歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

コリン・デクスター『キドリントンから消えた娘』

2011年06月19日 | 本とか雑誌とか
コリン・デクスター/大庭忠男訳『キドリントンから消えた娘』(ハヤカワ文庫)一日かけて読了。初読の作家。なかなか調子いいです。主任警部モースの推理が二転三転して、読者をあっちこっちに連れていく、そのドライブ感がけっこう快感。

舞台は大学の町オックスフォードとその周辺。大学関係者は出てこないけど、問題の「キドリントンから消えた娘」というのが「十七歳をすぎたばかり」だったので、日本でいうと高校?にあたる学校の関係者がいろいろ登場。

本文がはじまって3ページ目にあたる、冒頭すぐのところ(p.9)で、ある人物が物思いにふける。「彼の目は道路の向こう側にならんでいるやや高級な家々をゆっくりと見わたした。四つの寝室に、広い庭。自分もああいうプレハブの温室を建てて、トマトかキュウリをつくってみよう、ディオクレティアヌスのように……いやエルキュール・ポアロだったかな?」とある。ディオクレティアヌスっていったらこれ、《Dioclesian》のことぢゃん? ディオクレティアヌス帝って、むこうぢゃそんなに有名なのかな。

デクスターは人気のある作家のようですが、現在多くは品切れ。『ウッドストック行最終バス』というのだけ、入手可能だったので、さっそくキープしました。