。町の起源は9世紀まで遡り、最初の城壁は12世紀に出来上がった。この旅は移動距離が長いが、見所はちゃんと押さえてある。古城街道はどこもかしこも絵になるロマンチックな道で車窓からの風景が長閑でしかも飽きさせない。勉強家の添乗員N女のネッカー川畔に点在する古城の解説を聞きながら目的地ローテンブルクを目指しました。途中1ヶ所だけシャッターポイントとしてバスが停車。
古城街道で唯一バスが停車のシャッターポイント
ヒルシュホルン{鹿の角}の街
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<「古城街道をバスは走る」>
<「教会」><「宿り木がびっしり付いた樹木」><「ホテルとして現役の古城を見る」><「ネッカー川に沿ってバスは走る」><「ネッカー川には堰が一定間隔で設けられ、水運の船が運航している」>
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ドイツには古城が2000とも20000ともあるという。これ等は航行する船から税を徴収する関所として・又、砦として建てられたり・盗賊の住処となって行ったものまであるそうです。今は廃墟となったものもありますが、ホテルなどとして立派に使われています。
←シュランネ・レストランでお昼に出た初めて食べるドイツ料理でした。名前はポークピカタと添乗員さんの旅日記にありましたが、行程表にはグヤーシャと記載。サラダ・プリンが付きました。うどんとジャガイモと柔らかな豚肉で私の4分の1になった胃にも何とか全部食べられました。食事時は、硬水のためビールかワインで水分を補給します。水もビールも値段に大きな違いがありません。

ハイデルベルク旧市街

2007年02月06日 | 旅行
ハイデルベルク旧市街散策
お世話になった添乗員N/Nさんが写る唯一の写真でした

<マルクト広場の出店>ネッカー川右岸を散策、シンボルのカールブリュッケ橋に着いた。橋の袂に猿のブロンズ像↑が持つ鏡?は人に触られて金色に光っていた。橋の中央まで歩を進め改めてネッカー川畔に沿って広がる古い落ち着いた街並みを眺めやった。昨日着いたフランクフルトから南へ80kmの此処ハイデルブルクは古城街道{Burgen Strase:マンハイム~プラハまで続く全長975kmの街道}上にある。戦禍を免れ、中世の趣そのままの情緒豊かな古い街並みに身を置くと時間がユックリする。
ドイツは清潔な国である。
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★ハイデルブルク旧市街★
※30年戦争やプファルツ継承戦争で破壊されたが、美しい街並みは第二次世界大戦の戦禍を免れて19世紀の面影を残している
<「ハイデルブルクは中世浪漫の薫るドイツ最古の大学街・ゲーテやショパンが訪れた街」>
<「ハイデルブルクのシンボル的存在:ネッカー川に架かるアルテブリュッケ(古い橋)1788年建設」><「頭に鳥が停まったアルテ・ブリュッケの選亭候カール・テオドール像」><「カールテオドール橋(古い橋)の橋門」><「ネッカー川下流方向」><「ネッカー川上流方向」>
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<騎士の家(Haus zum Ritter)>←マウスオンで拡大(2画像)1592年に商人のシャルル・ベリエによって建てられた「騎士の家」。建物は現在ホテル・レストランになっている。ハイデルベルクで現存する一番古い建物だと言う。
マウスオン2画像
<>←市の中心・マルクト広場へ向かう。街を歩くだけの散歩がとても楽しい。


旧市街を歩く
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<「旧市街の中心」>
<「ネkッカー川畔の家並み」><「ネッカー川の古い橋から右岸高台にハイデルベルク城を望む」><「マルクト広場のハイデルベルク市庁舎」><「教会らしからぬ佇まいの聖霊教会」><「マルクト広場の真ん中に井戸がある」>
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ハイデルベルク市内を観光後、古城街道をローテンブルクへ(170km・約3時間)

びっくりヨーロッパ7日間

2007年02月06日 | 旅行
~ロマンチック街道・スイスアルプス・パリ~
出発日:平成19年1月30日(火)
帰国日:平成19年2月 5日(月)
ツーリスト:トラピクス(阪急交通社)
添乗員:中島暢子さん
参加:33名
ドイツ・ハイデルベルク
第1日目(1月30日):成田発12:30(全日空NH-209便)空路フランクフルトへ所要時間:12:05
フランクフルト着16:35 ルードヴィヒハーフェンへ(80km、1時間30分)
宿泊ホテル:ベスト・ウエスタン・ルードヴィヒスハーフェン

日本時間の私の時計はもう真夜中の午前零時だが、時差8時間の現地ホテル到着は未だ午後8時であった。今日は長い一日であった。明日からも体力勝負の旅が始まる。(ブログに順次投稿しようと思っている)

第2日目(1月31日):ホテル7:30出発ハイデルベルクへ(20km、約30分)
ハイデルベルク城観光
ネッカー川沿いの古城街道にある街ハイデルベルクは中世最古の大学街。レンガの古城は旧市街を見下ろす山腹に建つ。13世紀プファルツ選亭候の居城として建設。その後、歴代の城主が改築を繰り返したため、バロック・ルネッサンスなどの建築様式を併せもつ芸術性の高い城建築の集合体となった。

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<「レンガ壁を残した城壁」><「門を入って正面:オットーハインリッヒ館」><「先ず最初に目に入るシェークスピア門」><「時計は8時20分を指す」><「古城の様子漂う入って右手」>
<「今は廃墟のハイデルベルク城」>
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ハイデルベルクの夜明けは遅い。まして曇り空であればなお更である。廃墟の古城見学には相応しいのかも知れなかった。ヨーロッパも暖冬のせいか下着を1枚余計に着込んだ私には気持ちよい寒さです。坂道を登ってお城に着きました。朝一番の観光で得したことは、係員の配置が未だ無くて有料トイレがタダで使えたことです。家内と二人分で1ユーロ得しました。

<>←ルプレヒト館とその壁面(2画像)

<>←右手フリードリッヒ館(上・下2画面)

ハイデルベルク城奥のテラスから旧市街を望む(パノラマ風にマウスオン・アルバムにて)

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<「ハイデルベルク城のビュウポイントにて」>
<「左面(西方)・城のビューポイントにて妻」><「左面(北西方)ネッカー川左岸の旧市街を望む」><「正面(北方)ネッカー川に架かるカール・テオドール橋」><「右面(北東方)ネッカー川右岸の哲学者散策の丘陵を望む」><「右端(東方)冬とは思えないみどり」>

フィレンツェのミケランジェロ広場からの眺めを小ぶりにしたような感じの眺望と言ったらいいのかも?これから歩くハイデルベルクの美しい街並みが見渡せます。テラスには昔浮気がばれそうになり館の裏から逃げ出した時に出来たと言われる凹んだ足跡がついていました。この足跡にぴったりの足の男性は浮気者の末裔だと言われます。私も試してみました。

ワインの酒蔵
マウスオン&クリック(3画像)

<クリックすると、22000klのワインが貯蔵される大樽>
マウスオン・クリック(2画像)

<クリックすると大石臼>
ハイデルベルク城を後に旧市街へ
マウスオン&クリック(3画像)

<朝の静まりかえる城を後に旧市街へ>


千代紙で作る箱

2007年02月06日 | 日記
千代紙で作る箱のいろいろ
「遊ねっと」HO例会のMさんから今日の年賀状自慢大会で頂いた「千代紙で作った箱①」が大変素適であった。それにハンカチ王子のハンドタオルが入っていた。
バレンタイン・デーも間直になったが、こんな手作りのケースに思い出のモーツアルトのCDとか、コサージュとか、美味しい生チョコなどを入れてプレゼントされたら、若い男性と言わず、きっと男ならとろけるほどのトキメキを覚えるに違いない。どうも有難う。本当に嬉しかった

旅行帰りの時差8時間は、やはりきつい。頭の芯の疲れは何時になったらとり切れるのだろうか?歳を重ねると疲労は足でも何でも回復に時間が掛かる。
←CDケースにもなる千代紙で作る箱①(裏・表)
←コサージュの入った千代紙で作る箱②

←コサージュと千代紙で作る箱③(表・裏)
手づくりの赤系と緑系と2種の{新聞紙で作ったコサージュ}を手づくりの{千代紙で作った箱}に入れて新年会でビンゴゲームの景品に加えた。馬子にも衣装とはこのことかも?包装やデザインの大切さを痛感させられました。推し量るに恐らくMさんは、これら3点の作品を彼女の繊細な感性と心配りで時間を忘れて楽しく作られたに違いありません。