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AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

やっぱりA-4thいいわ

2008-04-20 18:09:14 | Weblog
 いやもう、ほんと、なんでこんなに楽しいんだろうっていうくらい。ひまわり組だって個々の楽曲は悪くなかったし、メンバーのことも個々には好きだったのに、心の底から楽しみ切れていなかった。でも、A-4th はもう、文句なしに楽しい。やっぱり「自分たちの」公演であり、自分のパートは自分のものだ、というメンバーの思いもあるのだろうか。それとも、メンバーは意外にそんなことは気にしていなくて、私たち客が勝手に忖度し過ぎているだけなのだろうか。どちらなのか分からないが、とにかく楽しい。

 あゆ姉に続いて、ちるりまでいなくなって、ひまわりの 10 箇月を経て、今さらチーム A で団結できるんだろうか? と、いささか心配だった。まとめ役としてシンディに戻って来てもらった方が良いんじゃないか、とまで思っていた。だけど、実際にステージを見て、心配し過ぎだったと気がついた。チーム A はもともと、団結なんてしていなかったのだ。しかし、だからと言ってバラバラだということじゃなく、誰かが号令かけて無理に「団結」なんかしなくても、全員が個々に判断して、必要なところにちゃんと揃うってことだったんだよな、と改めて思う。メンバーが以前より成長した今、そうした自律的な個人の自然な集団というものは、より洗練されているものと思いたい。

 そういう意味で、佐藤(亜)さんや藤江さんは、チーム A 的な行動原理を飲み込めればあっけないほどすんなりと、チーム A に入り込めるのではないだろうか。もちろん、あの年頃の、それなりに自己主張も強い女の子たちが 16 人もいれば、いろいろあるだろうとは思うが、あまり深刻になり過ぎないのが良いと思う。

 あと、やっぱり里菜てぃんが戻って来たのは大きいなあ。あれだけの表現力と存在感のある子が、ずっといなかったというのが、いかに大きな欠損だったか。休み自体は仕方のないことなので、できるだけ考えないようにしていたし、ましてやここには書かなかったのだけれど、戻って来た今ならば書いても良いだろう。やっぱり中西里菜さんは、AKB48 にとってのキープレーヤーの 1 人だ。いつか卒業して行く時が来れば別だけれど、少なくともそれまでの間は、里菜のいない AKB48 はあり得ないと、強く感じた。

 と、友人が横から書いている最中の画面をのぞいて「言ってることはわりと賛成なんだけど、里菜推しのあなたが言っても『推しひいき』としか思われないんじゃない?」と忠告してくれた。別に、もしそうとしか思えないなら思っててくれて構わない。しかし、見る目のある人なら、多かれ少なかれ似たようなことを感じるはずだと私は思う。

 おーぃえの復帰も、チーム A のムードメーカー兼、歌の底支えという意味で、やっぱり大きい。もし大江さんと中西さんのどちらか 1 人でも、ましてや 2 人とも復帰していなかったりしたら、こんなに楽しい A-4th にはなっていなかった気がする。

おかえりなさい

2008-04-20 15:02:50 | Weblog
A-4thリバイバルで里菜とおーぃえが復帰。抽選は今ひとつで、立ちポジションのやや後ろからだったが、その場に立ち会えただけで十分に幸せだった。

私は基本的に、ステージ全体を満遍なく見ていようとする方なのだが、初回はさすがに無理。泣きながら里菜とおーぃえばかり見ていたような気がする。

ひまわり-2nd千秋楽について

2008-04-20 04:23:56 | Weblog
 いわゆる「表メン」千秋楽は、私個人としては、まったく気分的に盛り上がれないまま終わった。こんなに心の動かないまま淡々と過ぎる千秋楽もないよなー、というくらいだった。一方、「裏メン」千秋楽は、自分でもどうしたかと思うくらい、目がウルウルしてしまっていた。そういう個人的な思い入れと、いわゆる客観的な見方というものを完全に分けることなどできないし、そもそも私は評論家ではないので、そんなところを無理やり分けて「客観的な」見方をしようとも思わない。従って、以下で述べることは、あくまでも私の個人的な思い入れたっぷりの見方に基づく妄想に過ぎない。

 と、前置きばかり長くなってしまうのも困りものだが、ざっくり言うと
・「表」千秋楽は、チーム A の悪いところが反映されてしまった
・「裏」千秋楽は、チーム K の良いところが反映されていた
ということなのかな、と感じたのだった。誤解しないで欲しいのだが、チーム A にも良いところはあり、チーム K にだって悪いところがある。どちらのチームが一方的に良かったり悪かったりする、という意味ではない。あくまでも、「チーム A 的なものの悪い面」と「チーム K 的なものの良い面」が、それぞれの千秋楽に反映されていたように思う、ということだ。

 「表メン」は、各自がもうそれぞれの外での仕事にいそがしく、もはや AKB48 劇場での公演がさほど重要ではないし、まして他のメンバーとの融和・結束といったようなことは、二の次三の次といった人が多いような気がする。個々人が主張し合う、というよりも、むしろ主張し合うまでもなく、個々に勝手に動いていれば良い、といった雰囲気さえ感じ取れる。それは、チーム A の個人主義的な面が行き過ぎた状態に、とても良く似ている気がしたのだ。

 一方の「裏メン」は、1st でも 2nd でも、立ち位置のおぼつかない研究生数人ずつを迎えて、公演を何とか成り立たせるためには、全員が積極的に協力関係を構築して維持する必要があったのではないか。それがちょうど、チーム K の、全体が「チーム」として結集する方向性と、良く似て見える気がしたのだ。

 もちろん、現実のひまわり組公演においては、「表メン」も研究生と一緒にステージに立っていたのであり、公演がうまくいくよう、「表メン」だってそれなりに努力はしていたはずだ。ただ、非常に雑に一般的傾向を言うなら、そうした融和とか結束とかがより多く必要であり、そして実際に努力したのは、おそらく「裏メン」だったと思うのだ。個々人の差はそれほどではないのかも知れないが、それを 16 人ずつにまとめた結果として、千秋楽ではその違いが際立って現れたということなのではないか。