コメントするのって勇気が要りますね。
勇気を必要とする根拠は恐怖心だと考えていいのではないでしょうか。
コメントしたことによって傷つけられる恐怖心。
ただ傷付き方ににも、その傷の深さにも色々あって、それぞれ違うと思うのです。
コメントすることによって人はどのように傷付くのでしょうか。
無視される。
非難される。
削除される。
自分のブログに乗り込んでくる。
コメントした相手を傷つけてしまう。
具体的に挙げてみるとそんなに数はないのだと言うことに気付きます。
そしてそういうことが滅多にないことも私たちは知っています。
とすると実は僕達は上に上げたような具体的なものでなく、もっと漠然とした恐怖からコメントをためらうのではないかと思うのです。
つまり僕らの恐怖感は相手に対してでなく自分の内側にある何かに原因を求めているのではないかということです。
その原因というものを色々考えたんですが、極端な話、自分が自分のことをあんまり信用していないことから起こるのではないかと思うのです。
ということは僕らのコメントに対する一種の恐怖感って、完全ではない自分が他人に受け入れてもらえないかもしれないという不安であると言ってもよいのかなと思います。
だからコメントをするときに僕らは、その記事の書き手の何処を見てるかというと、その人が自分でも受け入れてくれる人かどうか、つまりより優しい人を、というより優しい言葉遣い、もしくは懐の深そうな文脈を手がかりにしているのだと思います。
という観点でブログを見ていくと、閲覧数は少なくてもコメントが沢山つくブログの存在も無理なく説明がつくのではないかと思ってます。
そういう点では、僕みたいなおじさんブログは脇が甘い部分がいっぱいあって、どうしても年下の人には上からものを言うような口調も出てくるし、元来が鋭くて厳しいツッコミが信条の僕としては、コメント数が拡がらないのも頷けるわけです。
それなりに気を付けているんだけどなあ。
まだまだ修行が足りないようで、反省しきりです。
次はどうなりますことやら。
勇気を必要とする根拠は恐怖心だと考えていいのではないでしょうか。
コメントしたことによって傷つけられる恐怖心。
ただ傷付き方ににも、その傷の深さにも色々あって、それぞれ違うと思うのです。
コメントすることによって人はどのように傷付くのでしょうか。
無視される。
非難される。
削除される。
自分のブログに乗り込んでくる。
コメントした相手を傷つけてしまう。
具体的に挙げてみるとそんなに数はないのだと言うことに気付きます。
そしてそういうことが滅多にないことも私たちは知っています。
とすると実は僕達は上に上げたような具体的なものでなく、もっと漠然とした恐怖からコメントをためらうのではないかと思うのです。
つまり僕らの恐怖感は相手に対してでなく自分の内側にある何かに原因を求めているのではないかということです。
その原因というものを色々考えたんですが、極端な話、自分が自分のことをあんまり信用していないことから起こるのではないかと思うのです。
ということは僕らのコメントに対する一種の恐怖感って、完全ではない自分が他人に受け入れてもらえないかもしれないという不安であると言ってもよいのかなと思います。
だからコメントをするときに僕らは、その記事の書き手の何処を見てるかというと、その人が自分でも受け入れてくれる人かどうか、つまりより優しい人を、というより優しい言葉遣い、もしくは懐の深そうな文脈を手がかりにしているのだと思います。
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そういう点では、僕みたいなおじさんブログは脇が甘い部分がいっぱいあって、どうしても年下の人には上からものを言うような口調も出てくるし、元来が鋭くて厳しいツッコミが信条の僕としては、コメント数が拡がらないのも頷けるわけです。
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