10月28日(金)
昨日から信州・佐久にきている。
家内の母を見舞うためだ。
▲ いつもの佐久の常宿、道の駅 ほっとぱーく・浅科 での朝。
きょうの天気は曇り。
浅間山も雲で、かすんでいる。
先般、この辺りでとれる五郎兵衛米の新米を買った旨を書いた。
ブロガー・ヒトリシズカさんから、その道の駅の裏に記念館があるよとご教示をうけた。
▲ 午前中は時間が空いているので、きょう早速裏道を歩いて行った。
さすがに刈り入れは全部終わっているようだ。
▲ ちょっと高台に五郎兵衛記念館があった。
▲ この道の駅がある辺りは「五郎兵衛新田村」というが、この記念館は新田村の歴史を長く後世に伝えようと昭和48年に設立された。
五郎兵衛新田村の歴史は、群馬南牧村出身の市川五郎兵衛の歴史。
五郎兵衛が小諸藩の許可をえて、江戸時代の初めに用水路を開削したことにより開発された村だ。
▲ 館長さんが、五郎兵衛用水について熱弁をふるって説明してくれた。
(ポロンもしっかり黙って聞いていた)
五郎兵衛用水は、遠く(八ヶ岳)蓼科山山中の湧き水を源水として引かれた、20kmもの長い用水路だ。
▲ この用水が完成したおかげで、上質の米が生産できるようになった。
用水路の技術は高く、その後その技術が各地に伝播したとか。
記念館見学のあと、ホーム(施設)に義母を迎えに行った。
(ボクはアッシーをしているだけなのだが)
昨日は昼食はもう終わっていたので、軽食喫茶で一緒にお茶を飲みながら家内は話を聞いた。
▲ きょうは、お昼をお気に入りのうどん屋で食べるためだ。
▲ 手前の大きな御膳はボクの。
家内と義母は、そんなに食べられないので麺の丼だけだ。
家内は、辛抱強く話を聞いていた。
ボクは、何度もドリンクコーナーへ行っておかわりをしている。
昨日から信州・佐久にきている。
家内の母を見舞うためだ。
▲ いつもの佐久の常宿、道の駅 ほっとぱーく・浅科 での朝。
きょうの天気は曇り。
浅間山も雲で、かすんでいる。
先般、この辺りでとれる五郎兵衛米の新米を買った旨を書いた。
ブロガー・ヒトリシズカさんから、その道の駅の裏に記念館があるよとご教示をうけた。
▲ 午前中は時間が空いているので、きょう早速裏道を歩いて行った。
さすがに刈り入れは全部終わっているようだ。
▲ ちょっと高台に五郎兵衛記念館があった。
▲ この道の駅がある辺りは「五郎兵衛新田村」というが、この記念館は新田村の歴史を長く後世に伝えようと昭和48年に設立された。
五郎兵衛新田村の歴史は、群馬南牧村出身の市川五郎兵衛の歴史。
五郎兵衛が小諸藩の許可をえて、江戸時代の初めに用水路を開削したことにより開発された村だ。
▲ 館長さんが、五郎兵衛用水について熱弁をふるって説明してくれた。
(ポロンもしっかり黙って聞いていた)
五郎兵衛用水は、遠く(八ヶ岳)蓼科山山中の湧き水を源水として引かれた、20kmもの長い用水路だ。
▲ この用水が完成したおかげで、上質の米が生産できるようになった。
用水路の技術は高く、その後その技術が各地に伝播したとか。
記念館見学のあと、ホーム(施設)に義母を迎えに行った。
(ボクはアッシーをしているだけなのだが)
昨日は昼食はもう終わっていたので、軽食喫茶で一緒にお茶を飲みながら家内は話を聞いた。
▲ きょうは、お昼をお気に入りのうどん屋で食べるためだ。
▲ 手前の大きな御膳はボクの。
家内と義母は、そんなに食べられないので麺の丼だけだ。
家内は、辛抱強く話を聞いていた。
ボクは、何度もドリンクコーナーへ行っておかわりをしている。