ミーコが生きていた頃、私が庭で仕事を始めると、彼女はいつもどこからか現れて、私のそばにやって来た。農家には、重いものを動かしたり刃物を振り回したりする仕事が多い。薪作りにしろ大工仕事にしろ、猫などにそばへ寄られては危なくて困るのである。しかし齢20を越え、世の中のすべてを知り尽くした彼女にとっては、それはいかほどのことでもないようだ。鉈を振り回していようが、丸鋸を走らせていようが意にも介さず、われ . . . 本文を読む
昨日夢を見た。少し面白い内容だったので、今回はそれを共有してみよう。
以前、私はいわゆる「明晰夢」と呼ばれる夢をよく見ていた。夢の中で「これは夢なんだ」と自覚できる夢である。夢の中では肉体がないので、自分のイメージや意図によってどのようにでも、どんな「現実」でも創ることができる。私は空を飛ぶのが好きで、よく家の上空に舞い上がってみたり近くの町へ飛んで行ったりしたものだった。一時期そんな夢の内容を書 . . . 本文を読む
わが家の猫たちは、ラーメンが好きである。実はここ数年、私は朝にラーメンを食べることが多い。もちろんインスタントだ。こう言うと意外と思われる方も多いだろう。長らく自給自足をモットーにしてきたたわが家では、かつては小麦を育ててうどんを作り、ソバを育てて蕎麦を打った。しかし当時ラーメン作りだけはハードルが高かった。かんすいが手に入らなかったのである。今ならネットで購入することもできるのだろうが、あの頃は . . . 本文を読む
アイヌに伝わるカムイユカラ(直訳すればカムイの叙事詩。カムイとは、生きもの・山や川・自然現象・人工物など、すべてのものに宿るその本体。神/霊/魂とでも訳せるもの)を集めた本に「アイヌ神謡集」というものがある。今からおよそ百年前(1923年)、アイヌ女性・知里幸惠が邦訳・編纂したものである。今回はその中の一篇「梟の神の自ら歌った謡 『銀の滴降る降るまわりに』」を紹介しよう。かなり長いので、途中省略し . . . 本文を読む
おぉ! わが家から縄文式土器がっ!!
なんじゃ?こりゃ???・・・もしや縄文人も猫をかわいがったのかっ!?
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日本人は縄文人と弥生人の混血であり、アイヌは縄文人の直系の子孫だと一般に言われている。それはそうに違いないと私も思うのだが、今日は縄文人とアイヌの関係についてひとつ私見を述べてみよう。
以下はwikipedia「コロポックル」からの抜粋である。
アイヌ . . . 本文を読む
今日は、手放し/統合を進める人が時として陥ることがある、ひとつの落とし穴について述べてみよう。これはもしかしたら今意外とたくさんの人が直面していることかもしれないし、もしあなたがそうでなかったとしても、こんなこともあるのかと思って聞いてもらいたい。
私たちが教育や幼いころの躾けによって刷り込まれた信念の塊であるエゴは、それに従えば際限なく苦しみや悲しみを生み出すように意図的にデザインされている。 . . . 本文を読む
家の裏に、前から生えていた二本の木がある。クリとクワ。あの時この家に越してきた住人たちと同じようにまだ若かったその木々も、今では見上げる大木に育っている。その枝の下に立ち、タオルケットに横になったミーコを腕に抱えて、私は語りかけた。ほら、ミーコ。ここでおまえは遊んだな。ホルスと一緒に。二人でこの木に登ってよく遊んだな。
23年前、私は手のひらに載るほどの二匹の子猫をつれて、この家に来たのだった。
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先に述べたとおり、多くの人にとって、自己は子どもの頃から、ほとんどエゴに乗っ取られた状態にある。だから「エゴ=自分」と信じて疑わない。なにかにつけエゴの声はとても大きいし、対してハートの声は感じれるかどうかの微かなものだ。ではこのエゴを小さくしてハートの声を復活させるには、どうしたらいいだろうか。
例えば私がしたように「信念体系」というものに正面から取り組んで自己を変えていく方法もある。またバシャ . . . 本文を読む
母なる地球が次元上昇するのに合わせて、今多くの人が自分の意識を変えようと試みている。そしてこのための豊富な情報がメディアやネット上で容易に入手できる状況にもある。更に宇宙からはそれを助長し支援してくれる膨大な量のエネルギーが注ぎ込まれている。時は絶好のタイミングにある。そして実際に多くの人たちが日々生まれ変わっている。
しかしながら、この作業に少なからず停滞してしまっている人も多い。その多くはいわ . . . 本文を読む
若いころ、食器を洗う時は使う前よりもきれいになるまで洗う、という言葉を聞いたことがあった。そうかそれがいいのだなと思って、長い間そんなことを真面目に心掛けていたりした。しかしよくよく考えてみると、これは噴飯ものである。モノは使えば必ず消耗する。いずれは壊れるなり摩耗して原形を失う。これは自然界の摂理であり、およそすべてのものに当てはまる。それなのにいったい誰があんなことを言い出したのだろう。まあ、 . . . 本文を読む