歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

『三四郎』の冒頭。

2006年07月26日 | 気になることば
ちくま文庫の夏目漱石全集には「本書は原文を現代かなづかいに改め、原文の表現をそこなわない範囲で漢字をかなに改めた。また、難解な語句には小口注を付した。(編集部)」とある。『三四郎』の冒頭はこうなっている。

「うとうとして眼が覚めると女はいつの間にか、隣の爺さんと話を始めている。この爺さんはたしかに前の前の駅から乗った田舎者である。発車間際に頓狂な声を出して、馳け込んで来て、いきなり肌を抜いだと思ったら背中にお灸の痕がいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。爺さんが汗を拭いて、肌を入れて、女の隣に腰を懸けたまでよく注意して見ていたくらいである。」

同じところ、新潮文庫の『三四郎』ではこうなっている。

「うとうとして眼が覚めると女は何時の間にか、隣の爺さんと話を始めている。この爺さんは慥かに前の前の駅から乗った田舎者である。発車間際に頓狂な声を出して、馳け込んで来て、いきなり肌を抜いだと思ったら脊中にお灸の痕が一杯あったので、三四郎の記憶に残っている。爺さんが汗を拭いて、肌を入れて、女の隣に腰を懸けたまでよく注意して見ていた位である。」

「いつの間にか/何時の間にか」「たしかに/慥かに」「背中に/脊中に」「いっぱい/一杯」「くらい/位」。