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カンアオイ

野草の観察・ハイキング・旅行・散歩などメモ的な身辺雑記。

錦秋の日原

2006年11月25日 | 山の会
紅葉の日原・一石山から燕岩そして籠岩を回る

奥多摩の紅葉は「日原・小川谷」辺りが一番好きだと言う山仲間が多い。奥多摩湖方面は「三頭山・御前山」登山などで、かなり使うが、日原へは登山で2回「雲取山の下山に鷹巣山を経てと、天祖山へ登ったとき」ぐらいしか無く、石灰岩地性の植物観察で2回、一石山と稲村岩の石灰岩露頭に咲くヒメシャガを見るために登ったことがあるぐらいで覚えられるほど数少ない文字通り奥多摩の奥地である。

朝の陽に山稜の影を引く山
1)日時:2006年11月25日(土)
2)集合:奥多摩駅改札前AM9;14(ホリデー快速・浦安AM7:05発)
3)行程:奥多摩駅9:30⇒9:50東日原10:00→10:45一石山神社→11:45一石山(昼食)12:35→燕岩→13:40籠岩→14;40小川谷林道→日原鍾乳洞→休憩所→小川谷橋→東日原16:17⇒16:35奥多摩駅
4)解散:奥多摩駅(ホリデー快速17:10乗車)
5)費用:(東京メトロ270円・JR890円・西東京バス450円)×2=3220円
日原は鍾乳洞が有名で益して紅葉が見頃の休日には観光客であふれるのではないかと心配した。定時臨時2台のバスは川乗橋で川苔山の登山客を降ろし休日は鍾乳洞手前の東日原止まりで定員乗車で運行される。今日は朝一番のホリデー快速を利用したせいか予想したより寂しい人数である。登山口の一石山神社入り口までは凡そ30分の歩程であるが、あまりの美しい渓谷の紅葉に見とれて45分かけて到着。今日は時間を気にすることのない山歩きである。
一石山神社入り口の洞穴に祀る地蔵尊
一石山(標高1007m)は鍾乳洞と対峙する位置にある石灰岩の山である。コースは以前「自然科学観察コース」として整備されていたが、今は落ち葉に登山路も隠れて。放置された樹種の名札板や朽ちた道標に昔の面影が残るのみであった。しかし、表の日原に対する裏の日原と譬えるべきか人の訪れない穴場といえる静寂なハイキングが楽しめます。
★マウスオン&クリックで3画像表示↓東日原バス停から日原川林道を小川谷橋へ歩く
<日原川林道を染める紅葉・黄葉>
★マウスオン&クリックで3画像表示↓小川谷橋で日原川は小川谷と合流、鍾乳洞へ右手小川谷林道を進む
<小川谷橋を渡って小川谷林道へ「銚子滝」を見る>

竹寺

2006年11月01日 | 山の会
竹寺

奥武蔵の正丸峠⇒伊豆ガ岳が表なら、子の権現からのこのルートは裏コース、竹林に囲まれた山寺の竹寺(天王山八王寺)をたずねる渋い地味な道である。神送り場がある豆口峠(標高560m)まで1.8キロメートル、標準40分の歩きやすい道程である。浅い春や、遅い秋、雪の冬など静かな雰囲気が味わえる。

←豆口峠へ向かう。道はまもなく直ぐ右に伊豆ガ岳への縦走路を見送って左へ尾根を下って行く。お昼ご飯が済んで杉林の中、平らな道をのんびり歩くとつい眠気がまつわる。

←途中、西北方面が開けたススキの鞍部に出ると、高畑山、古御岳、伊豆ガ岳と続く稜線が望めた。東側がヒノキやスギの人工林で、西側斜面が明るい自然林の尾根道を歩く。カンアオイが群生しているのは、自然が残っている証拠だ。今日は尾根道を登って竹寺の鐘楼を回るコースを選んだ。

←竹寺・鐘楼。「野火は早打ち」と注意書き、私は思い切り強く1回、軽くもう1回家内安全を願い突いてみた。見晴らしのいい尾根にあるせいか音がよく余韻の長い響きがしじまを驚かす。

←アキノキリンソウが咲く道を東へ下る。

←豆口峠から尾根道を1.1km凡そ30分ほどで天王山・牛頭王のお堂が木の間越しに見えた。

←秋の野菊。山での代表花シロヨメナが咲く。

←火災(不審火とも護摩の火が原因とも?)にあって三年前に再建された本堂。本堂の周囲には黒く焦げた幹を残す杉がある。
寺の特色は、
明治元年の神仏分離令にもれたことで、お寺とお宮が同居しているところにある。
秩父の三峰、都下の高尾・御岳山と同じ山岳仏教の系統をひく。明治維新に行われた神仏分離令以前の混淆の姿をそのまま伝えるのは、この八王寺が東日本唯一のものである。{関東ふれあいの道解説板「竹寺」より引用。環境庁・埼玉県}

 ←左2枚、焼け焦げた杉の幹に彫りこんだ牛頭明王のトーテンポール?
←鳥居に設けられた茅の輪。

←境内のイロハモミジの老樹。さぞ紅葉が見事でしょう。俳句や歌の句碑が多い。読めないものも多いので、脇に小さな解説板が添えてあると助かるのですが…。
竹寺の 青黛(セイタイ)刷ける 紅葉かな 桂子(渡辺桂子)
句碑の文字が解らず80半ばになる老和尚さんに尋ねたら、奥さまの取次ぎで解説があった。和尚さんの解釈→もみじの枝葉が印刷されて出て来る紙のようになだれた姿を詠んだ句と両手をかざして解説してくれました。
なお、「青黛」を辞書でひくと「濃い青・青いまゆずみ」とあった。季語はどれ「セイタイ」それとも「モミジ」?初夏?晩秋?耳の遠い老師には再質問が、はばかられた。

←ルビー色の実を胸飾りにしたいシキミ。境内は野草苑のようで、黄色のアワコガネギク(泡小金菊)、空色のセキヤノアキチョウジ(関谷の秋丁子)、ピンクのシュウメイギク(秋明菊)、紺色の玉(実)をかざすヤブミョウガ(藪茗荷)など…。

←竹寺の名の由縁となる広大な孟宗竹林がある。亀甲竹など珍しい種類も見られる。

←本堂と住いをつなぐ橋廊下。


←中沢バス停近くの民家。夕餉の支度か、お風呂を沸かすマキの煙が昇っている。竹寺でついユックリしすぎて1時間も費やしてしまい、バスをやり過ごし1時間待たねばならないハメになった。しかし、神のご加護か地元の人の親切や臨時バスに拾ってもらい結果はオーライとなったのだった!

子の権現から竹寺

2006年10月28日 | 山の会
子の権現から竹寺へ
日時:2006年10月28日
集合:西吾野駅AM9:00
行程:西吾野駅9:10⇒11:00子の権現11:30⇒11:45竹寺への鞍部(昼食)⇒13:00竹寺14:00⇒15:00中沢バス停⇒16:10原市場バス停16:10⇒16:40飯能駅16:46⇒浦安18:30
万歩計20161歩
山の会10月例会は参加者4名。私は会社の仲間と4月29日みどりの日に歩いて以来10年ぶりの「子の権現から竹寺」の関東ふれあいの道である。季節も変え日時も経つと全く新しいコースを歩くに等しい。
奥武蔵はハイキングに手ごろなコースが沢山あり、下車駅には必ず最寄の「奥武蔵ハイキングマップ」が置かれているので大変親切である。
多くのハイカーが高山不動へ向かう中、私たちだけが反対方向に。いつでもコースの入り口を見極めるのが大事で、うっかりすると皆が行く後を付いて行ってしまいそうになる。お天気も予報ほど良くなく、秋の紅葉にはまだ早いので今日は静かな山歩きが出来そうだ。小床橋で高麗川を渡る。橋の袂にまだ咲き残るセンニンソウ(日本のクレマチス)があった。
←子の権現への参道。以前に比べると道程がとても長く感じる。途中お地蔵さんや墓の数々を沿道に見て登る。桃色の秋明菊、初冬に咲くヤクシソウ、白花のゲンノショウコ・ノコンギク・白嫁菜など少なくなった秋の野草を探して行く。キッコウハグマが咲き残りの小さな白い3枚の花弁を一輪、マメヅタの中から顔を出しており、初めて見る花かと戸惑った。こんな寂しい一輪がその存在を主張して可愛らしく改めてその花美しさを再認識した。

←子の権現天龍寺黒門。そう思い出した二本杉(埼玉県天然記念物)の近くで、前回は酒盛りになったのであった。当寺の門前にある二本杉は、今は一本が枯れてしまっていた。樹齢およそ千年と言われている。ここにお土産屋さんが一軒ある。途中の山道で土を掘り繰り返した跡があちこちで見られたので見せの奥さんに聞いて見たらイノシシの仕業だという。今年の秋は熊や猪が人里に出て畑を荒らす悪さが報じられている。

←黒門にたちはだかる仁王像。昭和11年花井探嶺氏によって造像された尊像で、勇壮な姿は邪悪な者を退治し、仏法を護持しようとする意味が込められている。今まで人っ子一人会わなかったのが、山道を抜け出ると林道を2台の中型バスが上がってきた。講中参詣し護摩供に参加される方たちであった。当山には百を越える講中(気のあった同志でニ、三十人の集まりから三百人の団体まで)があると言う。

←本坊。子の権現(天龍寺)略縁起によれば、当山は911年6月13日、子の聖が初めてこの地に十一面観音をお祀りし、天龍寺を創建されたことに始まる。子の聖は、生来才知するどく仏教に通じ、生まれた時が子年子月子日子刻であったため、人々に子の聖と呼ばれ当地を終焉の地として参られ、その際「我、化縁につきぬれば寂光の本土に帰るべし。然れども、この山に跡を垂れて永く衆生を守らん。我登山の折、魔火のため腰と足を傷め悩めることあり。故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験しを得せしめん。」と誓いを立てられました。以来、足腰守護の神仏として信仰されている。

←鉄の大わらじ。往古より本尊さまへ履物を奉納し、願をかける習わしがあり、境内にある日本一の鉄のワラジは、その信仰のシンボルとなっている。信者が奉納したワラジ、履物などは加持祈祷されて、足腰の悪い参詣の方に持ち帰ってもらっている。霊験あると信じられている。

←本殿。講中の皆さんの護摩が順次始まっていた。
←おみくじ。ご宝前において、読経後、悩み事について、旅行、転居、縁談などの吉凶をはじめ、その年や月の指針などを仏さんにおうかがいする。

←子の権現の森。竹寺への途中から振り返る。昼食した所は、草地の鞍部で明るく南北が開けている。生憎の曇り空であったが、ご飯を食べている私たちの真向かいに、うっすらと尖った特徴のある伊豆ガ岳(標高851m)がシルエットになって現われた。標高は小床橋240m、子の権現640m。西吾野駅から歩程3.7キロ・標準タイム75分。紅葉には早いオフシーズン靄った今日のような日が静かで気持ちも休まる。

竹寺の
青黛刷ける
紅葉かな  桂子

巾着田から北向地蔵へ

2006年09月24日 | 山の会
曼珠沙花を見る
 お彼岸の中日、日本一の彼岸花群生地と言われる高麗の巾着田から奥武蔵自然歩道の日和田山コース・歩行距離9.4km(高麗駅8:00→巾着田10:00→日和田山10:50→高指山11:10→駒高→11:40物見山12:40→13:20北向地蔵→14:10五常の滝→武蔵横手駅14:48)を歩いた。

↓マウスオンの小技で作り直した。「IMG」で作るやり方より、スマートかもしれない。(マウスポインターを画像の上に置くと拡大画像が現れる・画像の説明文字も画面に表示される)

<彼岸の中日2006/09/23>

ヒガンバナはツルボと同じく飢饉を救った救荒植物である。山の中へ入ると無く人里近くになると現れる。その毒でモグラを防ごうと田圃の畦に植えたり、毒抜きをして飢饉の際の食料にしたり、そんな人の暮らしと共に生育地を広げてきた。異名の多さは、人との付き合いの長さと深さの証だ。

少ないが白花曼珠沙華も
赤い花なら曼珠沙華⇔LINKを張る⇔{参照}FYI(for your information)クリックすると「Yahooフォト・アルバム」が開きます。
⇔(by way of suggestion)1枚ごとでも、スライドショーでも楽しめます。スライドショーは{「花」または「風景」}のどちらかを選択がお奨めです。
お試しください。もしパスワード必要の場合は、お教えします。

ハイキングや旅行などで撮った写真などを載せる場合、いろいろなやり方がある。
これからも工夫して相応しい画像表示を試してみたい。

官ノ倉山

2006年06月04日 | 山の会
官ノ倉山と石尊山
1)日時:2006年6月4日
2)集合:竹沢駅(JR八高線)AM9:39(着)
3)行程:竹沢駅9:50→三光神社10:20→天王溜池→11:00官ノ倉峠→11:15官ノ倉山→11:25石尊山(昼食)11:45→12:40北向不動→14:25小川駅
4)解散:小川駅14:32(JR八高線・発)14:44(東武/東上線・発)
5)費用:交通費 浦安:往復2280円(東京メトロ・東武東上線・JR八高線)

↑官ノ倉山から奥武蔵の笠山方面を望む。笠山山頂は雲が垂れ込めて隠れていた。狭い山頂だが360度の展望が得られ、空の澄む秋・冬には赤城山や日光連山が望め、ここは眺望に恵まれた随一のピークだと言う。

かねてから官ノ倉山{外秩父の比企丘陵}を歩いてみたいと思っていたが、なかなか実現できないでいた。標高344.7㍍の小ピークながら展望の良さで知られたこの山は、低山ハイキングの良いコースとのことなので、時期的には、その良さが味わえないが実施することにした。私たち4人の他は大宮のボーイスカウトの小グループ(4班)と老・若の各ペアー数組だけで、とても静かな山歩きであった。三光神社までの道すがら、各民家の思い思いのお花畑は、ノンビリ気分・のびやかで季節の進行が少し後れて動いているようでした。ヤグルマギク、ケシ、クレマチス、ニシキウツギなど数限りなく咲き競う其々個性的な花園を眺めて歩ける里道は晩春も初夏も同時に楽しめました。特記したいのは、「チョウジソウ」が薄青く咲いていたことです。

↑石尊山(セキソンザン)から官ノ倉山(カンノクラヤマ)を振り返る。木々がまばらで眺望の良さが判る。官ノ倉が50㌢こちらより高い。


↑石尊山々頂にて、青い実を付けたサルトリイバラ。他にシモツケが未だ咲き始めかかったところで残念だったが、望外にネジキの小さな鈴の連なる白花を初めて見つけ感動した。

↑ネジキの花・アップ(internet検索による)


↑石尊山々頂に祀られる小祠。信仰の山である。
 
↑上・北向不動尊・三十六童子は、山頂から1時間程の行程で小休止に格好の霊地。沢の水がコンコンと湧き出し、下山した実感が湧く場所でもある。↑下・谷戸が奥深く入り込んで、昔は水田であったろう感じのいい場所に出る。正真正銘の「ウツギ」の大株が満開であった。石尊山への道祖神が道脇に祀られている。{見ざる・聞かざる・言わざる}の三猿が祀られる意味は何なのだろうか?

↑山頂では咲き始めのシモツケが里では満開である。路傍に紅・白並べて植栽してあり、それは目を見張る鮮やかさであった。桑の実、イチゴ、ナワシログミ、タワラグミ(ビックリグミ)など摘まんでビタミンCを補給して歩く。畑道で突如、雌の雉が私たちの眼前を羽を円く大きく広げて一瞬横切った。畑の中、目で追いかけると雛鳥を連れているのが三羽までは確認出来た。里に出てから地図も確認せず、本来のコースを外れて歩くことになったのだが、この雉の一件と、八重咲きのドクダミを発見するなど、望外の収穫もあった。どの道に迷い込んだにせよ、その道は一期一会の期待を裏切らないのである。今日は歩き出しと歩き終わりが本来のハイキングコースを外れて歩いてしまったが、それはそれ次ぎの機会の楽しみとした。
オムロン歩数計18002歩