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感激の世界切手コレクション

2014年09月10日 22時46分10秒 | Weblog

 今日、たまたま書店で本を物色していたら、驚くべき週刊号を発見。前回、「大映特撮映画コレクション」を発見して大興奮であったが、今回もまた驚きのコレクションを発見した。前回のコレクションは、ディアゴスティーニ社のものであったが、今回の切手コレクションは、私があこがれていた「007シリーズ」を発刊したアシェット社であった。それも「世界の切手コレクション」というシリーズもの。幼少の頃から、切手には非常な興味を持っていた。しかし、どれも高価なものが多く、中々自身では購入できなかった苦い思い出がある。そのため、友人と切手交換してやっとのことで手に入れた希少な切手もあった。日本で、高価な絵柄の切手と言えば、かなりの希少価値のある「月に雁」や「見返り美人」等である。ともの江戸時代等に原画が組まれたもので、今では高価な切手になっている。そのほか、国宝シリーズや国立公園・国定公園シリーズ等・・・・。これらのものはシリーズで集めることに意義があるので、全作品がそろって初めて価値が出るものなのである。
 幼少の頃、近くに切手マニアのおじさんがいて、定期的に古い海外の切手を無償で分けてくれた。その時に聞いていたのが、希少価値の「ペニーブラック」という古い切手のことである。この切手の魅力を随分と聴いていたので、今回のコレクションには驚愕した。この初刊号には、当時英国で発行された伝説の「1ペニー」切手(当時は白黒だったので、「ペニーブラック」と呼ぶ)が、22金の復刻版として付録についているではないか?あの「ペニーブラック」の美女の横顔がそのままにである。これには感激なのである。希少価値の「ペニーブラック」の復刻版は、大歓迎なのである。あの当時の記憶が蘇ってくるのである。
 日本の古い切手も、非常に面白い。明治時代の切手などは、今も相当な価値がある。切手は古ければ古いほど、また、シートで保存されていれば尚更高価な価値を生む。切手図鑑を見ていると、たまげるほど高価な切手もある。日本万国博覧会当時に発行された切手シートや天皇在位記念切手も高額なものになってきている。

          

 世界にも、多くの希少な価値の切手がある。古くの指導者の切手や古いアニメや動植物の記念切手も高価である。紙質や印刷方式によっても価値が変動するのである。
 古い古の切手を見ていると、何故か心が洗われるのである。その切手の魅力にというものかもしれない。単なる紙で、燃えてしまえば跡形もなくなる、弱弱しい存在ではあるが、切手には、それに勝る魅力があるのである。


ヒーロー不在の現代

2014年09月07日 06時51分33秒 | Weblog

 最近の世相を見ていると、寂しいやら情けないやらの事件が多すぎる。なんでこんなに人間と言うのは、酷いものなのかと思うのである。親が子供を虐待した挙句、殺してしまうという事件も多発。自分の子を産んで、かわいくは無いのかと感じてしまう。まあ、連れ子を愛情のない親となった男が摂関して殺してしまう等もあるのではあるが。また、子が親を殺す等の事件も発生。全盲者の連れている、自分の目と言っても良い盲導犬を傷つける事件も発生。通常でも、犬に対し傷つける行為は、動物虐待となるのに、盲導犬に対するこのような攻撃は、絶対に許されない。これからの人生を悲観しての一家心中や脱法ハーブ(今では危険ハーブ)による酩酊状況での車運転により通行人をはねて死亡させる事件等、バカではないのかと思うような事件が後を絶たない。どうして、日本ではこのような事件が頻発するのであろうか?やるせない事件が多すぎて、本当にがっかりしてしまうこの頃なのである。
 人間が疲弊しているからなのかもしれない。目的や生きていく意義が希薄になっている現代では、生に対する意味が非常に希薄になっているのではないだろうか?生きているという、想像を絶する神秘的な状態を、全く意味をなさないものとして捉えてしまっているから、このような馬鹿げた事件が頻発するのである。生きることに重大な意味を感じていれば、他人の生きることについても畏怖・尊厳をもつものなのである。それができない輩が増えているということは、この生への認識が欠落しているからでしかいない。戦争を肯定するわけではないが、非常に生きていくことが大変な時は、この生への尊厳が、多くの人の中に確固として存在していた。この意識をもう一度、バカな輩どもに植え付けさせる必要があろう。
 このように、生への反逆・愚弄とも思える行為を行うことへの辱めを、思い知らせる場が必要であろうと思う。このまま、このような世相が続けば、人間としての重大な価値基準も崩壊してしまい、人間の生きていくことへの尊厳も崩壊してしまうのではないかと思ってしまうのである。
 このような時代は、高度成長期のような夢や目的が希薄だから生じる。同様に、このような時代には、自分の生きるための拠り所となるヒーローが不在であるという感じがする。幼少の頃、ヒーローは多く存在していた。「月光仮面」「黄金バット」「ウルトラマン」「ON(巨人の王・長嶋)」「大鵬」「サッカーのペレ、釜本・杉山」「ミュンヘン金メダルの男子日本バレーチーム」・・・・。もう一度、多くの人の拠り所となるヒーローが出現してほしいものである。 


ついに購入「大映特撮映画DVDコレクション」

2014年09月05日 23時03分38秒 | Weblog

 幼少の頃は、この大映映画作品が大好きで良く見ていた。ガメラシリーズや大魔神、妖怪もの等、実に面白い作品群であった。この作品たちが復刻してほしいと願っていた矢先に、ディアゴスティーニ社から、隔週刊行の「大映特撮映画DVDコレクション」が発売となった。そのNO.1号が、「大怪獣ガメラ」なのである。思わずこれを購入してしまった。
 ガメラは、この最初の作品以外はすべて劇場で鑑賞した。当時の映画館は、今みたいに完全入れ替え制では無かったので、映画上映の途中からでも入館できたし、映画館がやっている時間帯は、何度でも見れた。だから、朝早くから映画館に行き、夕刻まで見ていたことが多かったのである。映画は2本立がほとんどだったので、好きなガメラは1時間半ごとにしか合間の作品があるので見れなかった。辛い映画鑑賞でもあった。今のように、見たい作品だけの単発鑑賞ならずっと良かったのであるが、しかし、何度も見れるという楽しみは無くなってしまったのである。あの時のシーンの意味は何だったのかと言うことの検証は、今の入れ替え制では見極めることができない。残念なことでもある。ガメラは当初は放射能汚染の申し子のような位置付けであったが、子供が多く鑑賞してきて人気が出たせいもあり、子供の味方、正義の使者的な位置に変貌していった。これは、東宝のゴジラも同じなのかもしれない。子供の人気により、子供の好きな正義の味方になっていったのであろう。
 最初の「大怪獣ガメラ」は、ガメラ単独の映画であったが、それ以降は外来の敵に立ち向かう、勇敢な正義の使者として子供たちの人気を博した。その代りに、2作品目以降は、敵となる凶悪怪獣の登場となるのである。トカゲの化け物的な冷凍怪獣バルゴン、蝙蝠のお化け的な超音波怪獣ギャオス、宇宙からの侵略者である、イカの化け物的な宇宙怪獣バイラス、巨大な包丁の変化である大悪獣ギロン、古代遺跡から復活した大魔獣ジャイガー、宇宙からの侵略者である、トビウオの変化のような深海怪獣ジグラ等が、敵対怪獣として登場した。どれも特徴や弱点があって、面白い怪獣たちであった。
 以後、作品鑑賞が楽しみなのである。