雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州古代史 地名編 4 浜松市浜北区「八幡」

2011年10月06日 06時04分52秒 | 遠州古代史
遠州古代史 地名編 4 浜松市浜北区「八幡」

 前項「遠州の遺跡・寺社 52 浜北区・八幡の八幡神社」を書きましたが、地名としての「八幡」は、現在、浜北区八幡として残っています。

 「浜北区八幡」は、浜北区の東の端で、東は天竜川の河川敷と接しています。

 この地名「八幡」は、「八幡神社」があったからこの地名ができたのではなくて、ここにたくさんの秦氏が古代から住んでいたからこそ、この地名になり、その信仰の中心が「八幡神社」だったのではないでしょうか。

 つまり、神社「八幡神社」 → 地名「八幡」なのではなくて、
 
 ここに住んでいた部族「秦氏」 → 地名「八幡」
            同   → 神社「八幡神社」

 

 

遠州の遺跡・寺社 52 浜北区・八幡の八幡神社

2011年10月06日 05時33分07秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 52 浜北区・八幡の八幡神社

 浜松市浜北区(旧・浜北市)だけで、「八幡神社」が6つ、「八幡宮」が6つ、合計で12,あります。

 これは、その一つで、浜北区八幡109番地にある「八幡(やはた)神社」です。どうも、これ以外の「八幡神社」は「はちまんじんじゃ」で「八幡宮」は「はちまんぐう」と読むようです。

 「八幡地区」にある「八幡神社」という点でも、もしかしたら、この付近で一番古い「八幡神社」という可能性もあるのではないでしょうか。

 全国で「八幡神社」「八幡宮」は2万以上あるそうです。

 これらが全てでないにしても、古代の渡来氏族である「秦(はた)氏」の氏神であり、秦氏の分布と深い関係にあることは、誰も否定できないと思います。

 「八幡」の「八」は、8ではなく、「多い」という意味でしょう。

 北九州市の新日鉄は、むかし「八幡(やはた)製鉄」と言いました。
 
 神社は南向きで、南北軸の信仰の神社です。

 よくわからないのは、浜松の中心部(現在の中区野口町)にある「八幡様(はちまんさま)」は、中世の浜松の中心都市「ひくま宿」にあるのに、この浜北区八幡の「八幡神社」のある「浜北区八幡」は、いったい何があったのか?

 昔は、田んぼと畑だけのような気もしますが、古天竜川(あらたま川)が現在の位置を流れる前は、何か川の流れに消されてしまった何かがあったのでしょうか?