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雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月18日(木)朝 生と死、結婚式と葬儀の交錯する今週

2011年08月18日 06時23分04秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月18日(木)朝 生と死、結婚式と葬儀の交錯する今週

 16日の火曜日夜に、父の弟のTおじさんの奥さんKさんが亡くなったと聞いて、あたふたして、ちょうど12日に辞職した則子さんに、いろいろと対応してもらいました。

 それにしても、今週は、日曜日21日に、わが長女のTさんの結婚式を控えて、その準備がまだ終わっていなくて(まあ花嫁の父母ですので、たんに「花嫁に贈る写真アルバム」の準備がまだというだけですが)、結婚式の服の準備もあり、なんか忙しい気分です。

 生と死が連鎖して、過去から未来へ連なっていくんですが、それを途中で断ち切る死やアクシンデントもあるんですよね。

 ぼくは、別に、長女のTさんや、次女のIさんに「雨宮家を未来永劫、繁栄させてね」というような、おかしな期待は持っていないので。

 ぼくと則子さんは、子どもをつくりたいので、つくっただけですから。

 2人目のIさんは、ぼくが「経済的に2人目は無理じゃない」と「正論」を述べたのに、30代後半を迎えた則子さんが、悲しそうな顔をして「もう2人目は産めないのかな」と言って、ぽろぽろ涙を流したことから、則子さんの夫の智彦さんが「則子さんを悲しませたくないから」と、2人目をつくるけついをしたことからですから。

 前にIさんに「きみは則子さんの涙から産まれたんですよ」と言ったような、言わないような。

 結婚式の前の葬儀、たぶん、結婚式の感動の深さをつくってくれるような気がします。


雨宮日記 8月17日(水)夜 おじさんの奥さんのお通夜でした

2011年08月18日 06時01分22秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月17日(水)夜 おじさんの奥さんのお通夜でした

 父・節三さんの弟である浅田町のおじさんの奥さん「kさん」が、救急車で運ばれて急に亡くなったので、今夜は中沢でお通夜でした。 則子さんと相談して、ぼくは毎週外せない実務に行って、則子さんにお通夜に参加してもらいました。

 Kさんとは小さい頃の方が、話をしていたように思います。浅田町(当時は浅田町でしたが今は「浅田何丁目」になっています)の家へ、家族みんなで遊びに行ったこともあるような記憶があります。

 則子さんが帰って来て「娘さん姉妹のみなさんと話をして、むかし、智彦くんや智彦くんの妹とおじさんたちで、木曽の御岳に登った話を聞いたわ」と言っていました。

 そういえば浅田のおじさんに、小さい頃、佐鳴湖にハゼ釣りに連れて行ってもらった記憶もありますね。

 もしかしたら、佐鳴湖の付近で白い兎を見た記憶は、そのときのこと?小さい頃は、あまり「野外派」ではなかったので「家の中」や「図書館」が好きでしたから、自分だけでアウトドアにでかけることは、あんまりなかったですね。

 松城町の家から間近の、浜松城の「森」で遊ぶのも、かなり、元城小の友だちと約束したから、のような気がします。

 「そういえば…」という程度の淡い記憶がありますが、若い頃の精神的な病いのせいなのか、何か脳の欠損があるのか、今は20代以前の鮮明な記憶が、なぜかあまりありません。

 なぜでしょうね?

 小さい頃のことを考えると、こんなに「里山」や「生命」や「自然」にかかわるようになった自分に、びっくりしますね。

 則子さんには、明日も,葬儀に雨宮家を代表して参加してもらいます。よろしく、おねがいします。

 いま8月18日の朝、シャアシャワシャワとクマゼミさんが鳴いています。

 


震災・くらし情報 8月17日 「アメリカが3月16日在東京米人避難検討」

2011年08月18日 05時47分05秒 | 地震・原発・津波・防災情報

震災・くらし情報 8月17日 「アメリカが3月16日在東京米人避難検討」

 ネット「読売新聞」の記事で、アメリカが3月16日に、東京に住んでいるアメリカ人9万人全員を避難させる案をアメリカ国務省が検討していたと報道されました。

 9万人というのはアメリカ空軍横田基地やアメリカ海軍横須賀基地のアメリカ軍人が多数を占めるのでしょうか。

 この日、アメリカの無人偵察機「グローバル・ホーク」が原子炉の異常高温を観測し「すでに原子炉はメルトダウンしている」と判断したそうです。

 例の「沖縄人はゆすり」発言で辞任した元米国務省日本部長のケビン・メアさんが、19日に出版する「決断できない日本」(文春新書)で明らかにしたそうです。この3月の時点では、まだ国務省にいて、東日本大震災担当だったと思います。

 政府高官が避難を求めたのに対して、メアさんらが日米同盟を揺るがすことになると反対して実行されなかったそうです。

 どうなんでしょうか?いきすぎというべきか迷いますが、すくなくとも「メルトダウン」にたいして、それを公表せず、コッソリと「避難」指示を進めていた管内閣よりはましなのではないかという気もします。

 いま「福島市や福島県の子どもたちを避難させるべきか」が問題になっているとぼくは思いますが。そのこととの関連で、もっと考えたいと思います。