粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

所沢の住民投票と原発事故

2015-02-16 19:45:43 | 福島への思い

昨日。埼玉県所沢市で航空自衛隊の基地周辺にある小中学校にエアコンを設置するかどうかの是非を問う住民投票があった。賛成が反対を上回っていたが、有効投票が規定より少なかった。設置反対を主張する市長に取っては投票そのものが拘束力がないとはいえ微妙な結果になったようだ。

基地周辺の小中学校がどの程度騒音が酷いかわからない。しかし、現状として、夏でも騒音防止のために窓を閉め切っているとしたら、エアコンを設置を求める保護者たちの要求は当然とも言える。これに対してエアコン設置に30億円を計上しなけらばならないことで市長は設置に難色をしめている。

ただ、どうも市長に反対理由としていることで気にかかる部分がある。「原発事故などを受け、便利で快適な生活を見直すべきだ」と。おそらく、市長には原発事故でいまだ仮設住宅での厳しい生活を強いられている避難民のことが念頭にあるように思う。こうした人々の苦労を理解すべきだ、というふうに。

しかし、たとえば所沢の小中学校で炎天下の夏でエアコンがないために熱中症で児童や生徒が倒れ、病院に運ばれたとしたら、福島の避難民はどう思うだろうか。自分たちへの勝手な配慮が仇になったと不快に感じるのではないか。エアコン設置反対で原発事故を理由にするのは単なる口実でしかない。ありがた迷惑、いや余計なお世話ということになるのではないか。

福島のことを考えるのだったら、所沢市がいまだ風評被害に苦しむ福島の産物を率先して購入するとか、小中学校の夏の修学旅行に福島を指定するぐらいのことをしてほしい。エアコン設置反対に軽々に原発事故を理由に挙げてほしくない。また、所沢市内の小中学校のエアコンのことは問題にしても、市役所、特に市長室のエアコンはどうなのかと嫌みに一つもいいたくなる。

 

福島県内の出荷制限

2015-01-13 18:41:05 | 福島への思い

昨日のブログで福島県内の母親が、義父が家庭菜園で作った野菜を子供たちに食べさせない話を書いた。そこで、それに関連して現在、福島ではどんな産品が出荷制限されているのかをネットで調べてみた。

農林水産省ホームページ「出荷制限要請等の状況(11月21日更新)に詳しく出ている。正直言って、今も青森から千葉まで東日本全域で制限が行われいるこtに驚いた。しかし、農産品をみると、シイタケなどを除けば、ほとんどが野生の産品が圧倒的に多いことがわかる。人工的に栽培したり畜産したものはまず現在は集荷制限は免れている。

そのうち特に福島県に注目してみる。いまだに避難指示区域といわれる住民の帰還が制限されている地域を除けば、1青果関係では、ウメ、ゆず、クリ、原木しいたけ、原木なめこ、きのこ類、たけのこ、うど、くささてつ、たらのめ、ふきのとう、わさび、こしあぶら、ぜんまい、わらび、ふき、うわばみそう、となる。

一部樹木、原木しいたけなどのキノコ類、山菜類だ。多くが野生と露地といった特殊な産品だ。いわゆる栽培した野菜というものはもはや福島でも出荷制限を免れている。栽培の場合は、事故後土壌を入れ替えたりして、被曝の影響を極力減らす努力がおこなれたことが大きいのではないか。

NHKの特集番組で登場する母親の義父が栽培する家庭農園も、過去の放射線の検査でも不検出のようなので、そうした配慮がなされたものと考えられる。だから、テレビで登場する母親はあまり心配しないで子供においしいキャベツを食べさせてあげてほしい、と他人事ながら思うのだが。

もっとも、この母親とて福島の産品でも検査を通過したものは気にせず食べているようだ。もはや、福島の農産品がどうのいうこと自体は過去の話だ。テレビによく登場する女性コメンテーターがかつて「福島の食品は食べない」などと公言していた。いまだにそれを実行しているとしたら、単なる意固地お姉さんでしかない。

 

被曝後遺症から脱する新たな機会

2014-12-14 19:01:43 | 福島への思い

今日投票の衆院選は、前回と比べると原発問題はさほど焦点にはなっていないようだ。前回は「未来の党」といった原発問題に特化した奇妙な政党がメディアの注目を集めた。しかし、結果的には未来の党は惨敗し、遂には内部で責任を押し付け合う見苦しい姿をさらけ出してしまった。

今回はそんな原発問題を公約のトップに掲げる政党はない。社民党など弱小政党が争点の一つにしているに過ぎない。また野党の多くが原発の再稼動反対を打ち出しているものの、どちらかとうと今後のエンルギー政策が中心である。原発事故後しばらく国民に恐怖感を伴って広まった被曝による健康被害などはすでに今や特別に叫ばれることはない。

しかし、現在福島では依然12万人にも及ぶ人々が被曝による健康被害から逃れるという目的で避難生活を送っているのが現実だ。確かに、故郷が帰宅困難とされるほどの高い放射線量の地域は住民が帰りたくても帰れないといえるだろう。ただ、すでに十分低い線量で帰宅も可能なのに敢えて「帰ろうとしない」人々も少なくない。

特に小さな子どもを持つ若い世代でそれが顕著だ。あるいは父親だけが故郷に戻り、母子が依然として帰郷に逡巡するケースだ。彼らは必要以上に被曝による子どもたちの健康への影響を恐れて意図的に帰郷を拒否する場合が多い。さらには、地域そのものが避難の対象になっていないのに福島県内という理由だけで「自主避難」している人々もいて一つの社会問題になっている。

一方、「被曝の影響」を口実に依然避難生活を続けている人々がいる。自分のブログでも書いたが、強制避難者たちには東電から毎月個人10万円の手当が支給されるほか、家賃や医療費が免除されたり、事故前の収入がある程度補償されたりしている。これは過度の避難民を優遇し過ぎているいるという非難も最近強くなっている。

これらの避難民の問題はある意味行政の怠慢といえる。確かに事故当時はその手厚い保護も必要であっただろうが、すでに事故から3年9ヶ月を過ぎそろそろ転換すべき課題だと思える。語弊があるかもしれないが、避難民が被曝による健康被害を口実に帰郷を拒否している側面があると考えられる。

もちろん、すでに帰宅困難とされる地域の住民には応分の補償はすべきだが、その線引きには少なからずに疑問が残る。原発周辺地域にもっと限定すべきと考えている。つまり基本的には帰還を原則として復興を進めるべきではないか。政府以下行政がそのための振興策を積極的に講じる必要がある。

そのためには事故のよる被曝の影響について政府は正確で明確な情報を国民に開示することが先決である。これまで被曝で健康被害が出たという事例は全くいってよいほどない。特に注目された甲状腺がんの発症も現在被曝の影響は皆無である。まだこの先保証の限りではないが、甲状腺がんが増えるということは到底考えられない。

つまり被曝の影響は微々たるもので健康被害は想定できない。これを政府は国民に広報して、それに沿った政策を率先して進めるべきだ。これまでの政府をそれを怠ってきた。いまこそ総選挙で被曝に対する国民の意識を一新させる機会にしたい。そして福島そして日本の復興を前向きに取り組んで欲しいと願っている。

 

福島でがんが増えるという逆説

2014-10-13 16:09:53 | 福島への思い

東京大学准教授中川恵一氏への取材記事を読んで考えさせられた。低線量被ばくの誤解と真実第1部第2部第3部)中川准教授はまず、「福島の原発事故では被曝によるがんの増加はまず考えられない」と公言していた。

発がんリスクは放射線の量に比例して発生する確率が高くなると考えられ、年100mSv(ミリシーベルト)の被ばくで、がんの発生がわずかに増加することが観察されています。被ばくをしなかった人と比べて、生涯被ばくが100~200mSv増加した場合に、発がんのリスクは1.08倍になるという観察結果です。この率は喫煙など他のがんの増加をもたらす要因よりも、はるかに低いものです。

福島事故の場合には、年100mSvの水準まで被ばくした人は見つかっていません。作業員で最大82mSvであり、福島県民の被ばく量では99%が10mSv以下です。その水準の被ばくで、がんは増えないと専門家の意見は一致しています。(第1部)

したがって、福島でのがんの増加は全く心配しなくてよいかというとそれは断言できない。むしろ被曝とは関係ない別の要素、すなわち避難生活で生じるストレスによる個人の健康への影響だ。

避難をした人たちにストレスがたまり、飲酒、運動不足が起こり、その結果、糖尿病と高血圧が増加していました。飯館村では、事故前は高齢者でも農作業をする人が多かったのに、避難所生活ではそれもできません。

さらに従来の社会生活が失われることによるストレスも見逃せない。

また地域社会の崩壊もストレスを増やしていました。希望者は、福島県などの町に住宅を借りて住むようになりました。人それぞれですが、そうした所では、友人などとの交流がなくなり、仮設避難所よりもストレスを抱く人もいました。飯館村の多くの家は広く、また地域のつながりがありました。それがなくなったことが影響していました。

この避難生活が長期化すれば健康に深刻な影響を及ぼす。

福島では放射線被ばくではがんは増えると、私は思っていません。しかし生活習慣の悪化でなる糖尿病などは、がんを引き起こします。長期的に見れば福島でがんが増える可能性が高まっていると考えています。(以上第3部)

日頃、被曝による福島での影響を否定し続けた結果、事故当時は「御用学者」といわれなき中傷を受けてきた中川准教授が「長期的に見れば福島でがんが増える可能性が高まる」と警告しているのだ。なんとも皮肉な話だが、これは深刻に考えなくてはいけないと思う。あれほど福島と比べて被害が甚大だったチェルノブイリ事故でも被曝による死者よりもストレスによる健康被害の方が遥かに大きかったといわれる。

実際のところ、福島の事故当時あれほど被曝の危険性を散々煽っていた反原発の学者やジャーナリスト、メディアが今は「危険を忘れたカナリア」のように大人しくしている。あの毒々しいデマはどこへ行ったのだろうか。しかし、もしかして遠い将来に中川准教授が指摘するようなストレスの影響でがんの増加が現実のものになってきた時、彼らは「それ見たことか」とストレス原因説を棚に挙げて「被曝による影響」を再度言いだしかねない。

そんな事態にならないためにも、「避難生活の長期化」はなんとしても避けなければならない。それは現実的な強制避難に留まらない。放射能の危険を煽った人々に影響を受けていまだ自主的な避難をしている人々や避難をせずとも過剰に被曝を意識して食生活などで過敏になっている人々、いわば「心の避難者」についてもいえる。


福島浜通りの完全復活

2014-09-18 18:02:42 | 福島への思い

30年以上も昔の話、ある出版社で営業をしていた時、常磐線沿線を二泊三日で回ったことがあった。なぜこの駅だったのか今良く思い出せないのだが、南相馬の原ノ町駅を下車して近くの旅館で一泊した。

駅を降りると地元の相馬祭りをピーアールする大きな立て看板が否が応でも目に入った。いかにも地方ののどかな風情であったが、郷里の伝統行事を誇りに思う地元の人々の心意気を当時感じた。今でもなぜか福島県の駅といえば原ノ町駅を最初に思い出す。

今この駅はどうなっているのだろうか。報道によれば、福島県内の常磐線は原発事故の影響でずたずたの状態にある。北側の相馬・浜吉田間は今年から復旧工事が始まり、17年度には再開する予定だが、原ノ町から竜田間46キロはいまだ復旧の目処が立っていないという。この部分にはもちろん福島第一原発が存在して周辺地域の高線量が大きな障害になっている。

最近国道6号線が全面開通になった。常磐高速道路も福島を訪問した安部首相が12月の前倒し復旧を公言していた。今年中にはなんとか福島の浜通りは道路の車手段は復活できることになった。しかし、鉄道手段に目処が立たないのが残念でならない。これが復旧して本当に福島の日常が復活できるのではないかと思う。

鉄道の「線」の部分だけを除染して運営できないものか。原発直近駅はともかく、沿線の駅が開業して昔の活気が復活することを願わずにいられない。自分の出張では当日営業で珍しく成績がよく、常磐線のあまり速くない列車で、のんびり車窓の景色を眺めていたのを思い出す。のどかに広がる田園風景に昼間の緊張から解放され、心地よいひとときだった。そんな懐かしい車窓が戻ってきてほしい。