Movieな空間

映画大好き人間の気ままな空間です!!

人類の未来

2008年06月15日 12時59分21秒 | Weblog

         スタンリー・キューブリック    
 スタンリー・キューブリック監督。この人の映画作品が注目されている。ご存知の作品は『2001年宇宙の旅』(
2001:A Space Odysse1968年制作)である。この作品は、当初、台詞やナレーションが付されていたが、キューブリック監督の「はっきりと描かなければ、逆に力強く魔術的な効果を与えられる」との主張で、すべてがカットされた経緯がある。あえて、難解にすることで、内容を頭だけで理解することを避けたのだと言われている。モノリスの謎、ボーマンが木星で目撃した光のシャワーの正体、HAL9000というコンピューターが何故、個人的な感情を抱くようになったのか、スター・チャイルドが何を意味するのか等謎の多い映画作品になってしまい、この謎が、何を意味するのかは多くの解釈の論争の種になっている。
 最初にこの映画作品の熱狂的な信奉者となったのは、60年代のサイケデリック文化に染まった若者たちであった。サイケデリック文化は、LSDなどの幻覚剤による酩酊状態で演奏を行うサケデリック・ロックに端を発し、音楽の領域に留まらず、酩酊時に知覚される極彩色の渦巻き模様などを特徴としたデザインや映像に及ぶ文化である。彼らは、『2001年宇宙の旅』で用いられた前衛的な映像の数々に、視覚的ドラッグの効果を見出していたのである。著名アーチストにも支持者は多く、かのジョン・レノンはあるインタビューで「『2001年』?うん、毎週見ているよ」などと答えている。
 また、完全主義者のキューブリック監督は、自分のイマジネーションだけで作品を構成していたわけではなかった。著名な科学者たちの監修を受け、未知の空間や宇宙船の視覚化に際しては、「鉄腕アトム」で的確な未来図を描いた手塚治虫に美術監督を依頼したこともあった。まあ、手塚氏は多忙を理由に謝絶したそうであるが・・。
 これらの謎を解く鍵は、共同制作していたアーサー・C・クラークの小説「2001年宇宙の旅」等を詳細に検討すれば、キューブリック監督の狙い等を読み取れるヒントがあるかもも知れない。
 一人生き残ったボーマン船長が、HAL9000の思考回路を停止させようとした時、HAL9000は、「われわれは地球外知的生命体の存在の証拠を発見した。それは月の地下に埋められ、木星に向かって電波を発した」と語り始め、ボーマンは木星探査の真の目的を知る。それまでは、HAL9000だけがこの事実を知っていて、乗組員に真実を伏せていた。探査計画の責任者が、HAL9000に真実を伏せさせ、うそをつくことを強制したためであるが、このHAL9000ほどの人工頭脳の持ち主であれは、うそをつくことでの矛盾から、人を殺害することはないのではという解釈もなしえる。
 こう観ていくと、人類の未来が、色んな意味で見えてくるのではないだろうか?生きることの意味、文明の進化、人工頭脳との関り、未知の地球外生物の存在と高度なテクノロジー等。そういえば、デスカバリー・チャンネルで、古代エジプトでは、壷に金属板を差込、液体を注ぐことで、現代の電池と同様のものを製造していたことを報じていた。何故、紀元前3000年もの昔に、このような原理を古代人は知っていたのか?ナスカ高原の巨大な地上絵での謎と同様、異星人の関わりがあったのかも知れない。


天変地異

2008年06月15日 03時19分06秒 | Weblog

            

 このところ、アジア各地で、自然災害が大規模に発生しています。ミャンマーでは、サイクロンによる大洪水によって数十万人の人命が失われた。中国での四川大地震では、死者が十万人規模になっている。そして、この日本でも、6月12日午前8時43分頃発生した「2008岩手・宮城内陸地震」の凄まじさが報道された。地震の規模は、マグネチュード7.2、最大での震度は6強という、大地震である。前述の2国とは異なり、死者は極端に少ないが、地震の規模で比較すれば、四川大地震が7.9Mであるので、今回の岩手・宮城内陸地震は、それに近い規模であると思われる。あの阪神・淡路大震災が、7.7Mの規模であったので、その規模に匹敵する大地震の発生である。今回の地震は、地底8kmという浅いところで発生した、直下型断層地震であるようだ。このような地震が、東京の地下で発生したら、どんな被害が出るのだろうか?今回の内陸地震での映像のように、橋は崩落し、道路は寸断され、山崩れが各地で発生している状況から推測すると、とても、予想できないくらいの被害規模になろう。
 
世界各地で発生している自然の猛威は、現代社会に生きる人間に、反旗を翻している象徴ではないのだろうか?自然を守らない人間に対して、自然が牙をむき始めたようにも感じられる。本来、自然の中で、共存共栄し、自然の一部として尊厳を持って生きていかねばならぬ人間の使命を大きく逸脱したことによる、大自然からの恐ろしい忠告、ひょっとして最後通牒なのかも知れない。この状況を、本当に人間は厳粛に受け止めねば、かつて滅んだ文明と同様の結果を導き出してしまう恐れがある。ムー大陸やアトランティス大陸では、今以上に栄えた文明があったと言う。しかし、その当時、最高の英知を結集しても、滅亡を回避することが出来なかったのだ。偉大なる文明を擁しても、大自然には到底かなわぬものなのであり、それだけ、人知を超えた壮大なエネルギーを持ったものが、大自然なのである。はやく、このことを全人類が認識し、現状の過誤を早く修正しなくては、大変なことが発生しそうである。それは、人間の力では、制御できないのである。「最後の審判」は、すぐそこに来ているようだ。聖書に書かれていた、「ノアの箱舟」の残骸らしきものが、アルプスの氷河の中で発見されたとの報道があった。あのような大洪水が、本当に発生していたのである。しかも、あのような高い山々の頂上に残骸があったと言うことは、相当な規模の大洪水であったのです。もう待ってはいられない状況なのかもしれません。
AUS上陸~Uluru編~世界の湖・滝 写真
 
この現代には、「救世主」は出現しないのでしょうか?イエス・キリスト、モーゼ、仏陀のような、人間を正しい方向に向けさせてくれる大きな指導者が、今は、必要なのです。個々の事象しか目に見えない、出来損ないの指導者では、話になりません。壮大なスケールの中で、的確な指導を導き出してくれる人(神?)が、必要な時代なのです。そんな救世主が、出現しないで、この世界が壊滅したとしたら、こんな不幸はないのかもしれません。私たちは、この現状を見て、ただ単に、その出現を、じっと待っているしかないのでしょうかね?人間としてやることも、やらねばならぬこともあるのだろうと思います。


水野晴郎氏のご逝去を悼む。

2008年06月11日 23時23分18秒 | Weblog
             水野晴郎、戸籍上の名前を改名していた!恐るべし『シベ超』への愛!今日都内で会見

 映画評論の重鎮・水野晴郎氏が昨日、肝不全のため逝去された。この人の映画に対する解説で、映画ファンになった人も多いことだろう。映画好きの代名詞みたいな人で、1日10本近くの映画を観て回っていたことが日課であったこともあったらしい。ダイレクトに俳優の言葉を受け入れたいと言う思いから、必死に英語を映画の中で勉強し、英会話が出来るほどに語学が上達したそうだ。この人の映画の解説には、心があった。この映画の言わんとすること、俳優たちの隠れたエピソード等幅広い知識を持った中での解説は、実に味のあるものだった。何年か前に倒れ、入院してからは、あのふくよかな顔立ちが、非常に病弱的に変貌したことに、大変なショックを受けたことがあった。それ以来、回復はしなかったのであろうか?今回の訃報は、本当に残念であった。映画をこよなく愛し、生涯独身を通したのも、映画が恋人だったからなのかもしれない。この水野氏が担当していた「水曜ロードショー」は、欠かさず観ていたものだ。味のある解説、的確な批評、背景に大きな知識を持った裏話等、どれもが新鮮な感覚で受け入れられた。これほどの解説者は、当時はいなかったのである。淀川長治氏も名声を得ていたが、水野氏の方が断然好きだった。的確で、シャープな解説は、多くの部分で参考になった。その方が、今はもういない。「シベリア超特急」の監督・出演が、遺作となってしまった。本当に残念である。もっともっと、多くの映画解説をしてほしかった。この人なら、この映画作品をどう評価するのかを、常に関心を持って聞きたかったし、素晴らしい解説を続けてほしかった。「いやあ、映画って本当にいいものですね」。この言葉を、もう聞くことが出来なくなってしまった。

【記事抜粋】
映画評論家の水野晴郎が10日、肝不全のため都内の病院で亡くなった。76歳だった。日本テレビ系の映画番組「水曜ロードショー」で「映画って本当にいいもんですね」のセリフ...は7月26日に公開される河崎実監督の映画『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発』にも出演していた。
 水野はシリーズ8作目となる『シベリア超特急』の最終シリーズ監督に向けて意欲を燃やしていたという。しかし、クランクインを予定いしていた昨年の10月から体調を崩し、12月からは入退院を繰り返していた。4月22日に再入院してからも、自ら台本に新たなアイデアを加えたりしていたが、今月の始めに容体は急変。歩くこともままならない日々が続いた。
 そんな中でも、映画への愛はいつまでも水野の心から消えることはなかった。先週5日には、病床で配給会社から送られてきた『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』のDVDを楽しんだが、その映画が水野が観た最後の作品となった。
 また、生涯独身だった水野にとって、自らがメガホンをとり、主演し、配給、そして宣伝まで手掛けていた『シベリア超特急』シリーズはまるで子どものようなものだったという。とりわけ、第2次世界大戦当時、陸軍大尉だった山下奉文への思いは強かった。「先生は、僕らが知らないうちに、自分の本名まで変えていたんです。本名の水野和夫から、いつの間にか、山下奉大に変えていて……。保険証を見せてもらったんですが、本当に山下に変っていてびっくりしました」と西田が話すと、集まった報道陣からも驚きの声が上がった。
 28年間、水野を支え続けてきた西田は、「最後の最後まで映画しかない人でした。意識が混濁していた2日前も、映画を撮らなきゃ……と言って、手すりを持ち立ち上がろうとしていた。『お疲れ様でした。ゆっくり眠って』と言ってあげたいです」と声を詰まらせた。
 台本はすでに出来上がっていたという『シベリア超特急』ファイナルは、遺志をついだ西田らがなんらかの形で完成させるという。映画を愛した水野が、自らの最後の作品につけたタイトルは、『シベリア超特急 旅路』。長い旅へと出た水野は、きっと今ごろ、大好きなクラシック映画の俳優や、監督たちと楽しく話しているのではないだろうか。
ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発

音楽の喜び

2008年06月10日 22時29分20秒 | Weblog

           

 この世に、音楽が無くなったとしたら、どんなに辛いことになることでしょう。音楽は、人間の感情にダイレクトに訴えかけてくるものがありますよね。辛い時、悲しい時に、元気になる明るい音楽を聴くと、心の重さが取れ、非常な爽やかさをを覚えます。人間の生活の中での音楽は、無くてはならない存在なのです。人間の「生」こそが、まさに音楽なのかもしれません。生きていくことと、音楽に触れることは、同源なのかもしれませんね。

 映画でも、音楽は非常に重要です。チャップリンの無声映画時代には、音楽が感情や状況を表す代名詞でした。喜怒哀楽は、音楽がすべて代弁してくれていたのです。この時代には、役者の台詞はありません。単に、字幕に言葉が映し出されるだけで、人間の声は一切無いのです。この時でも、その情景や感情が非常に伝わってきました。こう見ていくと、人間が生きる上では、言葉よりも、音楽の方が重要なのかもしれないのです。『キッド』、『黄金狂時代』、『殺人狂時代』、『独裁者』、『モダン・タイムス』等素晴らしい作品の中には、音声としての会話はありません。
「サーカス」の頃のチャップリンキッドモダン・タイムスチャップリンの黄金狂時代
 ミュージカル映画の世界でも、音楽は重要です。主演者の歌声は、その作品の良し悪しを決定付ける大きな要因なのです。『サウンド・オブ・ミュージック』では、ジュリー・アンドリュースが、素晴らしい歌声を披露します。『雨に唄えば』では、雨の中のダンスをするジーン・ケリーは、やはり唄を歌っています。『オペラ座の怪人』では、ジェラルド・バトラーエミー・ロッサムの二人の歌声は、荘厳なオペラ座に響きます。壮大なオペラ座をバックに、この作品は壮大な愛を訴えかけます。
オペラ座の怪人http://cinemakun.com/soundmusic/index.htmlhttp://aoi-tori22.at.webry.info/200704/article_3.html

 作曲家を描いた映画もあります。『アマデウス』は、モーツアルトの半生を描いた作品ですし、『敬愛なるベートーヴェン』は、楽聖といわれたベートーヴェンを描いたもので、隠れた真実を描き出している。
「敬愛なるベートーヴェン」偉大な楽聖の心の奥底、そして創作の神髄に迫った力作http://cottoncandy.cocolog-nifty.com/books_movies/cat2460006/index.htmlhttp://www1.odn.ne.jp/glass-tajima/eiga1.htm

 こう見ていくと、やはり、映画の中でも音楽は重要なものですね。『007』シリーズでは、タイトルサウンドが決まっていますし、この出だしがないと、ジェームズ・ボンドの登場はありえないのです。『ピンク・パンサー』も同様に、クルーゾー警部の軽快さは、タイトルサウンドがないと有り得ない。『JAWS』では、不気味な鮫の近づいてくる音楽は、身も凍るような感覚を感じる。
ピンクパンサー コレクターズ・エディションhttp://dvd.or.tv/report/usj21.htmlhttp://cinematicroom.com/asin/B000NJMLA0/


時空を超える純愛

2008年06月09日 23時10分49秒 | Weblog

              


 本日のNHK・BS放送で、昔懐かしい角川映画『時をかける少女』を観た。大林宣彦監督作品です。主演は、今、コーヒーのブレンディのCMに出演している原田知世です。当時は、高校生位だったのでしょうか、今、観ても非常に若いですし、みずみずしいですよね。この映画は、時空を超越する能力を、ある時宿した少女が、未来から来た大好きな男の子を捜し求める物語なのです。時空を超えた純愛ロマンなのです。原田の相手役は、高柳良一です。筒井康隆の同名小説の映画化で、脚本は「転校生」の剣持亘、撮影も同作の阪本善尚がそれぞれ担当。主題歌は、原田知世が歌う。

【ストーリー】

土曜日の放課後、掃除当番の芳山和子は実験室で不審な物音を聞きつけ、中に入ってみるが人の姿はなく、床に落ちたフラスコの中の液体が白い煙をたてていた。フラスコに手をのばした和子は不思議な香りに包まれて気を失ってしまう。和子は、保健室で気がつき自分を運んでくれたクラスメイトの堀川吾朗や深町一夫らと様子を見に行くが、実験室は何事もなかったように整然としていた。しかし、和子はあの不思議な香りだけは覚えていた。それはラベンダーの香りだった。この事件があってから、和子は時間の感覚がデタラメになったような奇妙な感じに襲われるようになっていた。ある夜、地震があり外に避難した和子は、吾朗の家の方で火の手があがっているのを見、あわてて駈けつける。幸い火事はボヤ程度で済んでおり、パジャマ姿で様子を見に来ていた一夫と和子は一緒に帰った。翌朝、寝坊をした和子は学校へ急いでいた。途中で吾朗と一緒になり地震のことを話していると突然、古い御堂の屋根瓦がくずれ落ちてきた。気がつくと和子は自分のベッドの中にいた。夢だったのだ。その朝、学校で和子が吾朗に地震のことを話すと、地震などなかったと言う。そして授業が始まり、和子は愕然とした。昨日と全く同じ内容なのである。やはりその夜、地震が起こり火事騒ぎがあった。和子は一夫に今まで起った不思議なことを打ち明けるが、一夫は一時的な超能力だと慰める。しかし、納得のいかない和子は、一夫を探していて、彼の家の温室でラベンダーの香りをかぎ、気を失った。気がつくと和子は、一夫が植物採集をしている海辺の崖にテレポートしていた。そこで和子は不思議なことが起るきっかけとなった土曜日の実験室に戻りたいと言う。一夫は反対したが和子のひたむきさにうたれ、二人は強く念じた。そして、時をかけた和子が実験室の扉を開けると、そこには一夫がいた。彼は自分が西暦二六六○年の薬学博士で、植物を手に入れるためこの時代にやって来たこと、自分に関わりのある存在には、強い念波を相手に送って都合のいい記憶を持たせていたことを告白する。そしてすべてを喋ってしまったのでお別れだと告げた。和子は一緒に行きたいと言うが、彼は自分に対しての記憶も消さなくてはならないと言う。和子は嫌がるが、ラベンダーの香りをかがされ床に崩れた。十一年後、大学の薬学部研究室に勤めている和子は、実験室を訪ねてきた一夫とぶつかる。二人はハッと思うがそのまま歩み去るのだった。

♪時をかける少女♪

あなた 私のもとから
  突然消えたり しないでね
  二度とは会えない場所へ
  ひとりで行かないと誓って
  私は 私は さまよい人になる
  時をかける少女 愛は輝く舟
  過去も未来も星座も越えるから
  抱きとめて

 夕べの夢は金色
  幼い頃に遊んだ庭は
  たたずむあなたのそばへ
  走ってゆこうとするけれど
  もつれて もつれて 涙 枕を濡らすの
  時をかける少女 空は宇宙の海よ
  褪()せた写真の あなたのかたわらに
  飛んでゆく

  時をかける少女 愛は輝く舟
  過去も未来も星座も越えるから
  抱きとめて

映像はこちら>>http://jp.youtube.com/watch?v=R-S73Efr4Gk


死闘!!男子バレーボール

2008年06月07日 23時14分13秒 | Weblog

   
植田ジャパン
 いやあ、今日の日本男子バレーボールの戦いは、凄まじい死闘でしたね。相手のアルゼンチンは、世界ランク6位の日本より格上のチーム。この戦いに勝利すれば、日本は、16年ぶりにオリンピック北京大会に参加できるのです。一方、相手国のアルゼンチンも、この試合に負ければ、オリンピック出場の夢が絶たれてしまうという、双方にとって、大変重要な戦いなのです。この戦いに勝って、北京オリンピックに行くことが、全国民の願いであり、その大役を、植田監督率いる日本男子バレーボールの選手たちが、担ってきたのです。と言うことで、この日本VSアルゼンチンは、最終セット(5セット)まで縺れた死闘となったのです。しかし、最後の執念を見せた、日本が見事、北京オリンピック参加を決めたのです。本当に素晴らしい死闘でしたね。日本バレーボールの選手・監督に拍手を送りたいです。「北京オリンピック出場、おめでとう」。

 バレーボールで、男子が活躍したのは、もうかなり古く、「ミュンヘン・オリンピック」でのことでした。今回、植田ジャパンの戦いを見ていた、松平名誉監督が、当時、大古猫田横田森田たちを率いた監督として、金メダルを取ったのです。巨大な欧州選手に対抗するため、どうしたら相手のコートにスパイクを叩き込めるかを全員に考えさせ、その中で編み出されたのが、クイック戦法だったのです。今では、多くの国で当然のことのように使われているクイックは、日本が編み出した必殺技だったのです。Aクイックは、トスを上げた瞬間に、アッタカーがスパイクする戦法、Cは前方ではなく、バックへの同様のトスをスパイクする戦法、Bクイックは、相手のブロッカーを横目に、ネットに平行に速く、距離を置いたクイックで、Dクイックは、バックにて同様に行うクイック、相手のブロックとは呼吸をワンポイントずらした「一人時間差」もこの時に、編み出されたものです。横田が、得意としたものでした。あの当時とは、選手が全く違いますが、メダル奪取に頑張ってほしいものです。「頑張れ!!植田ジャパン」。

 バレーボールを描いた作品は、あまり多くは無いのです。しかも、男子バレーボールを描いたものは、『ミュンヘンへの道』(アニメンタリー)しかないのでしょう。アニメ+ドキュメンタリーの動画手法なのです。女子バレーボールは、『アタックNO.1』、『サインはV』等でしょうか。しかし、どれも、感動作品であることは、間違いありませんね。
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映像はこちら
「ミュンヘンへの道」>>http://jp.youtube.com/watch?v=qc0CA4f843k&feature=related
「アタックNO.1」>>http://jp.youtube.com/watch?v=UR2Tp2wMHfE


とっても!ラッキー

2008年06月07日 11時51分30秒 | Weblog

 「幸運」と言う言葉は、とっても響きの良い言葉ですね。なんか良い事があると、「本当に運が良いですね」と言われる。この言葉って、能力ではない、なんか架空の力が働いただけを指しているようですが、かなり、人間のエゴも入っています。「自分と寸分能力は変わらない。単に、人知では制御できない運というものによって生じさせられたもので、差は無い」という意味を多分に含んだ言葉である。ある種の妬みと言えるのかもしれない。金曜日が最終日だった新種の宝くじが、全国で発売された。これまでの高額当選によるものではなく、百万円という、手の届く範囲の金額に絞って、当選本数を多くした宝くじ。これによって、幸運が多くなるのでしょうね。幸運の大きさは、萎んでしまいますが、これまで、ずっと末等のみに甘んじていた輩(やから)には、大変、有効なものと言えますね。宝くじは、やはり、夢を買うもので無ければなりませんが、夢でなくとも、幸運を買う宝くじでも良いのではないでしょうかね。高額の当選は、夢のまた夢、ですが、小額の当選で本数が多ければ、喜ぶ人も多くなり、楽しさも倍増することになるのでは・・・。だからこそ、こういう宝くじは大歓迎なのです。わたしも喜び勇んで、20枚も買ってしまいました。なんか見ていると、売れ行きが良かったようですね。消費が大きく落ち込んでいるこのご時勢の中では、大きな起爆剤となるかもしれません。夢ではなく、現実を買う宝くじなのですから。

 とっても!ラッキーマン追手内洋一
 こんな時、本当に願うことは、『とっても!ラッキーマン』になりたいと思うのです。このラッキーマンは、少年ジャンプに掲載されていたので、ご存知の方も多いかもしれませんが、割と、レアな超人なのです。ある日、日本一ついてない追手内洋一(ついてないよういち)と言う中学生が、UFOの下敷きとなって死んでしまい、その時にラッキーマンと合体することになったところから、物語は始まります。眉間に湯のみがあり、この茶柱が立つことで、エネルギーを捻出するラッキーマン。常に彼の行くところには、幸運が押し寄せてくるのです。こんな素晴らしい超人には、生涯かけて一度は出会ってみたいものです。矢島正明のナレーションで、始まるアニメ『とっても!ラッキーマン』、「日本一ついてない中学生、追手内洋一は、ある日、ラッキーマンに変身する能力を身につけた。この物語は、地球征服を企む数々の侵略者を相手に、ラッキーだけで戦い続ける愛と真実のスーパーヒーロー、ラッキーマンの汗と涙と、笑いの物語である」。矢島ナレーション炸裂である。おまけに、主題歌は、演歌界の大御所・八代亜紀が歌っているのです。ギャグ漫画であるのに、これほどの布陣で制作している「とっても!ラッキーマン」は、最強ギャグ・アニメである。ラッキーマンとの合体と言う誕生起源は、なんか「ウルトラマン」とかぶる所があるが、まあ、よしとするか。

映像はこちら>>http://jp.youtube.com/watch?v=jj9kXHwuJzc&feature=related<o:p></o:p>


空の旅

2008年06月06日 00時21分04秒 | Weblog

 


 「空の旅」という言葉は、何ともいえない良い感じの語韻ですね。空という言葉は、何とも言えない空想的な世界を表現していますし、人間の感覚から言えば、この世(今生の世界)とは別格の世界を表現している言葉と言えます。この「空」と言う言葉は、人間を超越した存在を意味しているのではないでしょうか?「死んだら、あのお空の星になりたい」という無邪気な子供の言葉も、この別世界を意味しているのかもしれませんね。だからこそ、人間は太古の歴史から、この今生に無い存在の「空」に自分を移動させることに挑んできたのでしょうか。ライト兄弟が、初めて飛行機の原理を活用し、数分間、空中を滑空しました。これが、今日の飛行原理の出発点だったと言えます。まあ、その昔には、ヘリコプターの原理を描いたレオナルド・ダ・ビンチもいましたが、実用の域まで達してはいませんでした。あくまでも原理の世界でしかなかったのです。<o:p></o:p>

 先週は四国・高松、来週は北海道・札幌、その後は、広島と出張が続きます。すべて、空の旅なのです。人一倍、高い所が嫌いな私にとって、これは、拷問に近いものなのです。確かに、飛行機は、速度が速いので、地上にある乗り物(自動車や電車)より、はるかに早く目的地に到着します。しかし、これは、最悪の時は、自らの命と引き換えねばならないことになります。あの「日本航空機の墜落事故」のように・・・。あの時の乗客の手記(手帳に残した遺書等)を見ましたが、壮絶な思いがつづられています。突然の死刑宣告に等しいものですよね。「あなた、この後の瞬間は、死です」と言われているような状況だったのでしょうから。何ともやるせないものですね。そんなに生きていくことは、難しいことなのでしょうか??そんなに突然に、「死」を意識しなければならない局面に、本当に人間は追い込まれなければならないのでしょうかね。普通に生きていくことは、許されないのでしょうか?
 四国・高松は、「晴れ」の天候が当たり前の地域です。あまりにも天気がいいので、飲み水や農業用水も枯渇してしまうほどなのです。そこで、あの「弘法大師(天台宗の開祖・空海)」が、この現状を見かね、ため池を作って、水の保存を行ったこと、そして、食料確保のため、保存食としての「うどん」を創作したことは、有名な話です。このお陰で、四国の人たちの生活は守られたのです。この高松にある「うどん」は、今日、「讃岐うどん」として、全国的に有名になりました。腰の強い、歯ごたえのある、おいしいうどんは、この地にしかありません。この「讃岐うどん」を食べると、他でのうどんが、食べられなくなると言われるほど、おいしいうどんなのです。出張の帰りに、私もこの「讃岐うどん」を土産として買って帰りました。この地では、「山田家」のうどんがお土産では、最高のうどんなのです。生、半生、乾燥の3種類のうどんがありますが、どれも相応のおいしさです。その他に、高松のお土産と言えば、「しょうゆ豆」(甘醤油で煮込んだそら豆)、「だし醤油」が有名でしょうかね。これらのお土産は、どれも喜ばれますね。<o:p></o:p>

 空の旅を、エスコートしてくれるのは、航空会社のスチュワーデス、もとい、キャビンアテンダントでした。今日、スチュワーデスなんて言ったら、大笑いされてしまいますよね。客室乗務員を英語化したキャビンアテンダントが、正しいのでしょう。しかし、航空会社は、ANAとJALに2分されましたが、決定的に何かが違いますね。やはり、ANAは非常に応対も良く、清々しい感じなのですが、一方、JALは会社の業況を反映して、なんかギスギスした感がありますね。確認のため、往復の「空の旅」を、それぞれの航空会社で分けてみて、乗ってみると、その違いがはっきりすると思います。「空の旅」をエスコートしてくれる女性、これはたまらなく良いものですよね。ドラマでは、紀比呂子主演の『アテンション・プリーズ』がありました。私は世界一のスチュワーデスになる」が、主人公の名言でしたね。その後、堀ちえみ主演の『スチュワーデス物語』がありました。教官から言われたお前はドジでのろまで可愛い亀だ。』は、流行語にもなりました。そして、2006年「アテンションプリーズ」が、上戸彩主演で復活しました。


雨ですね・・・・・・。

2008年06月03日 23時54分03秒 | Weblog

        

 雨ですね。雨というものは、本当に人間を嫌な気分にさせますね。雨を快く思う人間はいるのでしょうか?人間でなくとも、他の動植物でも、よく思っていないのではないでしょうかね。犬や猫も、雨に濡れることと、非常な嫌悪の顔をしますね。やはり、人間だけでなく、他の動物も同様なのでしょう。人間でも、濡れることで快い時は、風呂に入る時、プールや海水浴に漬かる時ぐらいですものね。先ほどニュースを見て、驚愕してしまいました。なんと、5月の土曜日すべて雨の日だったのです。しかも、5月の一ヶ月の内、雨の日が、半分以上だったとか。5月は「子供の日」に代表されるように、晴れているのが印象の月であるはずなのですが、実際は、異なっています。今年の5月は、例年の倍以上の雨降りだったのですから、憂鬱な気分になるのも、当たり前ですね。「梅雨」の6月を迎える前から、雨ですか・・・。なんともやるせない気分になってしまいますね。

 雨を、毛嫌いばかりしている訳ではなく、雨という状況を、むしろ、プラスにとっての映像展開している映画があります。「雨に唄えば」です。この映画は、雨という状況をむしろ、喜んでいるような映像が展開されます。ジーン・ケリーが、雨の中、傘を放り投げ、タップダンスを踊るところは、最高に素晴らしい映像です。思わず、雨の中へ突入したくなりますね。雨の中のミュージカル、最高ですね。
雨に唄えば左から、ドナルド・オコナー、レイノルズ、ケリー雨に唄えば

 次は、ご存知、名監督・黒澤明の「七人の侍」です。この映画は、実に雨の中での戦いを見事に映像として捉えています。当時、かなりの勢いで入ってきたアメリカ映画、特に、荒野をバックにした「西部劇」が、日本でも大人気になってきていました。あの名優ジョン・ウェインが主役の「黄色いリボン」「駅馬車」等銃を使った格好良い映画でしたもの、誰しもが感動したはずです。しかし、黒澤明は、これに対抗し、ハリウッドでは成し得なかった「雨の中の戦い」を映像化したのです。これは、ハリウッド映画でも真似できない、画期的な映像だったのです。ここに、「世界の黒澤」たる由縁があるのでしょう。
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 そして、アニメ作品でも雨シーンが素晴らしいものがあります。宮崎駿監督の「となりのトトロ」です。サツキが疲れたメイをおんぶして、お父さんの到着するバス停で待っています。もちろん、雨の中なのです。すると、妖精トトロが、隣に、蓮の葉を傘代わりにして立つのです。奇妙な妖精と人間の同居、実に素晴らしい映像でしたね。トトロの名前の由来は、宮崎監督のいとこの子供が、埼玉県所沢をうまく言えなくて、トトロサワといっていたことから、「トトロ」という名が付けられたそうです。
<o:p>となりのトトロ(壁紙画像) 800×600 となりのトトロ(壁紙画像)ダウンロードは⇒こちらとなりのトトロ(壁紙画像) 800×600 となりのトトロ(壁紙画像)ダウンロードは⇒こちら</o:p>


怪獣考

2008年06月02日 00時20分18秒 | Weblog
           
 怪獣映画は、幼少の頃から、楽しみな作品の代表格でした。今日では、派手なSFX(特殊撮影)やVFX(視覚効果)によって、怪獣映画も大きく変質してきています。変に映像だけが突出した映画も、本来の意味合いからは、遠のいてしまっている感がありますね。古き良き時代の、「手作り」の特撮怪獣映画は、今観ていても、大変に興奮しますし、気持ちが通じるものを確かに持っています。視覚効果に傾斜した映像は、人間性と相反する部分が大きくなってきているのでしょうか?今一、納得感や共感に薄いものを感じますね。そんなことで、当時の怪獣映画について、振り返ってみたいと思うのです。
 先ずは、なんと言っても「ゴジラ」シリーズを制作し、怪獣映画の基礎を築いた「東宝」です。東宝作品の代表のゴジラは、世界でも大変注目されていますし、アメリカでも、日本のゴジラを制作しました。怪獣=ゴジラと、アメリカ人は感じているようですね。ゴジラシリーズでは、ゴジラを筆頭に、子供のミニラ、エビラ、アンギラス、ザ・ピーナッツが呼ぶモスラ、ラドン、クモンガ、カマキラス、大ウミヘビ、公害怪獣ヘドラ、宇宙怪獣キングギトラ、サイボーグ怪獣ガイガン、メカゴジラ等画期的な怪獣たちを多く生み出しました。怪獣映画の黄金期を作ったと言っても過言ではありません。単なる戦いのみではなく、色んなストーリー性やギャグを入れて、ファンを虜にしました。
ゴジラゴジラの逆襲

 次は、「大映」の「ガメラ」シリーズですね。当初、単独で出現したガメラは、子供の味方というイメージではなかったのですが、次第に、子供の味方、子供の危機を救う救世主的な存在になっていきました。この事が、多くの子供たちをひきつけることになったわけです。怪獣なのに、子供の味方で、ヒーローであることが、たまらなく良いものでした。私も、第1作以外は、すべて昭和のガメラを劇場で観賞しました。当時は入れ替え制ではなかったので、途中からでも何回も観ることが出来たので、うれしかったですね。まあ、当時は、本命作品の裏作品的に、大概2本立てになっていたので、裏方作品が、非常にジャマであったこともありました。「妖怪百物語」「大魔神」「パンダ・子パンダ」なんかの場合は、まだ、楽しく見れましたが、それ以外の映画は、なんとも退屈なものだったのを覚えています。ガメラシリーズでの怪獣は、バルゴン、ギャオス、ギロン、ジャイガー、ジグラ、バイラス等で、宇宙からの侵略者、または、その操る怪獣が中心でしたね。
大怪獣決闘ガメラ対バルゴンDVD
ガメラ対バルゴン

 「日活」では、唯一の怪獣は「大巨獣ガッパ」なのです。自分たちの子供を奪われたガッパ夫婦が、取り戻しにやってくる親子愛が背景にある映画です。この制作で、日活は終了し、シリーズ化もしませんでした。当時、怪獣映画を作ればお金になるという風潮に乗っかったことが原因だったのでしょう。



 そして、しんがりは、「松竹」の「宇宙大怪獣ギララ」です。この作品は、昨日のブログにも詳しく解説したとおり、怪獣ブームに乗っかったことで、制作されたのですが、今年の7月に、40年ぶりにコメディ・タッチで復活するのです。何とも懐かしい怪獣ですね。
宇宙大怪獣ギララ番組イメージ

 いやあ、怪獣映画って、本当にいいものですね!!!