青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

穏やかな 秋の陽ざしの中で

2017年11月11日 15時27分02秒 | 文芸・アート
11月6日(月)

棒ノ嶺に登った翌朝の駐車場。



▲ 平日の朝、こんなところにいるのは当然ボクのクルマだけで。

きょうもいい天気。よく眠れた♪

散歩に行こう。






▲ 道ばたの桜に白い花が、ちょぼちょぼと咲いている。

この桜の樹、四月にも花を付けていたと思うが・・




▲ 調べてみると、十月桜というらしい。

11月から12月上旬に咲く。
もちろん春にも咲く。


 

▲ 駐車場の隣の原っぱに、きのうから大きなテントが張ってあった。

見ると今日だれかが、もうひとつのテントを張っていた。


尋ねると


▲ ここに、複数のテントを設置するようだ。

有料で泊まれる施設にする計画らしい。
グループで手軽にアウトドアを楽しめるようなサイトにするとか。
来年の夏までに本格営業を目指すということだ。

Camping with Soul Japan株式会社

。。。。

散策の他には、



▲ クルマの中で、

窓を少し開けて風が少し入ってくるようにして、午前、午後この本を読んでいた。

(ほんとうは、これがキャンピングカーライフで一番やりたいこと)




▲ どちらも話題の新刊本。

午前中には 「生きていくあなたへ 105歳どうしても遺したかった言葉」 を読了。
午後には 「孤独のすすめ 人生後半の行き方」 を中途まで読んでいた。

「生きていく」はご存知、聖路加国際病院の日野原先生の本。先生は今年7月に逝去。
「孤独の」はこれまた人生論教祖感のある85歳五木寛之の本。「下山の思想」の続編だ。

二人のメッセージは、好対照

日野原の結びは、「感謝に満ちた気持ちで、キープオンゴーイングを続けましょう」。
五木のそれは、「高齢期になれば、シフトダウンしてひとり孤独を楽しみましょう」。

具体的には、前者はあくまで人生での他者との出会いを大切にして、後者は一人でも本との出合いで、回想の中での充実した孤独は捨てたものではない、と説く。

この二人の違いは
前者が師と仰ぐのはもちろんイエスキリスト・キリスト教。後者は他力本願の親鸞・仏教。根ざす宗教が異なることにもよる。

しかし、二人の違いは根本的には幼児体験の違いから来ているのだろう。
日野原は牧師、クリスチャンの尊敬してやまない両親との生活をへて。対して、敗戦時朝鮮で父と子供の前でソ連兵に乱暴される母を座視した過酷体験(「大河の一滴」)を持つ五木。人生観が異なってくるのは当然であろう。

自分はどちらの考え方を取るべきか、または別になるのか・・・

自然の中でじっくり思索するのに、この二つの本は大いに参考になった。


おお、もう4時だ。
この山間(やまあい)では、日が落ちるのも早い。
そろそろ帰らなくては。



やはり 読書の秋

2017年11月01日 07時42分01秒 | 文芸・アート
11月1日(水)

秋はご存じのように、読書の秋 とも言う。

枯葉がハラハラと落ちる音を聞きながら、 本を読む。
そして思索にふける・・
世界はどうしてこんなに苦悩に満ちているのだろうか・・・


うむ、ついぞやってないことだ。
リタイヤしたら読書の量が増えるかと思いきや、いや逆だ。むしろ減ってしまった。
まとまって休みが取れるようになった分だけ、走り回る のが増えたのだ。




▲ これはイカン、アホになると思って、池袋の三省堂へ行って、タメになりそうな本を買い込んできた。





▲ とは言うものの、まずはお出かけの参考本だ。

どうも最近、精力お出かけへの意欲が減退している。刺激となる本が必要なのだ。

「日本三百名山(下)」 ~東北・北海道に行く前に(上)は買った。今度は関東・中部以南の山情報が要る。
「日本百低山」 「東京発半日旅」 ~行く先対象は拡げたほうが良い。後者の「休日の半分を使って新しい大人旅へ」のコピーはいいねー。
「旅に出たくなる日本地図」 ~これが、行き先の決まっていない長期旅に出たとき旅プランで役に立ちそうなのだ!

で、この地図本を紹介しよう。



▲ 地図の表記が標高にそってジオラマ風に書かれている。

自分が行こうとするところが、山の中なのか平地に出て行くのかビジュアルに把握できて、未だ見ぬ地を想像し決定する際の大きな手助けになる。





▲ さらに場所(主に山系)によっては、鳥瞰図的に描かれている。

このページは、「八ヶ岳・諏訪湖周辺」で「高原と湖畔を楽しむ」という副題が付いていて、行く前から全体の位置関係、高低が立体的に分かる。

確かに、この地図本は眺めているだけでも日本各地の想像が膨らんで、楽しそうだ。旅に出たくなる♪


旅関係以外のタメになる本も、もちろん買った。



▲ エッセー、評論等の新書版だが。

「孤独のすすめ」 ~85歳五木寛之の最新のエッセーだ。いま、シフトダウンするとき・・なのか?! いや、まだ20年ある??

とにかく、こーゆーのも読んで、少しはモノを考えないとだめだ。



いっぺんにこれらを買ったら、諭吉さんが飛んで行ってしまった。
ま、投資だ。錆びつかないように自分の頭への投資だ。


後書き




▲ 三省堂のポイントカードの統合。

レジのおねえさんに、「同じポイントカードが2枚持っているのだけど、統合できないかな?」とおずおずと尋ねた。「ご自分でカードのPC登録が終わっていればできるのですが・・」「PC登録はまだしてないよ」「・・お待ちください」
言われるままに住所・生年月日等個人情報をシートに記入した。
「ではこれで、こちらでPC登録をして事後的に統合しておきますので」と1枚のポイントカードを返された。

「え、そちらで登録してくれるの?」
「はい、お客様の中にはPC対応ができないかたもおられますので、そういう場合はこちらでやりますので」

ハハハ・・ このじじーはPCは使えないと見なされたのだ。

(単に登録が面倒なのでほっておいただけなのだが)

「お世話おかけしました。ありがとうございました」

と、じじーらしくお礼を言ってその場を去った。

うむ・・。やはりアタマをこれ以上錆び付かせていかん。PCも使えなくなるかもしれないぞ。

やはり読書の秋 だ。




「北の国から」を巡る

2017年08月14日 14時00分32秒 | 文芸・アート
8月13日(日)



▲ 道の駅南ふらの での朝。

無情な小雨は降り続く。

思い起こせば、去年の8月は北海道には断続的に台風が押し寄せて、小雨どころか大雨が降り、洪水を引き起こした。
南富良野も洪水で農作物に甚大な被害が生じたと報道されていた。

そんなものに比べれば、今年の少雨続きなんかはずっとマシということになるが・・

出発。

富良野の麓郷(ろくごう)へ向かおう。



▲ 麓郷へのショートカットの道途中で、奇妙な造形物を発見(笑)。

何か牧草みたいなものを天日干ししているのだろうが。
みんな雨ガッパを着ている。


ほどなく麓郷へ到着。

麓郷はご存知、倉本聡脚本のTVドラマ「北の国から」の舞台となった地だ。
そのロケ地が今も点在し、保存されている。
それを今回は巡りたいと思っていた。



▲ 「北の国から」は、おもに80年代、90年代に断続的に続編が放映された。

ボクはちょうど2回の海外勤務をしていた時期にあたり、ドラマは知ってはいたし、実際ここのロケ地を、過去に富良野に来た時、覗いてはいた。
しかし、ドラマ自体を見ていないから全く感動もなかった。

それが、今年の年初からフジテレビがBSで全編を再放送した。

で、ボクとdecoは、ようやく「北の国から」が何なのかを知った。

ということで、今回改めてロケ地を巡ってみたいと思ったしだいだ。

ロケに使われた五郎の「自宅」は三箇所、「五郎の石の家」・「丸太小屋」・「拾ってきた家」に分散して保存されているが、載せる写真は物語に沿って順番を変えた。



▲ 「最初の家」。

81年にドラマが始まった中で、結婚が破綻して東京から戻った五郎が廃屋同然の家を修理し、水を引き、風力発電を作った家。




▲ ドラマにしょっちゅう出てきた五郎のニッサン。





▲ 「丸太小屋」。

五郎の手で完成した丸太小屋。東京からの出稼ぎから帰ったその日に当時一緒に住んでいた正吉と純の火の不始末から全焼してしまった。

純がこのストーブ↓の上で何かを乾かしたまま、外出したのだったかな。







▲ 「三番目の家」。

丸太小屋が全焼した後、初めての時の様に離農した農家の廃屋を直して住むようになった。
純が父への誕生日プレゼントにした風力発電の装置が、屋根に見える。




▲ これは五郎の家ではない。五郎ちゃんはこんなのは食べない。

ロケ地サイト内にあるカフェで。
麓郷の森フォカッチヤサンド 600エン。
詰め物はパンプキンを選んで。


五郎の住んだ家は、かように複数あるのだが、中でも一番有名なのは次の「石の家」だろう。



▲ ロケーションも良くて、少し森の中を歩いていく。






▲ ああ、あれだ。





▲ 五郎はもっとしっかりした丸太小屋を建てようと計画したが、東京に出てガソリンスタンドで働く純はタマコを妊娠させてしまい、誠意を見せるために金を作ろうとして、丸太小屋を諦めた。で、ただで積み上げられる石を使って、コツコツと建てたのがこの石の家。

内部は、










▲ 「純と結の家」

東京から戻った純は、清掃業のかたわらで集めた廃品で家を作る。

クルマのフロント部分が使われている。




▲ 最終編「遺言」で五郎が雪子の為に作った家。スキー場のゴンドラが窓代わりに埋め込まれていたり、これも廃材を目いっぱい使ったユニークな家。

内部はこれだけでも、アートとして珍重されそうだ。



売店では、


▲ 「北の国から」関連グッズ、資料本、DVDがいっぱおかれている。

ま、ボクはそこまではマニアにはなれないが(笑)。




▲ 富良野地区には、この花があちこちで群生している。

先ほどのカフェで尋ねてようやくその名前がわかった。

オオハンゴンソウ。

五郎の遺言文にもオオハンゴンソウが咲く麓郷と、言及があった。



五郎の家関連ロケ地はこれくらいにして、「北の国からロード」を走ってみる。
  


▲ 地井武雄の経営する「中畑木材事務所」と、純と蛍が通っていた「中の澤分校」。今は本当に廃校になっていて地区の集会所に。



    

▲ 純が涼子先生(原田美枝子)とUFOをみた所。

この森の先をずんずん入ったところにあるのだろうが・・・
ボクもUFOを見たいが、今日は行けない。


ふらのジャム園で今回もジャムを買ったあと、



▲ 麓郷展望台へ上がった。

向こうに富良野市内が見える。







そこに咲く花も綺麗だった。




  

▲ JR富良野駅 に寄ってみた。

物語では、出迎え・別れの感動的なシーンが繰り返されたスポットだが。

もはや、素朴な停車場のイメージはない。



夕方に、どういう基準か知らないが、ネットで富良野で1位になっていたこのレストランに来た。



▲ リゾートインノースカントリー

ホテルだ。




▲ チーズフォンヂュ 1200エン(税前) とノンアルコールビアで


美味しかった。

がそれでも食べたりなかったのか、クルマに戻って時節がらスーパーで安売りしていたオハギを2個も食べてしまった(笑)。

十勝産のこし餡が、めっぽう旨かったので。








ニセコ町・有島記念館を訪れる

2017年07月22日 09時30分07秒 | 文芸・アート
7月21日(金)

羊蹄山15日に登って以来、1日小樽へ出かけはしたが、ずっとニセコ近辺を根城にしている。




▲ 今日は、ニセコ町立の有島記念館へ足を運んだ。





▲ 記念館は、羊蹄山とニセコアンヌプリを眺めるふもとにある。

500円の入館料を払って中に入る。




▲ 最初にビデオをご覧ください、ということで。

ビデオは有島武郎(ありしまたけお)の生涯とニセコ町のかかわりを簡潔に説明してくれる。

有島は東京の生まれではあるが、札幌農学校へ進学する。
卒業後アメリカ、ヨーロッパへ留学・遊学後、白樺派の流れをくむ作家になる。
父親がここニセコのマッカリベツ原野を国から払い下げをうけ不在地主として開拓を始める。
後を継いだ有島は、1922年に農場を小作人全員の共有として無償解放してしまう。
キリスト教、開放運動の影響をうけた極めて理想的な生き方をしようとした。
文壇での地位を短期間で確立するのだが、何を考えたのか1923年に婦人公論記者・波多野秋子と別荘で心中する。




▲ レンガ壁に囲まれた1階2階の有島資料室。





▲ 記念館の橋にはタワーがあって、そこからの展望。

こちらも雲がかかっていてみえないが、ニセコアンプリの山。




▲ ブックカフェがしつらえてあって、休憩だ。





▲ 珈琲には三種類ある。

みんな有島の小説の名前をかぶせている。

深め焙煎の「生れ出づる悩み」だな。

~ 苦味の奥にほんのり甘酸味(希望)も感じられます・・今は苦くても、必ず春はやってきます・・

おお、苦味が希望か、いいじゃない。

春はもういいから、涼しい夏がいいけど。




▲ 涼しい夏への希望を持ちながら味わった。





▲ おまけに、このコーヒー豆まで買ってしまった。





▲ 小さい売店もあって、有島武郎の文庫本を売っていた。

「カインの末裔」「或る女」「惜しみなく愛は奪う」「一房の葡萄」等々。

ボクが読んだのは「一房の葡萄」のみ。小学校か中学校の国語の教科書に載っていただけだが。

ミッション系の小学校で級友の絵の具を盗んでしまう主人公。それをやさしく諭す女先生の話だったかな。




▲ 有島記念館だけが編纂した「有島武郎ニセコ三部作 カインの末裔/親子/秋 」を買った。

雨でどこにも行けない時にでも読んでいよう。


外に出る。

依然、曇り空。



▲ 有島武郎の銅像。

じゃ、またね。




▲ 庭に、ハーブが咲いていた。

夏だものな。




「君の名は。」 を観て

2016年11月23日 21時22分43秒 | 文芸・アート
11月23日(水)

久しぶりに映画(アニメ)を観に行った。



▲ 地元のシネマコンプレックスへ。11時上演。

お決まりのキャラメルポップコーンを食べながら(笑)。

観たのは、もちろん超話題作 「君の名は。」



▲ 映画を楽しみたいというより、この映画が人気を博し、話題になるのは何故か? ということに一番の興味があった。
とはいうものの、自分も楽しめたらそれに越したことはない。

【楽しめたか】

楽しさを上中下でいえば、中の普通かな。
ストーリーとしては起承転結が弱い。転でのドラマチックさ、意外さはあまりないのでは。


【なぜ人気があるのか】
若い男女がある日入れ替わっていた、という筋立ては目新しく、興味をかきたてるであろう。これは丸。

成りたいと思うイメージに、ある日自分がなっていたらという変身願望は特に若い世代にはアピールするであろう。同時に、若者に特有の自分イメージの不確かさ、不安定さ、そして自分が何を求めているのかもはっきりしない、主人公たちの在り方は、彼らの共感を得るだろうな、とは思った。

それと運命的な異性との出会い願望、もこの映画では提供される。

年寄りが、変身願望、不安定なアイデンティティ、人生目的の混迷に悩む・・ことがないとは言わないが・・
固くなってしまった心情にはあまり響かないのではないだろうか。



【なぜまた見たくなるのか】

見たあと、もう一度見てみるリピーターが多いと聞くが。
もしあの時こうしたならその後の運命展開はこう変わったという観点から、元々のAシナリオ人生と変更後のBシナリオ人生が混在してストーリーが展開するので、分かりにくい点がある。その分かりにくい部分を二度見ることによって明確にしたいということなのだろう。
しかし、荒唐無稽なストーリーをそこまで理解しようとしなくても・・とボクなどは冷めて思ってしまうが(笑)。




【アニメの絵は本当に綺麗か】
アニメの絵が綺麗だという感想は多いようだ。これは確かだと思う。

遠近差を際立たせて立体感のあるシーン↑、マクロで接写したようなシーン、背景をボカシて近景を印象づけるシーン、太陽光線での陰影シーン、これら写真撮影のテクニックを多用している。それらを手描きではなくてCGを用いて写真画のような精緻なアニメ画に仕上げているのは見事だ。おそらく、宮崎駿のジブリアニメとの違いではないか。


60歳以上の方は、シニア価格1100円でご覧になれますよ。
世の中の動きに関心のある方はどうぞ。



「君の名は。」予告編から





智恵子の生家

2016年10月12日 21時28分48秒 | 文芸・アート
10月12日(火)

昨晩は、奥岳登山口近くの道の駅つちゆにて車中泊。

午前中はゆっくりしたあと、午後より下山。
二本松市内の安達町へ向かった。

この町には智恵子の生家が保存されている。




▲ 智恵子の生家は裕福な造り酒屋だった。

屋号は「米屋」、酒銘は「花霞」。
智恵子の部屋はこの二階にあったという。




▲ 母屋の裏口。




生家の裏庭には、「智恵子記念館」がある。

ここには、晩年病に侵された智恵子が制作した紙絵を中心に、当初の油絵等が展示してある。

パンフレットから智恵子の生涯をたどると

1886年(明治19年)1歳 長沼今朝吉、せんの長女として生まれる。
1903年(明治36年)18歳 日本女子大学高に入学。油絵に引かれる。
1907年(明治40年)22歳 卒業。洋画家の道を選んで東京に残る。
1911年(明治44年)26歳 青鞜が創刊されその表紙画を描く。光太郎のアトリエを訪ねる。交流始まる
1914年(大正3年)29歳 光太郎詩集「道程」刊行。駒込のアトリエで光太郎との生活を始める。

1914年


1915年(大正4年)30歳 窮乏の中での充実した二人の制作生活が続く。


 大正15年アトリエにて

しかし病気がちで1年に3,4カ月は郷里で過ごす。

1929年(昭和4年)44歳 長沼家が破産、一家は離散する。
1931年(昭和6年)46歳 統合失調症の最初の兆候が現れる。

転地療養を繰り返す。

1935年(昭和10年)50歳 南品川のゼームス坂病院に入院する。
1938年(昭和13年)53歳 没。死因は久しく蝕んでいた栗粒性肺結核。
1941年(昭和16年)光太郎が詩集「智恵子抄」を刊行する。


智恵子の生家の後ろの鞍石山には、「智恵子の杜公園」が整備されている。

光太郎と智恵子はこの丘をよく散策したという。



▲ 詩碑の丘。

階段を上がっていくと



▲ 智恵子抄からの「樹下の二人」の有名詩碑がある。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点々があなたのうちの酒蔵。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた
空気を吸おう。

あなたそのものの様な此のひんやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、

ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。



うむー、光太郎の智恵子個人を深く理解し、愛する心情がにじみ出ている・・。




▲ 同じくこの丘からは、安達太良山が望まれる。

真ん中のポチだよ。もう分かるねキミも。

時間がもう遅いこともあるが、残念ながら今日も青い空は見れなかったが。

静かに燃える純愛の世界をここで見たような気がした。



人生を語り始めた吉田拓郎

2016年09月12日 22時02分12秒 | 文芸・アート
我らが世代のスーパーヒーロー吉田拓郎。
最近とんとその動向は知らなかった。
またガン再発とかで体調が悪いのだろうかと思っていた。

ところが先週土曜日、NHK総合 Songs 23:30~で拓郎がメディアに登場することを知った。

その録画を今日見た。



拓郎は今年4月に70歳になったそうだ。WAO!
今月下旬からライブ活動を開始予定。
Songsでは、そのリハーサルに潜入し拓郎に密着取材したという触れ込みだった。

題して~今だから人生を語ろう





この副題はご存じ、1974年発表の彼のヒット曲「人生を語らず」を踏まえている。

今はまだまだ 人生を語らず
目の前にも まだ道はなし
越えるものは すべて手さぐりの中で
見知らぬ旅人に 夢よ多かれ
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず





桑子アナの、今年になってなぜライブなのかという質問に対して拓郎は、

「70歳をこのあいだ体験した時ね、随分元気が足らないというのか、エナジーが足らないと自分で思っているのですよ。体も精神も心もね、何か燃やす、燃えるものが足りない。もっと燃えていたはずだというのがちょっとないな、という実感があるのです。」

「それは歌っていないからかもしれないということに気付いて。1年半以上やってませんからライブとかを。歌わなきゃいけない、歌ってみて自分を試してみたい。ちょっと一生懸命本当に歌うんだという気持ちで、命がけでライブをやってみたいという感じが芽生えてきて。」

「燃えてみたいんですよ、燃えてみたいんです何か。燃えたぎった情熱を持ったままステージへ行って。
燃えたぎった70歳でやってみたいというか、すごくあるんです。」

と、長い引用になったが答えていた。


そして70歳になって作った歌を披露した。

「ぼくの新しい歌」
ぼくは新しい歌を作ったんだ
君が好きだって 内緒で書いたんだ

・・・

色んな季節を君と歩いてきて分かったこと
愛してるって なんて照れくさいんだ
愛してるって なんて照れくさいんだ




これは、「ぼくはウチのヤツと一緒にいる時間が好き。趣味は何ですかと聞かれたら、ぼくはウチの人と言いたい。」と言うほどの拓郎の奥様森下愛子への、公然の賛歌だ。

そして、いつまでもラブソングは作り続けたい、ラブソングのない音楽なんて話にならない、と拓郎は言い切った。


今は人生を語れますか、という最後の質問に対して、

今語れるような気がしますね
(人生の)道のりは長かったし、太い所細い所色々あった。
ただそれらも、不思議なことに、音楽をやっているとパーッと消える。
いいですよ、音楽の中に浸っていると、
幸せだなー、音楽ってなんて素晴らしいだと思いますね


音楽と妻への愛、これが吉田拓郎がたどりついた人生の結論だ、ということだろうか。
難解なところもある人生ソングを若い時から歌ってきた拓郎。
その彼が70になってたどりついた地平は、実にピュアでシンプルだ。
それが「越えてきた」証(あかし)なのだろうか・・


10人の高齢者がいれば10人10色の人生が語られるはずで、拓郎の人生は拓郎のもので、私の人生ではもちろんない。

しかし、アラセブ(70代)の新しいライフステージに入ってもなお、燃えるものを求めようとする拓郎。そんな拓郎をみれば、やはり嬉しいし、自分の人生を求め続ける者にとっては大きな励みになる。

ライブを見てみたいなあ。










追加追記:2016.9.18

吉田拓郎 「人生を語る編 SONGS 2016」【HD】


吉田拓郎 「リハーサル編 SONGS 2016」【HD】


追加追記2:2016.12.24

拓郎が選ぶ自己ベスト5

1.人生を語らず (1974)
2.朝陽がサン (2001)
3.Woo Baby (1983)
4.僕の道 (2012)
5.ガンバラナイけどいいでしょう (2009)

Songsスペシャル(12.13)より

野口里佳 写真展 / 夜の星へ

2016年01月17日 15時50分00秒 | 文芸・アート
1月16日(土)

スキーにも行けず。どうしょうか。

小説家平野啓一郎が日経アートレビュー欄で、また新しい写真展を紹介していた。

「野口里佳写真展 夜の星へ」 (2月8日まで)

じゃあ、久しぶりに写真展に出かけてみるか。



▲ ということで、池袋駅から山手線に乗ってここJR品川駅に来た。

品川駅周辺が大きく変わった、ということはもう何年も前から聞いていた。
しかし、1970年代のイメージしか持ち合わせていないボク。
どんなになったのだろう・・
品川駅 港南口から出る。



▲ WAO!

巨大なビル群が目の前に現れた。




▲ インターシティというのか。

これはオフイスビル街だな。
今日は土曜日で企業は休みだから、サラリーマンもいなくて閑散としている。

そういうビル街で、きょうの写真展はある。
キャノン本社ビルのキャノンSタワー1階だった。




▲ キャノンギャラリーS

常時写真展を入場無料でやっているようだ。

野口里佳(のぐちりか)は、1971年生まれ、埼玉県出身。ベルリン在住。

中にはいってみる。

ベルリンの夜、二階建てバスに乗って眺めた町の写真が30枚ほど展示されている。
一番奥のコーナーには、彼女が同じくバスから撮った夜の町のフイルムが、延々と流されている。



▲ 展示ポスターにもなっている一枚。




▲ パンフレットから転写した展示写真。

一見して分かるように、写真に共通するのは街の灯り、車のライトの灯りがボヤーとした光を放っていることだ。
雨上がりの夜なのだろう、道路が濡れたように光を反射する。
その光は都会の星、人工的な夜の星。
そうであってもそれに照らされる夜景からは、
暗闇の安らぎと、同時に街の華やかさが、かすかに温かみを持って伝わってくる。

外国のビルの車の夜景には、かなりの時期そこに住んだボクは、忘れていたあの時の思い、郷愁のようなものを感じてくる。


もし白内障になれば、こんなに光も丸くボヤーっとして、物体もかすんで見えるのだろうか。
それはかなわん、と思いつつも、これはこれでいい世界なのだ。
全部がくっきりはっきり見えればいいわけでは無い時もあろう・・・


とかなんとか、よく分からないまま、タダで見たのだからそれでも良かろう(笑)、という思いになって写真展を出た。




▲ キャノンのショールームも当然併設されていた。

新型のカメラ、コピー機の展示がある。




▲ ライブラリーには、昔からの歴代のキャノンカメラが。

ボクなんかは、コンデジ(カシオ)で満足している者だからほとんど関心は無いが・・。


昼食をどこで食べようか。
品川駅に戻る。



▲ アトレ品川のビルに入って。

トライベッカ品川という店で。
もう2時半だったので、ラストオーダーに近い中で。



▲ T-SHOCK とかいうセット1180円 を注文。

サラダバー、ドリンクバー込みで、ゴボウと鶏肉のシチュー?
ドリンクフリーだから、時間をつぶすのには良さそうではあったが。


deco さんからはパンを買ってきて、と言われているのでベーカリーにも寄る。

とにかく、いつもの近所のスーパーのパンでは買えないモノをと、



▲ はい。当店1位の「プレッツエルクロワッサン」280エン を。

プレッツエルの硬みと塩味を表面に保ちつつ、中はクロワッサン生地で。




▲ 第3位の「カラメルアップル」300エン も。

中にはリンゴ片を散りばめ、甘く柔らかく焼いたもの。
これは味が容易に想像つく。

それに、右上端にのぞく緑色のグリーンティースコーン280エン も。

これで田舎のパン屋とは十分差別化されたパンを買ったから満足してもらえるだろう。


~・~・~・~・

池袋駅へ戻ってきた。

すると地下コーンコースに行列が



▲ なんで、こんな通り道の真ん中に列を作るのか?




▲ ちょっと離れたところの店の行列の続きだ。




▲ シュークリームだ。シュクリム・シュクリという店。

なに、なに・・ 皮に栗がコーティングしてある のがウリのシュークリームだな。
甘い、いいにおいが漂ってくる。

オレも並ぼうか。
アホ、並んでるのは女ばかりだぞ。

大都会の際限のない消費生活に惑わされてはいかん(笑)。
今日はこのまま帰ろう。



『日本百名山』・深田久弥は高校の先輩だ

2015年05月23日 00時00分04秒 | 文芸・アート
5月23日(土)

知らなかった。
深田久弥がボクの高校の先輩だとは。

はっきり言って、あの『百名山リスト』とかにはネガティブな思いを持っていた。
いや、リストが悪いわけではない。
「百名山踏破を目指している」とか「百名山登頂おめでとう!」とかの言いぐさが(キライなの)だ。
理由は自分が登れないことを知っているからだ(笑)。

で、深田久弥なんかは無関心(名前は知ってたが)だった。

 深田久弥著・日本百名山(1964) 新潮文庫

▲ ご存じ『日本百名山』は、山を登るものなら誰でも知っている。本を読んだことはなくても、そーゆーリストがあることは、みんな知っている。だから、「ここは百名山の○○山で・・」等、みんなが言及する。

キミたち百名山のリストに載っているからその山、登るの?
リストが無かったら、山登りしないの?


と、ボクは憎まれ口をきいていた。いや正しくは相手がいないので、つぶやいていた。


 

▲ しかし『百名山』の著者の深田久弥(ふかだきゅうや)が、ボクの高校のご先輩となると、話はがぜん変わってくる。

先月、高校の東京支部の同窓会会報初夏号が送られてきた↑。
そこに、昭和30年卒の女性の先輩が「深田久弥と『日本百名山』」という文を寄稿されていた。

それによると、

久弥は、生まれは1903年に石川県大聖寺町(現加賀市)だが、大正10年に旧制福井中学を卒業し、作家の道に進んだ、とある。福井中学は現在の福井県立藤島高校(ボクの高校)の前身なのだ。
この寄稿をされた方は、20数年前、夫が「君の先輩が書いた本だ」と『日本百名山』勧めてくれたが、ずっと読まずにほおっておいた。しかし田中陽希のNHKグレートトラバース~日本百名山を機に、初めて読んでみてその美しい文章に惹かれた。しかも山を楽しく読み学べるようになっている。もっと若い時に読んでいたら、より楽しく登山もドライブなど旅行も出来たのに、とこの方は書いておられた。


「えーっ! ほんと? あの深田久弥が高校の先輩になるのー? 知らんかったー・・」


それならと、さっそく↑新潮文庫の『日本百名山』750円(税別)を買ってきたのだ。

彼は北の利尻岳から南の宮ノ浦岳(屋久島)まで順に100山を一山あたり4ページほど費やして紹介している。ちなみに私の登った覚えのある二十ほどの山について読んでみた。

その書き方は、その山の山容の見事さ(品格)にまず触れて、山の(歴史)をひもとく。特に山の名前の由来をたどる。同時にその山の(個性)的な特徴点に目をつけて紹介する。

いわゆる山のガイドブックは、基本的にはコースガイドであって、山が持つ歴史・文化的な側面はほとんど触れない。(それでいいのだけど)

でもこれは、違う。
これは、何座いっぺんに踏破してきたと誇る肉体派登山向けでも、霊験あらたかなパワー求めの現代修験道登山向けでもないし、単に自然礼賛の耽美派登山向けでもない。

 深田久弥先輩

これは、教養登山向けだ。アマゾンのコメント欄で誰かが実にうまく言い当てていた。
古今東西の古典の読破が「教養」を育むように、全国各地の頂きを極めることが人生での財産になる。山を総合的に経験することを目標とする「教養登山」向けだと。

ボクはなぜ山に登るかと聞かれれば(誰も聞いてくれないが・笑)、「哲学をするため」と半ば冗談で半ば本気で、常日頃答えていた。独りで登るから、(登りがキツイ時は別だが)登りながら色んなことを考えながら、振り返りながら登っている。そして進む道がはっきりすることがあるのだ。




ということで、先日の大菩薩嶺の山歩きを手始めに、事前にこの本を読んでから登ることにしたわけだ。
これからは久弥先輩と山の見かたを比べながら、それを楽しみながら登りたいと思う。

ボクの登り方は、山を自分を見渡しながら、ゆっくり楽しく登ることさ。
さあ、次はどこを登ろうか。



木漏れ日の魅力

2014年08月09日 18時54分49秒 | 文芸・アート
8月9日(土)

暑い日でも、木陰に入ると涼しい。
ほっとして、目を木陰にやると陽の光が、頭上の樹の枝の隙間からこぼれ落ちる。
そして光は、葉の黒い影とキラキラと戯れて揺れる。 
ああ、きれいだなあ。

木漏れ日・・ お好きな方は多いことだろう。
私も大好きだ。


十二ヶ岳で

今週木曜日の日経アートレビュー欄の巻頭特集は「木漏れ日」だった。

この「木漏れ日」という言葉は、外国語にはなかなか訳語が見当たらないらしい。
日本人にはたった4文字で伝わるその情景は、日本の里山に深く根ざしているという。

雨量が多い日本の土地は、放っておけば森林になっていく。この森の国で人々は原生林に立ち向かい、太陽光に満ちた生活圏を切り開いてきた。下草を刈り、低木を除き、高木を間引きして生み出してきたのが里山だ。
里山は建材や薪、キノコ類などが採れる恵みの森。その森の樹齢20年ほどで伐採される比較的若い木々の枝葉から、降り注ぐのが木漏れ日だ。

日本人は、木漏れ日の情景が好きだ。
光の芸術といわれるルノワールやモネなど印象派の絵画が日本で人気が高いのも、そんな国民性と無縁ではないらしい。


「陽光の中の裸婦」 Torse de femmme au solei

▲ 木漏れ日に輝く女性を描いたルノワールの傑作とされる。画題に、au solei(日だまりの)とはあるが、木漏れ日という言葉は無い。それもそのはず、フランス語や英語にはこの情景を一語で言い表す言葉がないのだ。

だが、日本人は異国の絵からも直感的に光のまばゆさを感じ取り、共感する。


日本人の木漏れ日感は、黒沢明の「羅生門」にそのまま表されている。



▲ 左は、冒頭のシーン。志村喬の扮するキコリが、夏の木漏れ日を浴びて森の中をどんどこ分け入って行くところから始まる(原画が古くてすみません)。ボレロの音楽とともに、光と闇が後ろに飛ぶように流れていき、観る人の不安感は高まっていく。右は、木漏れ日の下で人妻役の京マチ子が三船を意思に反して受け入れていく場面。

黒沢明は、木漏れ日が妖しくきらめくさまを要所にはさみ、登場人物の揺れ動く心などを表現した。直射光の撮影はそれまでタブーだったが、世界はかえってその映像効果の斬新さに驚いたという。その着想の背景には、木漏れ日に近い日本人の暮らしがあったのだろう。木漏れ日は日常性を現わすとともに、心の闇ともいうべき非日常をも表す。奥が深い。


私も、木漏れ日が大好き日本人。
光と影の混在する写真は一般的に映えるが、中でも木漏れ日の光と影は、陽光の明るさを際立たせて、「希望」みたいなものを感じさせてくれて好きだ。

で、ごたくはここまで(笑)。


ブログから「木漏れ日のベストファイブ」を選んでみた。(ホントきみは暇、好きだね)


第一位 里山の木漏れ日



当然でしょ、これは。写真は群馬県小野上の低山・十二ヶ岳に登った時のもの。
ブナ、クヌギ、ナラといった里山に典型的な低木で覆われている。

山歩きをしていると、上から陽がさし木々が光っているところがよくあるよね。
そんな時、上を見上げてみよう。
緑の中にチラチラする木漏れ日が、網膜にいつまでも輝いて残るよ。

関連日記: 「群馬小野上、12ヶ岳登山」13.6.8


第二位 スキー場の木漏れ日



これは、鹿島槍スキー場のう回路を滑っていった時。
林道とかオフピステは、天気が良ければ木漏れ日をいっぱいに楽しめる。
白いキラキラ雪面に木々の黒影が映り、上は青い空。木漏れ日も私も躍動する。
たまらない美しさ。

関連日記: 「若くて凛な 鹿島槍スキー」13.1.4


第三位 寺社参道での木漏れ日



寺社の参道には、両脇に高い杉木立が植えてあるところが多い。
そこに朝など陽光が差し込むと、神々しくも清々しくなる。

これは、戸隠神社奥社の参道。杉の香りとともに、光り輝く参道だった。

関連日記: 「戸隠古道トレッキング」11.11.4


第四位 秋の木漏れ日



木漏れ日は陽の光だから基本的には明るいイメージだ。
しかし、秋の木々からこぼれ落ちる陽の光は、どこか弱弱しい。
落ち葉とともに、光と影の織りなすシルエットは美しい。
美しいが、どこか消えていく美しさだ・・
近くのI 公園で。

関連日記: 「晩秋の公園、ポロンと」12.11.16


第五位 自宅裏の木漏れ日



今は亡き(無き)自宅裏の雑木林への思い出を込めて。オマージュ。
早朝に朝陽が差し込んだところを2階から眺めた。

私の住んでいるところは、いわゆる武蔵野の端。小さな森や林が点在している。
しかし残念だが、宅地化の波はここにもきた。

関連日記: 「朝」 11.6.25



もっと木漏れ日の写真が収蔵されているかと思ったが案外少なかった。
木々と光と影がそろったシーンは難しいのか、私が鈍かったのかもしれない。

これからは、もう少し意識して木漏れ日の魅力を探してみようと思う。