建立は1482年、室町幕府八代将軍足利義政によることは、覚えていたのだが・・・
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足任せ、バス任せは、車で来ていないので思いのままに動けて良い。
五条坂のバス停で待っている時一番先に来たのが、銀閣寺方面行きのバスだった。
目的がなかったわけではないが、そこはバスをもう一度乗り換えなければならないので、次の機会にしようと、涼しいバスの中に乗り込んだ。
銀閣寺には、若い頃2~3度来ているが、来るたび感動の対象が違って新しい発見がある。
総門から50メートルの竹垣、石垣、椿の生垣の参道を歩いて中門までの間に、室町時代へと心を誘われるような気持ちになる。
中津川~大井
私の希望をかなえてもらいました。
ひとコマ、ひとコマを思い出されます。
”大谷さん”には京都の従姉妹の父親が祀られています。
戦争で亡くなり、お骨は戻りませんでしたが、昨年亡くなった叔母に連れられ行ったことがありました。
どちらも懐かしい場所です。
ありがとうございました。
コメントを拝見して嬉しく思いました。
明日もう1日銀閣寺にお付き合い下さい。
思い出辿りをしていただけてよかったです。
ありがとうございました。
金閣寺・銀閣寺も通称だとは知っていましたが・・・正式名称は北山と東山が付いていたとしか覚えていませんでした。
学生の頃に行ったきりでしたので、ほとんどが新鮮に見ました。今考えると何も記憶に残っていないのが恥ずかしいです。
anikobeさんのブログから学ぶ事ばかりです
本文の中には恥ずかしくて書けなかった事です。
今は、何でも、ブログの目でものを見てる自分に気が付きます。
新しい発見はそこから生まれるって事かもしれませんね。
そうしたら、見るもの聞くもの皆、楽しくなってきます。
ブログに感謝
読んでくださる方に感謝
楽しい今に感謝 です。
歳を重ねますと、謙虚さが無くなり、恐縮ですが、私事を少々…
時間に余裕の出来た、6年程前から近くの特養に週3回、各3時間ほどのボランティアを続けています。お年寄りの話し相手が中心ですが、大正~昭和初期の歌が特に喜ばれます。まあ、皆さんと一緒に楽しんでいるのが実情です。
社会人と異なり、適当という言葉が通用しますので何とか続いています。ブログで報告?するのが鉄則かもしれませんが、anikobeさんのブログを借用して申し訳ございません。
月はおぼろに東山
霞む夜毎のかがり火に
夢もいざよう紅桜
しのぶ思いを振袖に
祇園恋しや だらりの帯よ
夏は河原の夕涼み
白い襟あしぼんぼりに
かくす涙の口紅も
燃えて身をやく大文字
祇園恋しや だらりの帯よ
これ、4番まであるのですよね。
ボランティアで、特養の方のお相手をしていらっしゃるのですね。
きっと皆様、歌を唄うことやお話を楽しみにしてその日を待っていらっしゃることでしょう。
精神的にも身体的にも、歌を唄うのはとてもいいそうです。
私たちの公民館活動でも、ホームの方との交流のための歌を通した行事が年1回ですがあります。
そのために、ホームの方たちは一生懸命その日に向けて練習するそうです。
誰かのためにお役に立っていることは、自分のためにも大切だと思います。
ご活躍を祈念しております。
されているようですね。活動の輪が広がって行けばいいなと思います。
おっしゃる通り、ボランティアはギブ アンド テイクですよね。可能な限り継続して行こうと考えます。
「祇園小唄」すらすらとお歌いになられそうですね。カラオケの映像は、京都の名所めぐりでして、御所、金閣寺、嵐山、清水、加茂川… 4番までいろいろ紹介されます。一度ゆっくり廻ってみたいと思います。
カラオケの映像は、とても綺麗なご当地名所があって
その映像が見たくて、カラオケスタジオでトライする歌など時々あります。
「祇園小唄」は誰に教えてもらったわけでもないのにいつの間にかメロディーが先に頭に入っていて・・・
なつかしのメロディーなどには、こんなのがよくありますよね。
今はめまぐるしく新しい歌が出ますので、公民館活動で習ったのしか覚えられないのです。
スタジオで、とても心温まる親娘と出会ったことがあります。いつかブログに登場できたらいいなぁと思っています。暑いですね。ご自愛下さい。
行っていながら見ていなかったところがたくさんあります。今度行ったときはいろいろな角度から見てみたいと思いました。有難うございます。
哲学の道もゆっくり歩かれたのですね。
以前、春、クラス会で真如堂に泊まって、あの辺りからずっと歩きました。ですから西田幾多郎氏の碑を見ておりません。いい歌ですね。
その時、その時によって、視点も変わってきますから、きっと私も、今度行きましたら、新しい発見があることだろうと思います。
そういうのがあるから、再びの訪れへの興味が尽きないのでしょうね。
有り難うございました。