アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

肥満と人間 7

2009-10-12 18:42:02 | 思い
 最後に肥満が精神に与える影響について述べておこう。
 人間は、自分が太っているか痩せてるか、背が高いか低いか、顔形はどんなか、思いや行動はどうかなどによってセルフ・イメージ(自己像)を作り上げている。その中で過度の肥満は、それが自分の意志の弱さが招いた結果であるがゆえに、著しくセルフ・イメージを貶める要因となってしまう。特に男女ともに過肥満は美的とは受け取られないために、自己の異性に対する自信の喪失にも繋がる。、
 その結果はともすれば、自信喪失、自尊心の欠如による被虐的行動や傾向、卑屈と尊大の同居、性的偏向、幼児や動物など弱い者への虐待、厭世的世界観による破壊衝動のような種々の具体的な行動となって表されがちとなる。つまり元々は意志薄弱が招いた肥満だったのであるが、それが度を越せば、やがては本当に重篤な新たな障害(謂わば「肥満的気質」)を精神に負わせることになるのである。
 それに加えて、近年になって肥満が男女の性生活に具体的な影響を及ぼすこともわかってきた。例えば、
 最近は日本でもセックスレス夫婦が増加し、およそ夫婦の3組に1組がセックスレスになっているという。(日本性科学会によるセックスレスの定義は、「特殊な事情が認められないのにもかかわらず、カップルの合意した性交あるいはセクシャル・コンタクトが1ヶ月以上もなく、その後も長期にわたることが予想される場合」を指している)。
 この原因として、夫婦のコミュケーション不足や残業の多い労働環境が問題視されているが、肉体的かつ精神的な問題として肥満も少なからず影響しているのではないかと考えられている。
 まず肉体的な問題として、肥満は2型糖尿病になりやすい。遺伝的背景と肥満が原因となる2型糖尿病は、過食などで血液中の糖の量が多くなりすぎてインシュリン不足になり、血液中の糖が処理しきれなくなって引き起こされる。肥満の人は、正常な人に比べると約5倍も糖尿病を発症しやすいという医学的なデータが出されている。
 そして近年、2型糖尿病患者の男性の約40%にED(勃起不全)があることが判明した。
 今や日本においては肥満も糖尿病患者もともに急増しており(40歳以上においては10人に1人が糖尿病)、その結果、肥満⇒糖尿病⇒ED(勃起不全)の増加につながっていると考えられる。
「Dr.ナガシマのダイエット談義」より抜粋意訳)

 もうひとつそれを側面から裏付けるように、別のサイトに肥満の影響を解説している部分があったので紹介する。
 ちなみに女性はDHEA(ジヒドロエピアンドロゲン)という性欲に強く関係する性ホルモンが、男性はテストステロンという性ホルモンが肥満によって減少します。性ホルモンが減少すると、女性は男性化し、男性は女性化します。さらには、その影響が自律神経にまでおよび、若年性更年期障害になる可能性もあります。

 つまり肥満は、ある面では性的嗜好を歪め、また別の面では性的不能を招く要因ともなるらしい。このことからもやはり自然界は、肥満した上位捕食者の生存や繁殖を許さない傾向にあると言えるかもしれない。

 以上、肥満と人間との関係について幾つかの視点からの考察を行ってみた。日々土と面し、いのちあるものと語り合う私の生活の中で、ある時ふと、なぜ自然界には肥満がないのか、またもし肥満したとしたら、その生きものはいったいどうなるのだだろうかを思う時があった。あらためて言うまでもなく、今のヒトの存在は大自然の生態系の中では突出しすぎているのである。ただそれはどうしてなのか、それが人間にとって望ましいのか悪いことなのかを、自分なりに検証したいという気持ちがあった。
 読み返してみれば、肥満の悪しき面だけを取り上げすぎているふうがなくもない。けれど実は当初は、論旨の公正さを期する上からも、肥満のメリットも同等に取り上げたいとは思っていた。でもいくら考えても思いつかなかったので無理に述べるのは諦めたという経緯がある。
 あらためて思うに、現今一般に見られる(過度な)肥満はヒトとして著しく反自然的であり、大自然の倫理に反している。この事象がもたらす結果は種の衰亡、世界飢餓の助長、道徳の退廃、人間性の後退、国内外の紛争の触発、社会規範の崩壊、歴史的に見て文明の衰亡・・・と数知れない。実を言えば私自身は少しぽっちゃりとした女性がなんとなく母性的なものを感じさせるようでいて好みといえば好みなのだが、そんなことを凌駕して余りあるほど肥満には別の厳然とした本質のあることがわかった。例えて言うなら肥満は、種のため生態系のために不適なものをふるい落とすために、地球が仕掛けたトラップのようなものなのかもしれない。それによって今私たちのいるこの自然界が保持されてきたのである。これをもし地球資源を食い尽くす肥満を看過したとするならば、いったいこの先どうなるであろうか。
 過度の食事はいのちを無為に殺戮する行為である。過栄養による肥満はゆえに自然界の倫理に逆らったものである。それをしなければ救われただろう数多のいのちが存在する。私たちは自分の食べているものがなんなのか、日々自分の体を作っているものがなんなのかについて、今少し考えを深めてみる必要がある。
 例えば私の農業形態や暮らしぶりに憧れて、稀に同様の志を抱いてると称する人がやってくるとする。しかしもしその人が喫煙者だったり過度に肥満していたりするならば、私はその人の言うことを100%真に受けることができない。おそらくは彼はまだ大切なことを知らないか、半ば気づいているにしても意志薄弱なゆえにそれに直面する勇気がないのかもしれない。どうして生きものを愛する人が、日々いのちの虐殺を行いうるだろう。人の志はなによりもまず、その肢体や行動に反映されている。ヒトの身体はその意味で、内実を表すひとつの象徴なのである。

 
【写真は、「肥満と人間 2」の冒頭写真で紹介した「世界一重い男性」マニュエル・ウリベ。彼は3年前の婚約を機にダイエットを決意し、体重を230kgまで(その以前の半分以上も)落とした(昨年10月時点)。そのことによってもう一つのギネス記録「世界で最も体重を落とした男性」に認定されたという。婚約者とは去年晴れて結婚し、今では体重120kgを目標として更なるダイエットに励んでいるという。今では「メキシコ人に栄養の大切さと肥満の怖さを認識させたいです」と語っている】


(おしまい)

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3 コメント

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肥満と性格および環境破壊 (赤鬼)
2010-07-11 02:34:39
 独自の見解、大変面白く拝読しました。
 ただし、性格の変質および環境への影響などを全て直結し、肥満者を「性格破綻者」として捉えるのは、あまりに短絡的すぎると感じます。
 そもそも、営農家でいらっしゃるようですが、現在の日本農業そのものが「環境汚染」と「農政利権」の塊であり、海外との経済競争から逃げ、自ら「負け犬」産業になり下がっている状況で、そういう方が肥満という問題を単なる性格破綻者による「犯罪的行為」と主張するのは、まさに「性格破綻者」の言動としか考えざるを得ないと考えます。
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ご意見ありがとう。 (agrico)
2010-07-12 20:33:11
 この記事だけを読むと、単純に「肥満=性格破綻者」と受け取られかねないのかもしれません。確かに過度の肥満はその向きがあるとは思いますが、でも一口に肥満といっても程度があり、その点で書いた私の尺度と、読み手の尺度はなかなか合致しないのでしょうね。また「性格破綻」とは極限の状態を指すのであって、ここでは意志の弱さがさまざまな精神的「万病の元」となることを述べています。そのことを短い文章で直截的に述べてしまった結果、そのように受け取られたのでしょう。
 一度文字にした言葉は一人歩きをする運命にあり、表現力の無さや受け取り手の主観などいろいろな要因によって必ずしも当初の意図そのものが伝わるとは限りません。その意味で、この文章も結局はどのように捉えられても仕方ないのだと思います。また私自身今の一般的な世の中ですんなりとは受け取られがたいものを持っていることも事実で、しかしそれでも私は私として自分の言葉を発する他に道がありません。
 農業についてのコメントは、前半はそのとおりですね。でも「海外との経済競争」に負けた「負け犬産業」というのは言いえてません。お金を価値基準に置き「勝った」「負けた」という発想自体が今の精神や社会の、ひいては過度の肥満のような心身の歪みの元凶となっています。
 元々「食べもの」はお金などとは比較できない価値を持っており、それを生産する農業は貨幣経済などに組み込まれるべきものではないと思うのですよ。農業を産業としての「業」といった意味でいうならば、私のしているものはそれには当たらないのですが、でも他に妥当な言葉もないので通常は「農業」と言っています。
 しかしこのテーマについては遠大になるので、いずれ機会があればあらためて述べようと思います。 
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Unknown (Unknown)
2010-09-05 18:54:49
> 元々「食べもの」はお金などとは比較できな
>い価値を持っており、それを生産する農業は貨
>幣経済などに組み込まれるべきものではないと
>思うのですよ。農業を産業としての「業」とい
>った意味でいうならば、私のしているものはそ
>れには当たらないのですが、でも他に妥当な言
>葉もないので通常は「農業」と言っています。

 「農業は貨幣経済に組み込めない」とは、大変ユニークな意見ですね。皆さんが全ての農産物を無償で日本国民に供出しておられるなら、そういうこともあるでしょう。
 ただ、海外より高い「商品」を生産し、他の産業が稼いだ血税を補助金として湯水のごとく使い、農村「票田」という政治圧力で国家利権を都市より収奪している状況で、あたかも「農業が祖国の為に他の産業より優越している。」が如きご意見には同意するのはもはや困難です。
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