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素晴らしいVFX『ナルニア国物語―カスピアン王子の角笛』

2008年06月15日 23時20分32秒 | Weblog

    

ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛


 さすがに、巨大なスクリーンでの映像は迫力がありますね。久々に、劇場で映画を観たのです。この週末を逃すと、近隣でやっているMOVIXでの『ナルニア国物語―カスピアン王子の角笛―が終了してしまう。スター・チャンネルから頂いた鑑賞券が無駄になってしまう。こんな思いから、家族でMOVIXへ突撃!!。

 今週で最後ということで、もう見たい方たちは見てしまったのか、大きなスクリーンの部屋も半分程度の観客しか入っていませんでした。しかも、子供が多かったのです。やはり、童話のような原作からすると、あまり、大人は観ない作品なのでしょうかね。まあ、ともかく、第二作目のこの作品を堪能しようと思いました。
 
『ナルニア国物語―ライオンと魔女―』の第1作から1年が経ましたが、今回の作品である『ナルニア国物語―カスピアン王子の角笛―』でのナルニア国は、前作の設定より1300年が経過した頃のナルニア国を描いています。ここでは、テルマール人がすべてを支配しており、ナルニアの住人たちは迫害を受け、森深くにひっそりと虐げられて住んでいたのです。テルマール国では、王位争いが陰湿に行われ、ミラース卿が、権力を独占しようとしていた。テルマールの王を死に追いやり、自身の後継者が生まれたことで、今度は、王位継承者のカスピアン王子をも暗殺しようと、刺客を差し向けるのです。その時、カスピアン王子は、白い角笛を吹くのでした。本当に困った時でしか吹いてはならない角笛を吹くこと、それは、かつて、輝かしいナルニア国を救ってくれた4人の王や女王を呼び寄せる魔力があったのです。ロンドンで普通のつまらない学生生活を送っていたペベンシー4兄弟・姉妹は、この笛に呼び戻され、またしても、ナルニア国に戻るのですが、そこは、かつての繁栄していたナルニア国はなく、自身の居住していた宮殿も、廃墟と化していたのです。この窮地を、正義感を持った4人が勇敢に行動し始めるのでした。圧倒的戦力を誇るテルマール人を敵に回し、勇気と行動力で戦うのですが、やがて、その戦力の差で、劣勢に。そこに現れたのは、かつての王、ライオンのアスランだったのです。

【ストーリー】
 
ナルニア国の運命をかけた白い魔女との戦いから1――元の世界で平穏に暮らしていたペベンシー兄妹は見えない力に引き寄せられ、再びナルニア国に舞い戻る。この国ではあれからすでに1300年の歳月が流れており、不思議に満ち全てが美しかった魔法の国ナルニアは、戦闘民族テルマール人の暴君ミラースの悪政によってすっかり荒廃し、ナルニアの民は歴史から葬られていた。やがて兄妹は、ナルニアの正統なる王位継承者で、ミラースに命を狙われているカスピアン王子と運命的な出会いを果たす――。英国ファンタジーの至宝をディズニーが空前のスケールで映画化した世紀の映像プロジェクト第2章。
<o:p>ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛
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ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛


人類の未来

2008年06月15日 12時59分21秒 | Weblog

         スタンリー・キューブリック    
 スタンリー・キューブリック監督。この人の映画作品が注目されている。ご存知の作品は『2001年宇宙の旅』(
2001:A Space Odysse1968年制作)である。この作品は、当初、台詞やナレーションが付されていたが、キューブリック監督の「はっきりと描かなければ、逆に力強く魔術的な効果を与えられる」との主張で、すべてがカットされた経緯がある。あえて、難解にすることで、内容を頭だけで理解することを避けたのだと言われている。モノリスの謎、ボーマンが木星で目撃した光のシャワーの正体、HAL9000というコンピューターが何故、個人的な感情を抱くようになったのか、スター・チャイルドが何を意味するのか等謎の多い映画作品になってしまい、この謎が、何を意味するのかは多くの解釈の論争の種になっている。
 最初にこの映画作品の熱狂的な信奉者となったのは、60年代のサイケデリック文化に染まった若者たちであった。サイケデリック文化は、LSDなどの幻覚剤による酩酊状態で演奏を行うサケデリック・ロックに端を発し、音楽の領域に留まらず、酩酊時に知覚される極彩色の渦巻き模様などを特徴としたデザインや映像に及ぶ文化である。彼らは、『2001年宇宙の旅』で用いられた前衛的な映像の数々に、視覚的ドラッグの効果を見出していたのである。著名アーチストにも支持者は多く、かのジョン・レノンはあるインタビューで「『2001年』?うん、毎週見ているよ」などと答えている。
 また、完全主義者のキューブリック監督は、自分のイマジネーションだけで作品を構成していたわけではなかった。著名な科学者たちの監修を受け、未知の空間や宇宙船の視覚化に際しては、「鉄腕アトム」で的確な未来図を描いた手塚治虫に美術監督を依頼したこともあった。まあ、手塚氏は多忙を理由に謝絶したそうであるが・・。
 これらの謎を解く鍵は、共同制作していたアーサー・C・クラークの小説「2001年宇宙の旅」等を詳細に検討すれば、キューブリック監督の狙い等を読み取れるヒントがあるかもも知れない。
 一人生き残ったボーマン船長が、HAL9000の思考回路を停止させようとした時、HAL9000は、「われわれは地球外知的生命体の存在の証拠を発見した。それは月の地下に埋められ、木星に向かって電波を発した」と語り始め、ボーマンは木星探査の真の目的を知る。それまでは、HAL9000だけがこの事実を知っていて、乗組員に真実を伏せていた。探査計画の責任者が、HAL9000に真実を伏せさせ、うそをつくことを強制したためであるが、このHAL9000ほどの人工頭脳の持ち主であれは、うそをつくことでの矛盾から、人を殺害することはないのではという解釈もなしえる。
 こう観ていくと、人類の未来が、色んな意味で見えてくるのではないだろうか?生きることの意味、文明の進化、人工頭脳との関り、未知の地球外生物の存在と高度なテクノロジー等。そういえば、デスカバリー・チャンネルで、古代エジプトでは、壷に金属板を差込、液体を注ぐことで、現代の電池と同様のものを製造していたことを報じていた。何故、紀元前3000年もの昔に、このような原理を古代人は知っていたのか?ナスカ高原の巨大な地上絵での謎と同様、異星人の関わりがあったのかも知れない。


天変地異

2008年06月15日 03時19分06秒 | Weblog

            

 このところ、アジア各地で、自然災害が大規模に発生しています。ミャンマーでは、サイクロンによる大洪水によって数十万人の人命が失われた。中国での四川大地震では、死者が十万人規模になっている。そして、この日本でも、6月12日午前8時43分頃発生した「2008岩手・宮城内陸地震」の凄まじさが報道された。地震の規模は、マグネチュード7.2、最大での震度は6強という、大地震である。前述の2国とは異なり、死者は極端に少ないが、地震の規模で比較すれば、四川大地震が7.9Mであるので、今回の岩手・宮城内陸地震は、それに近い規模であると思われる。あの阪神・淡路大震災が、7.7Mの規模であったので、その規模に匹敵する大地震の発生である。今回の地震は、地底8kmという浅いところで発生した、直下型断層地震であるようだ。このような地震が、東京の地下で発生したら、どんな被害が出るのだろうか?今回の内陸地震での映像のように、橋は崩落し、道路は寸断され、山崩れが各地で発生している状況から推測すると、とても、予想できないくらいの被害規模になろう。
 
世界各地で発生している自然の猛威は、現代社会に生きる人間に、反旗を翻している象徴ではないのだろうか?自然を守らない人間に対して、自然が牙をむき始めたようにも感じられる。本来、自然の中で、共存共栄し、自然の一部として尊厳を持って生きていかねばならぬ人間の使命を大きく逸脱したことによる、大自然からの恐ろしい忠告、ひょっとして最後通牒なのかも知れない。この状況を、本当に人間は厳粛に受け止めねば、かつて滅んだ文明と同様の結果を導き出してしまう恐れがある。ムー大陸やアトランティス大陸では、今以上に栄えた文明があったと言う。しかし、その当時、最高の英知を結集しても、滅亡を回避することが出来なかったのだ。偉大なる文明を擁しても、大自然には到底かなわぬものなのであり、それだけ、人知を超えた壮大なエネルギーを持ったものが、大自然なのである。はやく、このことを全人類が認識し、現状の過誤を早く修正しなくては、大変なことが発生しそうである。それは、人間の力では、制御できないのである。「最後の審判」は、すぐそこに来ているようだ。聖書に書かれていた、「ノアの箱舟」の残骸らしきものが、アルプスの氷河の中で発見されたとの報道があった。あのような大洪水が、本当に発生していたのである。しかも、あのような高い山々の頂上に残骸があったと言うことは、相当な規模の大洪水であったのです。もう待ってはいられない状況なのかもしれません。
AUS上陸~Uluru編~世界の湖・滝 写真
 
この現代には、「救世主」は出現しないのでしょうか?イエス・キリスト、モーゼ、仏陀のような、人間を正しい方向に向けさせてくれる大きな指導者が、今は、必要なのです。個々の事象しか目に見えない、出来損ないの指導者では、話になりません。壮大なスケールの中で、的確な指導を導き出してくれる人(神?)が、必要な時代なのです。そんな救世主が、出現しないで、この世界が壊滅したとしたら、こんな不幸はないのかもしれません。私たちは、この現状を見て、ただ単に、その出現を、じっと待っているしかないのでしょうかね?人間としてやることも、やらねばならぬこともあるのだろうと思います。