AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

乃木坂46について遠目から思うこと・その2

2012-02-20 02:13:34 | Weblog
 前の「乃木坂46について遠目から思うこと・その1」のエントリの最後で「あんまり乃木坂46をAKB48ファミリーの一部に組み込み過ぎてしまうのは、長期的に見れば、もしかすると乃木坂46の持つ可能性を損ねるかも知れない」と書いた件について、いずれまた、とか言っていると、絶対書かずに時が過ぎてしまうような気がしたので、とりあえず雑だけれども書いておくことにした。

 AKB48が長年、苦心惨憺して築き上げて来た地位に対していきなり「ライバル」ってのもいささか虫の良い話という気はするけれど、それは乃木坂46のメンバーのせいではないし、仕掛けているのがAKB48を作り上げた御大ご本人であるならば、誰も何も文句を言う筋合いではない。まあそんな看板を背負わなきゃいけない子達は大変だなぁと思うけれど、それを承知でオーディション受けて入って来たはずなので、頑張ってもらうしかない。

 そしてまた、ライバルとは言いながらも、最初のうちは今のようにAKB48ファミリーとのつながりを生かした「良いとこ取り」をする方が得策に決まっている。どんなにきれいごとを言っても、そこそこに売れなければ話にならないのが芸能界というところ、だとは思う。そのためには、きれいに利用できるものは利用すべきだということに異論はない。他者を不当に貶めるようなやり方なら別だが、リスペクトし、いつか乗り越えたい目標にするという設定は悪くないと思う。

 ただ、あまり長い間、そういう「AKB48ファミリーの傘」の下に入れ続けると、名前が違うだけのAKB48ファミリーのグループの一つになり切ってしまう。だが、あえて「公式ライバル」と銘打ち、48ではなく「46」という微妙に違うネーミングを与えたのは、単に「東京を拠点とする48グループが二つあるのは収まりが悪い」といったような大人の事情によるものではないと思うのだが、どうだろう。おそらくは本当に、AKB48ファミリーとは違う何かを始めようとしているのだと解釈しているのだが、考え過ぎだろうか。

 まあどちらなのか、一ファンの身には知る由もないので、とりあえずここはそういう仮説の下に話を進めてみる。ここで唐突だが、私はAKB48ファミリーについて「次女がポイント」であるという独自の説を提唱している。提唱と言っても、今までのところ友人たちに話しているだけで、このブログにも書いたことがなかったのだが、妄想理論(笑)ということで書いてしまおう。

 AKB48では、何事につけ「長女」が開拓者として成功への足がかりを作る。だが、グループが本当に大きなものとなり、そして成功をつかむためには、開拓者としての「長女」の苦心を知りつつも、その長女に追いつけ追い越せと頑張る「次女」の存在が大きな意味を持つ。例えば、

1. 初期メンバー(後のチームA)に対するチームK
2. AKB48に対するSKE48
3. チームSに対するチームK II

…といった対比を考えると、なるほど「次女」の存在感というものが分かるだろう。

 ちなみにちょっと話がそれるが、こうした「開拓者としての長女」「負けじと頑張る次女」に対して、「三女」はともすると「唐様で書く三代目」のような存在になりがちだ(^_^;)。例外的にNMB48は、AKB48、SKE48に次ぐ「三女」でありながら、かなりしっかりしている。正直なところ、一時はNMB48についても「やっぱり三女は三女なのか?」って思いかけた瞬間はあったわけだが、まあステージパフォーマンスにかけてはしっかりできていると思うし、とりあえず雨降って地固まるというか、唐様で書く三代目になることは回避できたのではないかと思う。

 さて話を戻して、ではそれをさらに大きな目で見るとどうなるか、というのが、この話のキモである。つまり、

4. AKB48ファミリーに対する…?

と考えた時に、乃木坂46というのは、ひょっとするとAKB48ファミリー全体、あるいはAKB48プロジェクト全体に対する「次女」的存在になる可能性があるのではないかと思うのだ。つまり、この「次女」がしっかりと頑張って、成功してくれれば、長女ともども、さらなる高みに上っていけるかも知れないのだ。逆に言えば、この次女がしっかりしてくれなければ、長女もまた、今以上の発展は望めないかも知れない、ということになる。

 まあ今の時点で見れば、乃木坂46は到底、AKB48ファミリー全体を「長女」とした時の「次女」とは言えそうにないのだけれど、生まれたばかりの赤子が無力なのは当たり前。そこからいかに頑張って成長し、その過程で「次女」としての存在感を示していくか、ということが大事なのだ。そうであるならば、今のように、さながらAKB48ファミリーの末っ子のような存在として扱うのはほどほどにとどめて、公式ライバルの名の通り、きちんとAKB48ファミリーに伍していくような位置づけにしていく必要があるのではないか。そうしてこそ、あえて違う名前を与えた真価が発揮されると思うのだ。