あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

みをつくし料理帖 に 重なる物語

2014-09-15 20:38:31 | インポート

みをつくし料理帖 の著者である 高田郁氏推薦の物語を読みました。著者は中島要氏、物語の主人公は 着物に込められた思いを汲み取り、しみ抜きなどその再生のために心を込めて尽くす 着物始末屋・余一です。

みをつくし料理帖の主人公:澪が、市井の人々が喜んで食の楽しさや喜びを味わうことができるよう旬の素材を生かした料理づくりに専念するように、この物語の主人公:余市も、着物に込めた人々の願いや思いを深く受け止め、古くなり擦り切れた着物に新たな命を吹き込みます。

一つの着物に関わって、さまざまな出来事や事件が生じます。余市は、そういった着物の始末を通して、込められた願いや思いをよみとり、人々の心まで紡いでいきます。

物語の筋にあたるものを縦糸とするならば、この物語が魅力的なのは、横の糸にあたる 余一やお糸など 登場人物たちが 存在感があり、お互いに関わり合う中での心の動きも丁寧に描かれ、奥行きのある物語に仕上げられていることです。その点でも、一人ひとりの登場人物たちが魅力的であった みをつくし料理帖 の物語にも重なるものがあります。

着物の始末屋:余一を主人公とする物語は、これまで3巻が発刊されています。「しのぶ梅」、「藍の糸」、「夢かさね」 と続く シリーズです。

そそっかしい私は、タイトルの魅力に惑わされ、3巻から読み始め、登場人物への説明のなさに違和感を感じながら読み進めてしまいました。それでも、読了した時点で次の巻を読みたいと思い、他の2冊の表紙を見て気づきました。読んだのは3巻だったということに……。以下、1巻・2巻と読み進めることで、読み終えた3巻の内容を改めて深く理解できたような気がしました。これから読む人には、是非1巻から読むことをお勧めしたいと思います……?。

暗い過去をもった主人公の余一が、自らの幸せまで手に入れることができるのかどうか、目を離せない物語との出会いとなりました。新たな物語との出会いを橋渡しして下さった高田郁氏に、心から感謝です。 是非、一読を!

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朝日新聞への期待

2014-09-13 18:57:40 | インポート

社長の謝罪と辞任・編集責任者の解任、さらには本日(9/13)付けの朝刊では天声人語と社説欄で、謝罪とこれからの新たな方針が述べられていました。

新聞社としての土台を揺るがす一連の出来事だったわけですが、潔く非を認め謝罪し、今後の報道の在り方について 『反証となる事実や異論に謙虚になるという原点』を心に刻まなけれぱならないという言葉に、新たな信頼をおきたいと思いました。

『……一番重く受け止めなければ指摘〈読者やほかのメディアからの批判〉の一つは、「自分たちの主張に都合の良いように事実を集めたのではないか」だと思います。』  これを防ぐためにも反証の事実の謙虚な受け止めと 池上氏のコメントのような異論に対する寛容な受け止めが大切なのだと社説で述べています。

天声人語の末尾では、『砕け散ったもののかけらを、時間はかかっても拾い集める。そして信頼を一から作りなおしていく。深く自省する中で、朝日新聞が言論の一翼を担っていく気構えには揺らぎがないことも、あわせてお伝えしたい。』 と述べています。

私個人の中でも、これまでたくさんの反省と失敗体験があります。その非を背負いながら痛みとして感じ続けることで、少しはまともな一歩が歩めるのではと考え 今を生きているところがあります。

個と組織では形態や論理が異なるかもしれませんが、新聞社の最前線で活躍する記者の一人ひとりにとっても、今回の騒動は改めて何をよりどころに報道にあたるかという提起になったのではないかと思います。

朝日新聞が信頼される報道機関として、組織としても その組織の主体となる個としても、確かな道を歩んでいかれることを 愛読者の一人として 改めて期待したいと思います。

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朝日新聞への不満と期待

2014-09-06 10:55:04 | インポート

朝日新聞の愛読者の一人なのですが、慰安婦報道や池上彰さんのコラムの掲載拒否といった新聞社としての対応に、強い不信感を抱きました。

4日付で、池上さんのコラムは、掲載を見合わせた対応が不適切だったということで掲載されました。池上さんと読者への謝罪、さらには池上さんのこのことに対するコメントも掲載されていました。

池上さんは、コメントの中で 「~過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました」 と書いています。これは、今回の掲載拒否の過ちに対する謝罪は認めるが、コラムに書いた誤報道に対して求めた謝罪は、まだ果たされていない という主張でもあると思いました。

コラムの中での池上さんは、8/5・6に掲載された 32年前の慰安婦報道に対する検証報道に対し、過ちを訂正するなら、謝罪もすべきなのではないかと述べています。また、32年間も検証をされずにきた事実に、遅きに失したという思いも綴っています。

コラムの終わりは、次のように結んであります。

「朝日の記事が間違っていたからといって、『慰安婦』と呼ばれた女性たちがいたことは事実です。これを今後も報道することは大事なことです。でも、新聞記者は、事実の前で謙虚になるべきです。過ちは潔く認め、謝罪する。これは国と国との関係であっても、新聞記者のモラルとしても、同じことなのではないでしょうか」

私も全く同感です。検証するのになぜ32年という時が必要だったのか。そのことに対する説明と謝罪、報道に対する朝日としてのこれからの姿勢について、明らかにすることが必要なのではないかと思います。そういった対応ができてこそ、朝日への不信を 信頼に変えていってくれるように思うのですが…… 。

今日6日付の新聞には、池上さん連載記事の掲載を見合わせたことに対する 読者へのおわびとその間の経緯が掲載されていました。

しかし読んでみて思ったのは、すんなりと納得できないもどかしさです。

掲載をしなかった理由としてあげられたのは、

「~ 慰安婦問題を掲載して以来、本社には言論による批判や評価が寄せられる一方で、関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為などが続いていました。こうした動きの激化を懸念するあまり、池上さんの原稿にも過剰に反応してしまいました。~ 」 

                            ということでした。

かっての報道の過ちを認め潔く公表した以上、そのことに対して激しい反応や批判が出てくることは予想できた事ではなかったのでしょうか。それを正面からあまんじて受け止め、報道の正義を貫く姿勢を謝罪の言葉と共に明確に示していくことで、読者の信頼も得られていくのではないでしょうか。

今回の一連の騒動は、新聞社としての報道姿勢が問われる問題なのではないかと思います。私が残念に思ったのは、今回の説明はコラムの掲載された4日付で出されるべきではなかったかということと、紙面の34面ではなく1面や2面で扱われる内容だったのではないかということです。この問題を真正面から受け止め、反省をもとに報道の原点に立ち返って臨んでいくという決意や姿勢に欠けるような取り扱いだったのではないかと思えるからです。

不信から信頼へ、その道がまだまだ見えない現状なのではないかと感じています。

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香川選手〈サッカー〉の移籍

2014-09-04 20:01:15 | インポート

ドイツのドルトムントからイギリスのマンチェスターユナイテッドに2年前に移籍した香川選手が、再びドルトムントに移籍することになりました。ドルトムントのファンはもちろんのこと、私自身もこの移籍をとてもうれしく思っています。

ユナイテッドでの2年間は、辛く苦しい日々だったのではないかと思います。ケガのために出場できない期間はあったものの、監督の意向やスター選手が多く集まるチーム事情もあって、出場機会が少ない不遇な状況にありました。試合というステージに立てないということは、チームが自分を必要としていないということでもあり、必要とされてやって来た選手にとっては何よりも耐えがたい屈辱の日々だったのではないかと思います。

ドルトムントでの輝かしい実績を積んだ香川選手の不遇を見たドルトムントファンは、活躍の場を封じられた香川選手の救済を願い、ドルトムントへの復帰を願っていました。本人にとっては、活躍を夢みて世界的にも有名なクラブに移籍したものの、それが叶わず移籍することに痛みのような思いを抱いていたのではないかと思います。

でも私は、活躍の場が与えられなくても、試合に出るための準備や練習での努力を続けてきた経験は、決して無駄ではなく、新たなドルトムントでのプレーに生かされていくのではないかと思っています。

家族のようなファンやチームメート・監督<香川選手の言葉を借りると>に迎えられ、2年前の輝きとは異なる 新たな輝きを ファンやチームに示してくれることと思います。

ドルトケントのファンと共に、これからの活躍と輝きを 見守っていきたいと思います。

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アゲハの幼虫ラッシュ

2014-09-01 21:34:11 | インポート

鉢植えのミカン・ユズ・グレープフルーツの木に、アゲハの幼虫がたくさん住みついています。食べられた葉をながめながら、行く末を心配しています。幼虫の数に対し、その食欲をまかなえるだけの葉がないように思えるからです。無事成虫に至るまで,葉が足りるといいのですが……。葉の残りと幼虫たちの成長ぶりを観察していきたいと思います。三つの鉢植えをつながるように並べて、葉に余裕のある木に幼虫が移動できるようにしておこうと考えています。

NHKラジオ恒例の夏休み子供科学相談を聞いていたところ、「アリや昆虫のような小さな生物にも、脳があるのかどうか」 という質問がよせられていました。回答者の先生が、危険を察知したり、集団での合図をおくったり、状況に応じて体をすばやく動かすことができたりするのは、人間の脳の働きとの違いはあるが、小さなアリや昆虫にも立派な脳がある何よりの証拠だと答えていました。

アゲハの親が、子供たちが好んで食べる植物に卵を産みつけるのも、脳の働きなのかもしれません。ただ、子供たちが無事に育つまで葉の分量があるのかどうかまでは、予測不可能だったのでしょう。

どれだけの幼虫が無事成虫まで育つことができるかどうかはわかりませんが、側面からその様子を観察し見守っていきたいと思っています。

半身をもたげてじっとしていたり、せわしく葉を食べていたり、枝から枝へ移動したり、1センチにも満たない幼虫の愛らしいしぐさに、思わず微笑んでしまいます。

脳と同時に、一匹一匹に尊い命があるのだということを実感します。

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