時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

注目された滋賀県議選の結果

2007年04月11日 | 政治問題
嘉田由紀子知事を支援する「対話でつなごう滋賀の会」が躍進した8日の滋賀県議選の結果が全国的に注目されている。
新幹線の新駅建設に反対する現知事は、定数47の県議会では少数派であったが、今回の選挙の結果、知事の政策に賛同する“親嘉田派”は民主や共産も含め27人と半数を上回る勢力に拡大した。投開票から一夜明けた9日には、大敗した自民の新議員の一部に党を割って知事寄りの会派をつくる動きも見られ、議会の勢力図はさらに変化する可能性もあるという。一方、県議選でも争点となった新幹線新駅問題は、知事の主張する凍結論がさらに強まりそうだ。
嘉田派が躍進した県議選の結果で議会の勢力図は、対話の会が改選前の0から4に増え、民主も11から13に、共産は2から3にそれぞれ伸ばした。一方で、自民は27から16と大幅に減少し、共同歩調をとる公明の2と合わせても過半数には届かない。
選挙結果を受け、自民党会派に分裂の動きも出始めたという。同党推薦のある当選者は「このままの自民党では県民の理解を得られない。嘉田知事に対して批判的な立場をとり続けるなら、(新会派結成は)当然の動き」と、知事に近い第2会派の結成を当選者間で話し合う考えを示した。
別の党関係者も「地域に根ざした日常的な政治活動ができていなかった。政党活動を見直す時期にきているのかもしれない」と落胆した。新会派結成は数人規模の動きと見られるが、自民党支持者の中にも嘉田知事の施策などに賛同する声は多い。議会の勢力図がさらに変わる可能性も秘めている。
今回、当選した対話の会の公認候補4はいずれもトップ当選で、寺川庄蔵代表は「知事選と同じ風が再び吹いた」と勝利宣言。選挙戦で協力関係にあった民主と議会でも連携できれば、“嘉田与党”として大きな力を発揮しそうだ。
さらに、いっせい地方選の後半戦で市議選が行われる新幹線新駅の建設予定地の栗東市では9日、国松正一市長ら建設推進派に衝撃が走っている。
いま国民は、税金の使い道に敏感になっている。バブルの時のような箱物作りや高速道路や新幹線、空港、港湾などの大型開発ではなく、税金は国民の福祉や教育に使えというのが当然の考え方として、徐々にではあるが広がっている。
また、新駅の建設によって、既存のローカル駅ではダイヤが縮小され、駅周辺の地元商店街がシャッター通りに変貌する姿を多くの国民が知っている。
新幹線の新駅建設で、潤うのは一体誰だろうか?
駅だけでなく、周辺道路などの再開発では、落札予定価格の90数%といった高率で工事が落札され、その一部が推進した政治家や中央の代議士連中に賄賂として、あるいは公然と政治献金として流れるのはもう世間一般の常識だ。
良識ある国民は、そのことに気づいている。滋賀がその先駆けになったということである。
今後、滋賀県が大型開発をやめ、県民の福祉や教育、子育て、中小業者への支援などで着実に成果を上げることを心から期待するものである。

都知事選結果、まぁこんなものか。

2007年04月10日 | 政治問題
都知事選挙の開票速報が始まるというので、コーヒーを片手にテレビの前に座ったところ、開票開始後わずか30分足らずで、石原3選が決まってしまった。
数々の暴言、憲法の否定、豪華海外視察、身内の登用などの数々の横暴や都政の私物化が曝露されたにもかかわらず、この圧勝である。
こう言っては失礼だが、都民のバカさ加減にも少々呆れてしまった。「反省」する姿に、騙された人も多かったのかもしれない。
しかし、投票率が上がっているにも関わらず、石原新太郎の得票数が10%ほど下がったことは、良識ある都民が少なからず存在することの現われと思いたい。
さて、歴史を振り返ると、日本人というのはつくづく粘り強い国民なのかもしれない。
江戸時代の約260年もの間、国民の8割を占めた農民は、自らの生産物の4~5割を武士に献上し、自らは米を口にすることは少なく、雑穀を食べて暮らしていた。武士は、この農民のうえに徒食を重ねていたわけである。
そして、この制度が見直されるまでには、実に260年もの歳月を要したわけである。
現代人の暮らしはどうだろうか。
科学技術の進歩によって、江戸時代に比べればはるかに文明的な世の中になったが、数多くの政治家や官僚が国民の税金によって徒食している。その1人が、石原慎太郎ではないか。
しかし、国民がこのことに気づくには、もっと多くの時間がかかるのだろう。
国民もバカではないので、自分の身に増税や負担増が始まれば、気づくはずだと言う人もいる。しかし、企業への減税、補助金のばらまきの一方で、庶民に対する全面的な増税が行われ、サラリーマンの手取り収入は減り、高齢者への税負担、保険料負担が増え、若者は非正規雇用の低賃金で喘いでいるにも関わらず、世の中はそれほど変わっていない。それどころか、悪くさえなっている。したがって、大変残念だが、自動的には社会は変わらないのである。
今回の石原圧勝がその端的な例である。
人柄を基準に選んだという人がもっとも多かったそうだが、憲法を否定し、税金で飲み食いし放題、身内重用のどこに人柄の良さを感ずるのだろうか。
しかも、当選の記者会見で、「阪神大震災では、自衛隊への出動要請が遅かったために、2000人が余計に亡くなった」などと事実に反する失言をし、当選早々に被災地からも非難を受けている。こういう人物がまともな人物であろうはずがない。
国民のレベル以上の政治は育たないことは明瞭である。この国をまともな方向に向けていくためには、もっと多くの努力と時間が必要なことを痛感させられた選挙だった。

餓死:最近の事件から

2007年04月09日 | 社会問題
熊本県で、旅館従業員の母親(49歳)が知的障害のある長男(19歳)に約1ヵ月間食事を与えずこの長男が餓死するという痛ましい事件があった。
近所の民生委員らによると、この母親は温泉旅館に住み込みで働き、長男が自宅に1人で住んでいたという。1年半ほど前には、民生委員に「長男が栄養失調のようだ」という情報が寄せられ、この母親に改善を求めていたという。
長男は1人で食事を準備できず、餓死することがわかっていながら、1ヵ月にもわたって食事時を与えず放置した責任は重大である。鬼畜のような母親だという意見もある。
警察の事情聴取に対して、借金もあり、知的障害の子どもが重荷になったと答えているという。
結果として、わが子を餓死にまで追いやった行為に弁護の余地はないし、許されざる行為である。しかし、母親のみの働きで障害を持つ子供を育てることは容易ではない。また、自立できる可能性が少ない子供の将来に暗澹とした気持ちを抱いたこともあっただろう。
こういう点を考えると、編集長にはこの母親の長年の苦労や悩みが少しは理解できる気がするのである。
また、1年以上前から、近所の民生委員や住人が、長男の世話が不十分であることに気づいていながら、なぜ生活保護の受給や長男の養護施設への入居などを援助できなかったのだろうか。
この点が不思議で仕方がない。
付近の住人も、他人の生活に立ち入るのは憚られるものである。また、この家族の生活はこの家族の責任だという考えもあったかもしれない。
しかし、おおよその実態を把握しながら対策がまったく取られていなかったことは残念だ。また自治体も今回の件を把握していなかったように思われる。
母親本人のもちろんであるが、民生委員や住人が、社会福祉事務所や保険所などの公的機関に情報を寄せ、相談していれば、今回の事態は防げた可能性が高い。一体何のための民生委員だろうか。
そのことがどうも悔やまれるのである。
かく言う編集長も、都会のマンション暮らしである。右隣のお宅とは古くからの顔見知りで日常的にも交流があるが、最近、左隣に引っ越してきた人は挨拶にも来ないので、3ヵ月経っても顔すら見たことがない。そうかと言って、こちらから顔を見るために挨拶に行くのもおかしな話だと思ってそのままになっている。こういう社会環境が今回のような事件の背景に潜んでいるのかもしれない。
痛ましい事件というだけに終わらせず、地域社会のあり方について考える機会にしたいものだ。

公営住宅はどうあるべきか

2007年04月08日 | 政治問題
入居倍率が上昇し、入居が難しくなっている公営住宅で、入居の権利を親から子へ引き継がせないように運用を見直す自治体が増えている。47都道府県15政令指定都市のうち、21自治体にのぼっているという。
「真に住宅に困窮する人に支給するため」と自治体は説明するが、誰が真に困窮する人かを調べる方法は確立されていない。
東京都は2006年度に、これまで3親等まで認めていた入居承継基準(入居権の引き継ぎ)を1親等に変更し、本人死亡後、配偶者または子供が、入居収入基準(月額20万円)を超える場合は承継ができないようになった。さらに、今年8月からは子供への承継を認めず、配偶者だけに限るようになる。このような動きが全国に広がっている。
この背景には、国土交通省が2005年12月に出した「公営住宅の適正管理について」というガイドラインの内容、すなわち「承継が認められるのは原則として同居している配偶者、高齢者、障害者など特に居住の安定を図る必要がある者」という規定によるものだ。
確かに、民間のアパートなどに比べて家賃が安い公営住宅に子々孫々まで自動的に住むことができるというのは不平等と思われる。子供もそれほど年収がなく、引き続き公営住宅に住みたいと思う人もいるだろうが、この人よりももっと困窮しているにもかかわらず公営住宅に入居できない人も存在するだろう。
なぜ、こういう事態になっているのか、都営住宅の実態について調べてみたら、驚くべき数字が明らかになった。
応募倍率は、2000年度の16.2%から、毎年上昇し続け、2001年以降2006年度のまでそれぞれ27.3、36.4、38.7、42.3、43.4、57.4倍とほとんど入居できない状態になっている。そしてこの7年間、建設戸数は何とゼロである。
要するに、自治体が新たに公営住宅を作らなくなって、戸数に限りがあるので、住宅に困っているのはよくわかっているが、もっと困っている人に譲って欲しい、というやり方だ。
この問題を解決する方法は、公営住宅をもっと建設することだ。
また、各家庭の生活実態に合わせて、若年者や高齢者などの1人世帯、2人世帯、大家族など、世帯の実態に合わせた住宅を供給することや家族構成や年収の変化に伴って、住宅の移動なども比較的簡単にできるようにするなどの便宜を図り、流動性を高めることも重要だろう。
配偶者が亡くなり、子供も独立すれば3DKの住宅から単身向けに移動できる。ネットカフェで寝泊りする若者が入居でき、結婚すれば2DKの住宅に移動できる。そんな公営住宅をなぜもっとたくさん建設しないのだろうか?
憲法で保障された生存権を保証するうえで、住環境の整備はけっして個人任せでは解決しない。そのため国、地方自治体である。
豪華な議員宿舎を建設するだけのお金(元々は、我々の税金だが)があるのなら、良質で廉価な公営住宅をもっと建設すべきではなかろうか。こういう税金の使い方こそ、生きたお金の使い方ではないだろうか。

レジ袋有料化に賛成!

2007年04月07日 | 環境・食料問題
大手スーパーのイオンは、京都市で現在実験中のレジ袋の有料化を6月から順次、全国の約400店舗に拡大する方針を明らかにした。6月に京都、仙台両市の計5店舗で有料化するほか、横浜、名古屋両市でも近く有料化を開始する。レジ袋有料化を全国で実施する大手スーパーは初めてだそうだ。
イオンが京都市の「ジャスコ東山二条店」で実施中の有料化実験では、以前は22%だった買い物袋(マイバッグ)の持参率が80%に高まった。同店では1枚5円でレジ袋を販売しており、全国展開でも同程度の料金を設定する。すでに、12自治体と有料化導入に向けた協議を進めているという。
イオンだけで全国で年間11億枚のレジ袋を使用している。このままでは2010年に16億枚に膨れる見通しだが、レジ袋の有料化で半数の計8億枚に抑える計画。有料化で得た資金はリサイクルの一部などに充てられるそうだ。
編集長の近所にある何軒かのスーパーのうち1軒では、以前からレジ袋は有料で、1枚10円である。ご近所の奥さんたちは、このことを熟知しているので、いつもマイバッグもしくは他店のレジ袋を折りたたんで持参している。
レジ袋に余計なお金をかけないせいだろうか、この店の商品は近隣のスーパーより安い。
レジ袋の存廃をめぐっては、有料化に比較的前向きなスーパー業界と反対の声が多いコンビニ業界が対立しているようだが、レジ袋というサービスを止めることによって、莫大なエネルギーを節約でき、ゴミを減量化でき、コストダウンが図れるという大きなメリットがある。
コンビニ業界は、店の客層が若い人が多く、しかも固定客が少なく行きずりの客が多いので、客にとって不便だとの主張らしい。しかし、全国のコンビニがそうなれば、バッグやビニール袋などを持参する人が増えるに違いない。また、缶飲料やペットボトル1本を買うと、ビニール袋に入れてくれるが、これは明らかに過剰包装ではないか。多くの客が店を出た途端に、ビニール袋を出口のゴミ箱や道端に捨てて去って行くのだ。
昔は、奥さんたちが買い物かごをひじにかけて、夕方の商店街を行き来するのが街の風物だった。
今は共働きも増え、奥さんたちもいったん帰宅した後に買い物かごを下げてスーパーに行くなどという悠長なことはしていられない。帰り道にスーパーに立ち寄り、夕食の食材を買い込んで、家路につく。我々は、そんな暮らしの中で、ついついレジ袋という便利な物に馴らされてきたのではなかろうか。
地球や地域の環境なども含めて、今の生活を見直し、将来の生活のあり方を考えるきっかけにしていただきたいと思っている。

この記事、いったい何を言いたいのか?

2007年04月06日 | 経済問題
以下は、先日のSankei Webに掲載されていた記事である。
【現業職の公務員給与、民間の1.6倍も】
不透明さが指摘されている清掃職員など現業部門の地方公務員給与が、類似業種の民間企業の平均月給の1.3~1.6倍程度、割高となっていることが総務省の調査で分かった。
調査では、都道府県と政令指定都市を対象に、平成18年4月1日現在の地方公務員の平均月給と民間給与を比較。その結果、いずれの業種も地方公務員の方が割高で、清掃職員は都道府県が1.66倍、政令市が1.52倍▽給食調理員は都道府県が1.52倍、政令市が1.38倍▽バス運転手は都道府県が1.54倍、政令市が1.47倍だった。
現業職員数が多いとされる政令市の現状をみると、神戸市は、清掃職員が民間の1.73倍、バス運転手が1.67倍と2業種でトップ。給食調理員は北九州市の1.89倍がトップだった。

以上のような記事だが、要するに、公務員の給料が民間より高いのはけしからん、ということが言いたいらしい。
ご存知のとおり、民間企業はバブル崩壊後の10数年の間に、昇給額の抑制やリストラなど大胆な人件費の削減を行う一方で、非正規雇用を拡大し、人件費の徹底した抑制に努めてきた。その結果、一般労働者の給与も頭打ちになり、場合によっては、給与の大幅な削減すら行ってきたのだ。
だから、こうして切り下げられた民間企業の労働者の給与水準が公務員の給与より低いのはけっして偶然ではない。
問題は、公務員の給与が高いことではなく、民間企業が労働者の賃金を不当に低く抑えていることに問題があるのだ。それをいかにも個々の公務員あるいは公務員という集団に問題があるかのように報道するのはいかがなものだろうか。
もし、この記事を書いた記者がこのような現実に不満があるのなら、民間企業の社員にもせめて公務員並みの給料を払うべきだ、と主張すべきであろう。
人間というのは、余りにかけ離れた存在に対しては不平や不満は持ちにくいが、自分の近くにいる人物や自分と似た境遇の人物に対しては、すぐに比較をしたがる。愚かしいことに、自分よりも給料が高い人を妬(ねた)み、給料が低い人を見てささやかな優越感に浸るのである。
要するに、会社がボロもうけをし、社長や重役が高い給料をもらっていることには何の不満も抱かないが、周りの人物を自分と比べて、給料が高いとか、低いとか、それこそ低いレベルでの比較を延々と続けることになる。
以前にも述べたことであるが、公務員と民間労働者だけでなく、若者と高齢者、正規雇用者と非正規雇用者など、無用の対立軸を持ち出して対立を煽るのが支配者の常套手段なのだ。愚にもつかない対立なのだが、やがてはこういう考え(公務員は給料が高い)に多くの庶民が洗脳され、この考えが市民権を得るようになる。
しかし、庶民のこういう対立を煽って最も得をするのは一体誰だろうか。冷静に考えてみればよい。
政権を担当する自公の幹部連中や大企業のお偉方は、「われらの宣伝に乗せられて、庶民どうしがお互いに争っている間は、政権も企業も安泰だな」などとつぶやきながら、こういう庶民の醜い争いをそれこそ「高みの見物」としゃれ込んでいるのである。

再び、バイオエネルギーを考える

2007年04月05日 | 環境・食料問題
ガソリンの年間消費量を10年間で20%削減するという目標を掲げたブッシュ米大統領が、米3大自動車メーカーの首脳と会談し、代替燃料バイオ・エタノールの普及拡大に努める考えで一致したという。
しかし、原料となるトウモロコシの価格が高騰し、エタノールが普及しても温室効果ガスの削減効果は限定的という見方も出るなど、石油依存体質からの脱却と地球温暖化対策の“切り札”に早くも疑問が噴出している。
しかも、米再生可能燃料協会によると、トウモロコシ原料のエタノール生産は現在建設中のプラントが完成しても年114億ガロン程度が限界。トウモロコシの全生産量を投入しても、ガソリン消費を12%減らすだけだという。トウモロコシ価格の高騰によって、「農家が小麦など他の作物からトウモロコシ生産に次々と切り替えている」と米農務省エネルギー政策局は指摘しており、「エタノール・インフレ」とも呼ぶべき物価上昇を招いている。
以前にも本紙で述べておいたことだが、本来人間や家畜の食料とすべき穀物をエタノール生産に回してでも、現在の車社会を維持しなければならないのだろうか?
国連の資料によると、世界で12億近くの人々が、1日1ドル以下で暮らしており、8億4千万人が飢餓に苦しみ、毎日2万4,000人が命を落としていると言われている。
1日1ドル以下で暮らす人の数と飢餓に苦しむ人の数を2015年までに半減する、という国連の取り組みを考慮すると、トウモロコシをエタノールに変えてまで、車社会を維持しようとする社会のあり方というのは、いかがなものであろう。
しかも、そういう政策を打ち出した途端に、穀物価格が10~20%も上昇しているというのだから、異常というほかはない。また、穀物価格の上昇は、そのまま家畜の飼料代の高騰につながり、肉だけでなく、鶏卵、牛乳などの価格高騰を招くに違いない。
代替エネルギーを模索するならば、廃材や間伐材からのエタノール生産などを模索すべきであろう。願わくは、自然や生物、人間社会への負荷の少ない太陽エネルギーや風力、水力などの自然エネルギーのように再生可能なエネルギーの利用促進がカギではなかろうか。
現代の技術力を駆使すれば、地球環境にやさしく、飢餓や貧困からの脱却も可能な社会の実現は可能であると確信している。

ネットカフェ難民

2007年04月04日 | 格差社会
以前から、ネットカフェやまんが喫茶を宿泊施設として利用している若者が増えているということを聞いていたが、最近は新聞やテレビでもずいぶんと報道されるようになってきた。ネットカフェ難民と呼ばれているそうで、ホームレスと異なる点は、ただ、ネットカフェという屋根のある所で寝られるということだけである。
1泊1000円~1500円くらいで、狭い個室には、パソコンと椅子があるだけ。
店によって構造は多少異なるのだろうが、隣とは簡単な仕切りがあるだけで、ドアの高さが低くて上から中が覗けるような店もあるようだ。プライバシーも何もあったものではない。また、リクライニングシートやシャワーが完備されたところもあるようだ。
ビジネスホテルやカプセルホテルで宿泊するよりも格段に安いが、本来の利用方法を逸脱したこのような利用方法は、たとえば消防法などの法令に触れることはないのだろうか?そんなことも気になっている。
また、狭い空間で十分に足も伸ばせず、エコノミー症候群になったり、不眠症になるようなことはないのだろうか。
実家を飛び出した若者、上京して働いていたものの職場になじめず、バイトで食いつなぐ若者など、事情はそれぞれであるが、家賃を払うお金に窮しているため、アパートなどの定住場所を確保できず、ネットカフェなどを寝ぐらにして、バイト先や派遣先の会社に通っている。
カフェの近くからマイクロバスに乗って、そのまま工場に直行などというケースもあるようだが、こうなると、新しい形態の日雇い労働者のようだ。おそらく、偽装請負の巣になっているのではなかろうか。
10代後半の未成年の若者も多く、もちろん女性も含まれている。
現在のこのような境遇をバネにして、やがてはアパートを借り、正社員になり、立ち直っていく若者もいるだろう。
しかし、バイトを掛け持ちして頑張っても、月収が15万円程度では、なかなかこういう状態から抜け出せないのが現実であろう。
こういう働く意思のある若者たちに、一時的にでも宿泊施設を提供し、多少の蓄えができれば、アパートなどを借りて自立できる、そういう短期の宿泊施設を国や自治体の責任で作れないのだろうか?
また、企業が非正規雇用者を正規社員に登用するよう、政府や自治体は法的な規制を行うべきであろう。
こういう重層的な取り組みによってのみ、現在の格差を解消できるのである。

黄砂の季節

2007年04月03日 | 環境・食料問題
中国からの強い偏西風に乗って、日本に黄砂が運ばれて来ている。晴天の日でも視界が著しく遮られるなど日本にも大きな影響を及ぼしている。特に、関西方面では被害がひどいとの報道である。
以前に、テレビで中国のモンゴル自治区の東部を取材した番組を見たことがある。砂漠が西からどんどん押し寄せてきて、今まで牧草地や畑だったところに、ずんずんと黄砂が積もり、やがては砂漠に飲み込まれてしまう。
それを防ぐために、その地域の住民や学校の生徒たちが、植林を行っているのだが、とにかく広大な地域であり、焼け石に水のような取り組みだ。おそらくこの地域の西部にはもともとは牧草地や畑が広がり、多くの住民が住んでいたことであろう。しかし、今では砂漠に飲み込まれて、仕方なく土地を捨て、この地域から去って行ったのではなかろうか?
わざわざ、砂漠に飲み込まれるかも知れない、仮に飲み込まれなかったとしてもそれほど収穫も望めない痩せた土地にしがみついて生きていく必要はないと考えるのが人情というものであるが、未だに住み慣れた土地を離れられず、必死に砂漠化を食い止めようとする人たちの努力に頭が下がる思いがした。
こういう自然の猛威に対して、現在の人類の科学力や経済力は非常に無力である。
これが地球環境やこれらの地域社会にとって非常に大きな問題であることを十分に認識していても、それを防ぐためには莫大な経費がかかり、しかも、現在の科学力では完全に防ぎとめることもできないのだから、誰もこんなことに資金を投じようとはしない。
その結果、地域の住民やわずかばかりのボランティアが、こういう自然の猛威に立ち向かわざるを得ないのが現状である。
砂漠の緑化への取り組みだけでなく、砂漠の砂を大量に活用する新しい技術の開発などで、日本政府や企業が貢献できることも多いと思われる。
地球規模の環境破壊に、日本の高い技術力や経済力が使用されることを希望するものである。