AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

増山加弥乃さんの卒業に思う

2007-12-01 06:20:56 | Weblog
 先日、速報として出口陽さんの卒業のことを書きながら、その後、そのことを全然書いていないのだが、まあこのブログに誰もレポート的な内容を求めていないだろうということでご容赦願いたく。また、実は前に「増山加弥乃さんの卒業延長はあるか」ってエントリタイトルをつけてしまったわけなんだが、これは日本語としておかしかった(^_^;)。「卒業延期」か「在籍延長」のどっちかであるべきだった。まあそもそもお馬鹿ネタなんで、誰もまともに相手にしていませんかそうですか。というわけで私としては、相変わらず勝手な妄想をほざいておくことにする。

 11/30 の千秋楽をもって、つつがなく増山加弥乃さんは卒業したのであった。良い意味で、これほど「湿っぽくない」卒業というのは初めてだった、ような気がする。

 これまでずっと、チーム A では年長の方から順番に卒業が続いて来た。その中でチーム A 最年少の加弥乃ちゃんがあっさりと卒業していくというのは、ちょっと意外でもあったけれど、しかし別の意味ではとっても良いタイミングだと思うのだ。

 増山さんは 2 年前、まだ劇場がガラガラだった頃、20 人の中で目立って小さかったけれども、当時はメンバーの中で一番「ステージの上に立つ人」としての立ち居振る舞いができていた。年末のお台場、まだ舞台袖で着ているベンチコートすらない時期、薄手の「PARTY が始まるよ」衣装でステージに立った時は、小さな身体に寒さが一際厳しそうだったけれど、唇どころか顔色まで青ざめるほどの厳しい条件の中で、しっかりと歌い踊っていたものだった。

 ただ、一方では「子役くささ」が目立つ部分もあったためか、その後も AKB48 の中では、あまりポジションに恵まれた方ではなかったと言わざるを得ないだろう。けれども、次第に背が伸び、それとともにすんなりと伸びていく手足を生かしたフリは、なかなかきれいだった。あと 1、2 年もしたら、もしかしたら AKB48 の中でもトップクラスに入っていたかも知れないと思う。だが、それを待たずに、本来の目標である女優を目指す方向に、軽やかに駆け出して行った。

 見送るファンの側としては、正直なところ、「チョコミミ」1 つだけで出て行って良かったのかな、という気がしないと言えば嘘になる。「チョコミミ」 は確かに大きな仕事ではあるが、石橋を叩くというか、もう少し将来の展望が確実なものになってから、あるいはせめてあと 1 つか 2 つ、同水準の大きな仕事を経て、劇場に出られないことが常態化してからでも良かったんじゃないか、みたいな気がしてしまうのも事実だ。

 だが、そう考えて改めて劇場を見渡してみると、そうやって卒業するタイミングを失ったまま、AKB48 のトップ付近に滞留している人が少なからずいることにも気づく。そしてそのことが、AKB48 に「上が詰まっている」感覚をもたらし、一部のメンバーに無力感をもたらし、AKB48 全体にある種の「淀み」を生じている印象は否めない。この辺の話を始めると長くなるし、話がそれるので、また別のエントリで改めて書くこととしたいが、ともかく、今の AKB48 につきまとう、ある種の淀み感というのは、「卒業」というものに前向きなイメージを持てるほどの成功事例が少ない→卒業を先送りする→卒業による成功事例がなかなか生まれない、という悪循環に原因があると思うのだ。

 卒業に不安が伴うからといって、そういう淀みの中に居残ることを選択すれば、自身もまた悪循環を促進して、淀みの一部となっていくだけだ。これがまだ、アイドル志望、歌手志望の人であれば、あの劇場で日々のステージを重ね続ける意味は大きいだろう。しかし、アイドルを通過点として、その先にアイドルではない何かを夢見ているのであれば、その淀みからさっさと飛び出して、違う流れの中に身を投じることもまた、意義のある選択なのではないか。そういう選択を、身をもって示してくれたのが、加弥乃ちゃんだったのではないか。

 加弥乃ちゃんの卒業が、結局は彼女が AKB48 に入る前から持っていた子役としての才能や経験を元に出て行ったことになるのか、あるいは彼女がこの 2 年、AKB48 での経験を通じてつかみ取った何かがあるのか、それは分からない。できれば AKB48 でしか得られなかった何かが、彼女の力になっていてくれればと思うのだけれども。

 増山加弥乃さん、本当に卒業おめでとう。これからのあなたの進む道が、輝かしいものでありますように。

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