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雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月9日(火)の2 嵐に耐えて則子さんの船が戻って来ました

2011年08月10日 06時38分52秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月9日(火)の2 嵐に耐えて則子さんの船が戻って来ました

 6月からは、則子さんとしてはかなり長期の航海になる気持ちで「私、何才まで、ここで働けるかな」と言っていたのですが、急に天候が急変して則子さんのヨットを嵐が襲いました。

 ぼくは「一人ひとりが自分自身の船長」という言葉が好きで,則子さんにも「夫婦は、間近で航海している、それぞれ1隻の一人乗りヨットで、それぞれが船長だから、お互いに声を掛け合って支援はし合えるけど、操縦は自分で責任を持つんだよね」という話を、いつもしていました。

 最初は「天気晴朗」でしたが、だんだんと黒い雲がでてきて、ついに7月からは大嵐になりました。

 意外な展開でしたが、ぼくもビックリしてばかりではいられないので、則子さんのヨットの間近で、最大限の「近接支援」をしようと、声をかけたり、補給をしたり、必死で嵐の中を2人で2隻のヨットで航海しました。

 7月末になって、2人で嵐の中で相互通信をしあって「この嵐を脱出する」決断を則子さんがして、ぼくも実行案を提案して、やっとあと3日、8月12日には、嵐を脱出します。

 則子さんのヨットも、傷だらけの満身創痍ですが、なんとか無事で帰還してくれそうなので、ホッとしています。

 泣きたくなるくらい、うれしいです。

 12日の夕方には,玄関で「則子さん、おかえりなさい」と迎えたいと思います。

 しばらくは、青い空の下で、お日様が照る中、則子さんのヨット「メーヴェ」の点検と修理をして、リハビリテーションをして、過ごしましょうね。

 ぼくのヨット「カワセミ(翡翠)号」も,当分は、ヨット「メーヴェ」の真横に係留しておきます。

 リハビリは、やはり、自然の里山のなかでいっしょに過ごして、歴史と古代遺跡・古代神社をいっしょに巡って、星や銀河系や宇宙の137億年をいっしょに体験したいなと思います。

 137億年をいっしょに生きて、いっしょに死ねたら、いいな…
 あ!いっしょに死ぬのは無理ですね。「いっしょに生きて」いれたら満足かも。

 まだ、2隻のヨットは、海図では先がありそうです。もうすこし、いっしょに嵐の海を航海しようね。

 今は未来の航海の準備をします。

 
 

 
 

雨宮日記 8月9日(火) 「ぼくは誰?」「雨宮智彦は何者?」

2011年08月10日 06時18分35秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月9日(火) 「ぼくは誰?」「雨宮智彦は何者?」

 きのう、あまりに暑いので、「涼みに行こうよ」と、喫茶店で何人かで話をしていて「雨宮さんは活動家なんですよね」と言われて、すぐ「いえ、ぼくは1市民です」とあんまり考えずに即答しました。

 「ぼくは誰?」というのは、自分が本質的に何者なのかを知るという重大問題ですが、ふつう、かなり軽視されているように思います。

 「A 自分がどの団体に所属しているか」ということと「B 自分が個人として何者なのか」というのは、まったく別問題なのですが「A」が解決されれば「B」も解決されているような錯覚をしている人もいると思います。

 「活動家」というのは「組織活動家」という「団体のたんなる一員ではない重要な役員」的なイメージなのだと思いますが、たしかにぼくも則子さんも「団体の役員」はいくつか受けていますが、そういう肩書きが自分の人格にべったりとはりついて生きているわけではないです。
 
 たぶん歴史的に見れば、ロシア語で「アクティブ」という言葉を訳して「活動家」という感じでしょうか。ようするに「活発分子」みたいな。

 ボクも則子さんも、ふつうの活動家(「ふつうの活動家」なる人たちが実在するとして…)とは違い、かんたんに,明日、その肩書きをむしりとって、たんなる市民に戻れるところが違うんだと思います。

 ぼくは「素(す)の人間に戻る」と言ってますが。

 そういう意味で「市民」というのは、もちろん「浜松市民」の意味ではないです。「市民」の上に何か書くとしたら「地球市民」「宇宙市民」というのがぼくと則子さんの感覚に合っていると思います。

 そういう「地球市民」「宇宙市民」が、いろんな団体に加盟したり脱退したりする自由なイメージなので、一つの団体に加盟したら死ぬまで、その役員みたいな老化意識はありません。

 自由な個人の連合体が,未来をつくるのだと思います。あなたは、そう思いませんか?
 
 

本と映像の森 訃報(ふほう)「小松左京さん」7月26日

2011年08月10日 05時59分28秒 | 本と映像の森
本と映像の森 訃報(ふほう)「小松左京さん」7月26日

 「ぼくの大好きなSF作家」の小松左京さんが7月26日になくなられました。通常言われるような「日本の戦後SFを代表する作家」かどうかは、どうでもいいので、ぼくが大好きなら、いいのです。

 ぼくの好きな作品を「本と映像の森」でもいくつか揚げておきましたが、ここで今書いておくと…。

 長編でいちばんは「果てしなき流れの果てに」、2番目は「復活の日」、3番目に「継ぐのは誰か」、4番目が「日本沈没」かな。

 短編は,好きなのはたくさんあって、今日は疲れたので,書ききれません。

 評論で「未来の思想」も傑作だと思います。書棚のどこかにあるので出てきたら紹介します。

 もちろん自分で読んだ作品だけなので、まだ読んでいない傑作だという「虚無回廊」「さよならジュピター」などは意見を保留しておきます。死ぬまでにあと○年または○○ねんですから、それまでに読めるといいのですが。

 浜松中央図書館で「完全版全集」が取り寄せられるなら全部読みたいですね。電話で聞いてみます。