「せいめいのはなし」の中の内田樹さんと福岡伸一さんとの対談で、
人間の成熟を促すための装置が経済活動なんじゃないか・・・
物を「交換をする主体」となりうるためには、
無数の人間的条件をクリアーされなければならない、だからこそ交換が始まった・・
こういうことを内田さんが言っていた(書いてあった)。
これも面白い。
成熟するためにという意識的な願望で、
大昔の人間が交換を始めたわけじゃないのかなとは思うけど。
結果として、人間が未熟だと交換できないという羽目に陥る、ということはあったかもしれない。
人間的に向上したら交換がスムーズに進んだ。
だから余計向上したいと思うようになった。
そういう循環になった・・・鶏が先か卵が先か・・???
ここを書いて思った。
結果論としてそれは人間を向上させるものとなったと思う。
向上したいと思うこともあるかもしれないけど、
日常そんなことは頭に浮かばないのが普通だと思う。
向上したいと思うから向上するんじゃなくて、
実践することで向上する、のかと思う。
実践、何らかの場で何かを人と共に実践する事でしかひとは変わって行かない。
経済活動だけじゃなく、生活の場でも何でも、
他者との場が人間的条件をクリアーする装置と言えると思う。
人間の成熟を促すための装置が経済活動なんじゃないか・・・
物を「交換をする主体」となりうるためには、
無数の人間的条件をクリアーされなければならない、だからこそ交換が始まった・・
こういうことを内田さんが言っていた(書いてあった)。
これも面白い。
成熟するためにという意識的な願望で、
大昔の人間が交換を始めたわけじゃないのかなとは思うけど。
結果として、人間が未熟だと交換できないという羽目に陥る、ということはあったかもしれない。
人間的に向上したら交換がスムーズに進んだ。
だから余計向上したいと思うようになった。
そういう循環になった・・・鶏が先か卵が先か・・???
ここを書いて思った。
結果論としてそれは人間を向上させるものとなったと思う。
向上したいと思うこともあるかもしれないけど、
日常そんなことは頭に浮かばないのが普通だと思う。
向上したいと思うから向上するんじゃなくて、
実践することで向上する、のかと思う。
実践、何らかの場で何かを人と共に実践する事でしかひとは変わって行かない。
経済活動だけじゃなく、生活の場でも何でも、
他者との場が人間的条件をクリアーする装置と言えると思う。