雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 10月2日(日)昼間 2人で車で浜北区へ放射能測定に

2011年10月03日 05時26分43秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月2日(日)昼間 2人で車で浜北区へ放射能測定に

 午前中は、ぼくは1週間で唯一、深夜勤務のない日ですので、土曜日夜からのんびりと本を読んだり、録画を見たり,お酒を飲んだりします。

 則子さん「お酒を飲んだり,飲んだり…でしょ?」
 ぼく「はい、すみません。だって、則子さん、一人で早く寝ちゃうんだから」
 則子さん「飲み過ぎないようにセーブしてね。アル中とか肝炎にならないか、心配なんだから」
 
 今日の午後は、2人で浜北区へ、放射線量測定器を持って,車を走らせました。

 ぼく「もう10月だね。早いね」
 則子さん「9月は早かったよね」
 ぼく「うん、やっぱり、ぼくらの歴史の転換点だった」

 わが家のある中区曳馬地域と違って、浜北区の、とくに今日測定した、東部から北部は、畑や稲の実った田んぼや、庭や空き地も多いです。

 「しなければならない」放射線測定をしながら、「したい」神社の探査をしました。

 則子さん「どっちが主なの?」
 ぼく「どっちも、主」

 だって「やりたいこと」「やらなければいけないこと」「やれること」を全部やれば、僕たちの2人の人生、何の不満もなく、満足です。

 2kmメッシュで放射線測定をするということは、実際にその現地に行って、現地の風を感じながら、その風景を見ながら、生きていくということです。

 2人で「あの花はなんだろ?」とか「ほら、ギンヤンマが飛んでる!」とか言いながら、測定し、写真を撮っていく旅は、すごく楽しいです。

 写真は、八幡川の岸に咲いていた彼岸花です。

 

雨宮日記 10月1日(土) 曳馬1丁目「福巌寺」で歌枕直美さんのコンサート

2011年10月03日 05時22分19秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月1日(土) 曳馬1丁目「福巌寺」で歌枕直美さんのコンサート

 友人から知らされて「万葉集を歌う!行きたい!」と言って、しかも自宅からすぐ近くの曳馬1丁目の「福巌寺」の本堂が会場です。

 昼間は、則子さんと父は、父の弟(つまりぼくの叔父さん)の奥さんが亡くなって「四十九日」の法要が、浅田の林泉寺であったので行ってきました。お疲れさま。

 夕方5時少し前に自宅を2人で出て歩きました。福巌寺に着いて、本堂で受付をして、3年前に改築したという本堂で、後ろ側の椅子席はいっぱいだったので、前側の座布団席の前から三列目にすわりました。

 歌枕直美さんの歌は初めて聴きましたが、澄んだ声がストレートに届いて、とてもよかったです。1回だけ途中、疲れたのか?音程が微妙に揺れる時がありました(則子さんと帰り「途中、声が不安定になったよね」「そうね、あの部分」と確認したので確かです。)

 第一部は、万葉集の歌で、第二部は、中世を題材に、いろんな古典から再構成した和歌劇「ざざんざ」ですが、これもよかったです。ただ、歌詞が聞き取れない部分もあったので、第一部のように歌詞をスクリーンに映した方がいいのでは、と思いました。

 歌枕直美さんは、大阪人で、大阪弁のトークもよかったです。歌枕さん、いわく「今日は後ろから埋まってますけど。大阪でコンサートをやると最初の列から埋まっていくんですよね」

 感動したので、CDを一枚づつ、2000円づつ出して、2枚「言の葉」と「やまとうた」を買いました。
 家で、聞き込んでいます。

  ☆

 天武天皇(=大海人皇子)の歌の所で、背景のスクリーンに銅鐸が出てきますが、これはヤマト国家の産物ではなく、ヤマト国家に征服された(という学説がある)文明のシンボルですから、ここに使うのは違和感があります。使うなら、やはり鏡か剣か玉が、ヤマト国家の「三種の神器」を使うのが妥当かと思います。



 帰り、8時直前に、閉まる直前のスーパー「丸滝」に余って、ウサギの豆子の夜食に「小松菜」を買って帰りました。家に帰って、則子さんは豆子に、自分の手で食べさせてました。
 ぼく「要介護ウサギか」。

 写真はコンサートのチラシの表紙です。