「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

アクセス稼ぎ

2004年12月11日 00時14分53秒 | 哲学的に
あれ?昨日ここに書いてあった記事が消えている。結構たくさん書いたのに、見てくれた人は、さぞお怒りのことでしょう。詐欺に遭った気がしてる人もいるんじゃないかな。タイトルがタイトルだし、ごめんなさい。内容は大したことないので改めて書きませんが、アクセスが少ないから実験的にどんなのが受けるのか、考察してみたまでのことです。いっそのことアダルティックな内容に踏み込んでやろうかなと思ったりもしたけれど、考えてみればこのブログのこと一部関係者に伝えてあるんだよね。ばっかじゃないの!と自分で思うわけで、ブログなんてものは自分の素性が知れてないから好き放題書けるわけで、素性が知れたらどうにもならないじゃんね。自分で自分の首閉めてるんだから、しょうがない。別の所にあたらしいブログでも立ち上げるかな。でもその関係者見てんのかな?アクセス数を見ると、毎日5名は来てる、新記事マニアなのか、偶然に行き着いた人なのか、それとも固定ファンの人(まずあり得ない)なのか分からない。よくもまあ、こんなブログに来てくれる人があると思う反面、僕は受け入れられないのかという寂しさもある。ランキング上位のブログの内容に文章では負けているつもりはない。しかし、万を超えるアクセスにはそれなりに理由があるわけで、そいつをつかまなければ自分の表現を他人に理解してもらえるとは思えない。ブログは自分を表現しながら、実は自分自身を赤裸々に理解していく過程でもあると考えられ、一種のカウンセリング効果も望めるのではないかと思われる。そしてそれは紙の日記という閉じた空間でなくマジックミラーに映し出した自分のようにある種の社会性を持ちつつあるのではないか。
 ブログは情報交換の場という意味を持つが、見る人の意識にはたぶんに他人の日記を覗くという秘密めいた快感が絶対あるはずで、ライブドアーの9割以上を占めるアダルトブログに見事に引っかかるのもそういった意識が下地にあるからだと思う。覗く快感と、顔だけ隠してヌードな自分をさらし、評価される快感を人は少なからず持っている。自分という人間の存在を世間とか、立場で武装した自分じゃなくて下着を取った素肌をさらし、その皮膚存在をアクセス、コメント、トラックバックという3つの指でさわってもらい感じたいと思っている。多くのブログの主が実に控えめにコメントをもとめる姿は、初めて素肌をさらす少女の恥じらいに通じるところがあり、痛々しいまでに可憐である。とは言え、当方齢40過ぎのおじさんであり、プロフィールに関する限りブログ主としては高齢者であり、アクセス数が伸びるとはとても思えないのである。今度から別方面に進出しよう、関係者の方目をつぶっていてください。

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