日本橋高島屋で開催中のウィーン世紀末展に行ってきました。
連休中だったものの夜間は空いててとても快適。
ああ、ここにくれば素晴らしい時間が過ごせるのになんでひとが少ないのかなあとか思ってしまう。
やはり、クリムトとシーレが中心ですが、他にも面白いなあという絵を発見できて満足しました。
グスタフ・クリムト「愛」
左右の金地バックのバラが素敵。額でこの境目が分割されているのです。
そして、今まさにキスをせんとす男女。
しかし、画面情報には女性の顔、顔、顔。この部分さえ見なければうっとりとした気分で充たされるだろうに。
特にこの左の紙の長い女性は掛け軸に出てくる幽霊に近い感じで怖かったです。
グスタフ・クリムト「パラス・アテナ」
うーわー。
これはやばかったです。
神性を帯びてるのに野蛮を秘めている感じ。金は見事な描写なのですが、この目です。
目が病的!同じ金でどうしてこうなるんでしょう。
金色(こんじき)は魔性の色ってことですかね。
グスタフ・クリムト「彫刻」
色の素敵なのはもちろんですが、こういった柔らかいトーンのもよかったです。
でも、よく見てみると顔がいっぱい。
何か顔にこだわりがあったのでしょうかね。
クリムトの生い立ちが気になるところです。
エゴン・シーレ「意地悪女」
一目見てきっつい女性だなあと。
意識から立ち昇る表情の醜さの見事。
で、解説を見てびっくり。なんとモデルはシーレの妹で当時16歳だったそう。
ちょっとその年齢には見えませんよね。でも、作品として完成度が高いので気持ちはちょっと複雑。
エゴン・シーレ「ひまわり」
すごく寂しそうな印象を受けました。
本当なら太陽の光をうけ燦燦と輝くひまわり。笑顔をイメージする夏の花。
それいがこんなにも疲れてるように見えてしまう。
左右にそれぞれだらっと垂れた長い葉が腕に見えてきます。やはり、ひとですよね、この姿。
そして、地面には暗いオレンジの花。
ひまわりの花は顔に見えるので、きっとこのオレンジの花も顔だと思うのです。
そう考えて見るとゾッとします。
朽ちたものたちの首がさらされてる地面。。。
エゴン・シーレ「自画像」
というわけでそのシーレの自画像です。冒頭のチラシとだぶりますがいい絵なのでやはり載せてしまおう。
この表情が絵具の塗りのむらのある感じ。そして、顔の右横にある一見すると髪に見える黒いもの。
ゴーギャンの自画像から引用したという顔の花瓶。
カラフルな色と白と黒の配置とバランス。
見ていて目が(いや、頭が)飽きないのです。よく出来た絵です。
あとすごく気になった絵がアリマシタ。以下の3点。
カール・モル「メートリングの眺め」
なんてこのない景色。
ところが箇所によって描写がことなるのです。
遠景は印象派のような点描チックなテイスト。
街の建物はまあまあ普通。
そして、手前の山?の描き方が変。面が乱れてるとでも言ったらいいんでしょうか。
何かぐしゃぐしゃとしててとっちらかってるのです。
リヒアルト・ゲルストル「リヒテンシュタイン宮殿」
建物だというのになんか傾いてしまってるのです。
でも、筆の勢い的にオッケーと思えてしまう説得力。むしろ、この個性こそが好き。
言葉にしずらいですね、こういう絵は。
ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユングニッケル「マース河畔にて」
川を埋め尽くさんばかりに舟がもくもくと煙を吐いて進んでく。
この空の塗りのいびつ。妙なエネルギーうごめいてるカオスな感じ。
これ、ちょっと見たことの無い絵でした。
あと、もう一点。ちょっと気になったなあというのがこちら。
マックス・オッペンハイマー「十字架降架」
タイトルから分かるようにキリストが十字架から下ろされる場面。
一見、キュビズムかと思うくらいカクカクしてる。
ですが、よく見てみると布の部分のみそういう描写になってて人物の描写は形をとどめてる。
既知のバランスを崩されるので妙だなあと印象が残りました。
やはり夜間に空いた状態でゆっくり鑑賞というのが一番よいですね。
10/12まで。