荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

宇迦八幡宮式年大祭準備完了

2024年08月14日 | 散文

宇迦八幡宮の提灯が夏日を白く弾いて真夏の風景です。

久しぶりに、境内に足を踏み入れます。氏子でも無い、縁もゆかりも無い神社です。時々思いついて覗きに来ます。

もうすぐ式年大祭なんですね。

境内には干田庄兵衛の石碑が有ります。以前住職に聞いたところ、本社は空襲で焼失して移転して来た為、記録が残っていないので、謂れは分からない、との事でした。でも、こうして祀っています。「みがわり地蔵尊」の幟があるので、住民の身代わりになった干田庄兵衛さんを祀っているに違いないのですが、なんでそうなったのかが分かりません。

話を戻します。干田庄兵衛さんの祭りではなくて、「宇迦八幡宮」の祭りの準備です。

住職が幟を立てて、私の隣で出来栄えを確認している処です。

時々覗きに来るのは、この「軍馬盛敬號ノ碑」に変わったことが起きていないかを確かめる為です。隣の住職に質問します。やっぱり先代の住職から聞いた冒頭の話と同様、何も新しい情報はありません。

裏には、「軍馬盛敬號は元騎兵伍長榊原平三氏の乗馬たり」で始まる、石碑を建てた謂れが記載されています。日本人の多くが読だであろう「坂の上の雲」という小説があります。主人公の一人秋山好古が、日露戦争で当時世界最強と謳われたコサック騎兵団と、中国奥地で互角に渡り合ったシーンがあります。その戦闘で実際に戦った軍馬の碑です。 この石碑を覗きに時々来ています。

それと共に、下町らしからぬこの静謐ぶりが気に入っています。

新たな情報を得てやって来ました。今度の住職が教えてくれました。宇迦八幡宮は、商店街の交番辺りに在ったのことです。私は、盛敬號の主人榊原伍長は、この界隈の出身ではないかと想像しています。だから彼の氏神である宇迦八幡宮に盛敬號の石碑が有るのではないかと思っています。

「干田5丁目」です。隣の地名が「海辺」です。今は随分と海から遠いですが、昔はこの辺りが海で、干し上げて田んぼを造ったと想像できます。「宇迦」とは食糧のことです。五穀豊穣と大漁を祈念する氏神様です。冒頭の「干田庄兵衛」さんと関連があるように思います。そして、盛敬號の主人榊原伍長は、この界隈の半農半漁の家に生まれたのではないでしょうか?

もう民家ばかりの商店街です。商店街の名前も分かりません。

道路を渡って見る交番と商店街です。しみじみと眺めます。

えっ? いや、例大祭には行きません。思い入れはありますが、氏子じゃ無いし縁もゆかりも無いもの。

 


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