ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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持ち味・反応閾値

2013-01-27 10:47:05 | ひとの幸福
山岸さんの言葉で「持ち味を活かす」だとかいうのがあったけど、

広辞苑で見ると、食べ物のことでの持ち味と、

もう一つのは人柄や小説・技芸・美術品などの持つ独特の味わいや良さ。


「働かないアリに意義がある」の本では、

上司がいなくても個であるワーカーが自発的にその時やれる仕事をやっていると、

コロニーが運営されるのに全体の必要な仕事が何の問題もなくできてしまうのは、

いろんな個が居る、という理由でそうなる、ということらしい。


私たち人間界でも不完全ながらそんなふうになっている。

趣味・性向・好き好き・傾向・気質・体質・頭脳なんかが一人一人違うからこそ、

いろんなことが成り立っている。


仕事で流れ作業というものがあるけど、そういうのは人間的じゃないなんていう人もあるけれど、

私はそういう単純作業が好きな方だ。

そういう単純作業も人によって好き好きがある。

じーっと座っているのは耐えられないという人も居るし、

私みたいにそういうのも平気という人も居る。

それがいいという人も居る。

本当に千差万別なのが人だ。その違いはアリなどよりずっと多い。

だからこそこんなふうにアリより豊かな社会がある。

ひとの反応閾値は人の数×やることの数だけあると思う。

何故かこんなことが好き・・とか。

学者、技術者、職人、芸術家、政治家、みんなある程度、

何故かそういうことが好きな人がしているんだと思う。

洗濯を干すのは好きだけど、畳むのは今ひとつとか、しまうのは今ひとつとか、

そんな家事のことでも人によって違う。

また、同じ作業でもその時の気分でやりたくなったり、

やる気がしなかったり、それもこうだと決めることは出来ない。

本当に実に多彩なわたしたちだ。

人の数×やること×気分×時・・・ひとの反応閾値はこんなかな。

どんな反応閾値であってもその反応閾値で行動して、

それを否定されずに暮らせたら楽だなぁ。アリみたいに。

人はアリより高度な生命なんだから、

今よりもっともっと快適な社会になる可能性は大大大だ。



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