荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

両さん像を捜して/2020年ー4

2020年09月14日 | 散文

さて、亀有駅の南側に戻ったもののサッパリ分かりません。自分の方向音痴に困り果てていたら、地元民らしい女性と信号待ちになりました。恥を忍んで、マスクをかけ直して聞きました。「少年両さん像は何処にありますか?」流石は地元民です。所在を知っていました。 これです! ちょっと分かりにくい場所です。それがうまい具合に子供達が隠れて覗いているように見えます。後ろから「こら!」って声を掛けたくなります。

 

子供達の楽しさが伝わって来ます。

 

悪ガキですね。「少年両さん像」です。

 

握手を求めている少年両津です。

 

私には友達を冷やかしているように見えます。

 

説明板です。勘吉は両さんだから知っているけど、後の二人は「豚平」と「珍吉」ですか? 変な名前。いっとう勘吉がまともです。

 

絵馬がありました。「両さんなんかにお願いしたって、無責任だもの叶いっこないよ!」って皆思っているのか少ないです。

 

さて、いよいよ佳境です。地図を確認してやって来ました。これって、先程女性に「少年両さん像」の所在を聞いた信号の傍です。酷い方向音痴だね・・・、我ながら呆れてしまいます。 

 

これです。

 

「本田像」です。彼は、普段は気弱なお人よしなんだけど、白バイに乗ったら狂暴になる二重人格の交通警察官でしたっけ? これで完了です! ・・・たぶん。

猛残暑の中をこんな風に苦労して楽しんだ探索でした。また数年後にやりたいです。

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両さん像を捜して/2020年ー3

2020年09月14日 | 散文

やって来ました「ラ・ローズ・ジャポネ」です。が、今日は休みのようです。2018年3月に、740年の歴史を誇る亀有香取神社の境内に造った洋菓子店「パティスリーラ・ローズ・ジャポネ」がリニューアルしました。休日に当たってしまって残念です。別に食べたかった訳ではありません。リニューアル後の店舗を見たかっただけです。

 

境内には賑やかな道祖神が在りました。

 

「キャプテン翼」は葛飾区が生んだ、「こち亀」と並ぶアニメの英雄です。そして香取神社は勝負事の神様です。多くのアスリートがお参りします。絵馬の裏側へ行きます。

 

本当はこちら側が表参道の入り口側になるので、両さんが表です。

 

「少年よあの星を目指せ!両さん像」です。

 

説明板です。

 

さて、順番が逆ですが、一旦表参道の鳥居前に行きます。石柱の「村社」が歴史を語ります。怖い亀が居ます。

 

こちらにも亀が居ます。「狛犬」ならぬ「狛亀」です。

 

観光案内が有ります。

 

神社の境内に有るのは珍しいです。

 

お参りします。この猛残暑です。誰も居ません。

 

「御由緒 鎌倉時代建治二年八月十九日」(1276)、当日亀有の地は下総国葛西御尉亀無郷と呼ばれ、香取神社の社領でありました。 そのことから本宮の御分霊(経津主大神)をお迎えし郷の鎮守様としてお祀りし、多くの人々が移り住み始めました。 その後、鹿島・息柄の両大神を合わせおまつりし、東国三社明神のお社として村人・近隣の人々を守り続け、約730年の時を経て現在に至ります。 また亀有の地は、古くは「亀無」「亀梨」と呼ばれていました。元々この辺りの土地は沼地が多く、亀の背のような島状の土地でありました。そのことから「亀のような形をなす土地」として地理的状況から「かめなし」という土地名が生まれたと考えられています。当時葛西御尉(神領の一種)の範囲と所領高を明記した応永五年(1398)の「下総国葛西御尉注文」や、北條氏や家臣に諸役を賦課するために各人の役高を記した永禄二年(1559)の「小田原衆所領役帳」にはいずれも「亀無」「亀梨」の記載がみられます。 

「亀無」から「亀有」となった由来は諸説様々で定かではありませんが、「なし」の意味を嫌ったものと思われます。正保元年(1644)江戸幕府による「正保改訂図」から「亀有」としたようです。  

前回報告時に登録読者さんから教わった「亀有」の由来が確認できました。その節はありがとうございました。少し知識の集積ができています。

 

「ラ・ローズ・ジャポネ」同様、社務所にも日本建築にこだわらない神主の心持ちが現れているようです。

 

こうして「少年よあの星を目指せ!両さん像」を確認(来社目的を忘れそうでした)した次第です。

亀有の町中に戻ります。

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