時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

「偉い人」はこの結果をどう思う?

2007年04月26日 | 社会問題
日米中韓の高校生、千数百人ずつに対して、昨年10~12月に調査が行われたという。日本では10都道県の12校1461人に聞いた。
この調査で、日本の高校生の特徴がもっとも表れたのが、「偉くなること」についての質問だったそうだ。
他国では「能力を発揮できる」「尊敬される」といった肯定的なイメージを持つ生徒が多いのに対し、日本では「責任が重くなる」が79%と2位以下を大きく引き離した。「自分の時間がなくなる」「偉くなるためには人に頭を下げねばならない」も他国より多かったという。
「偉くなりたい」と思っている割合は他国の3分の1程度の8%。むしろ「のんびりと暮らしていきたい」と考えている子が多い。日本の高校生は、米中韓国に比べそんな傾向があることが、今回の調査でわかった。
「偉くなること」に負のイメージが強く、責任の重い仕事を避ける傾向も目立った。
このため「偉くなりたいと強く思う」は8%。他国では22~34%。日本の高校生は、他国よりも安定志向が強い。「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたいと、とても思う」は43%と、14~22%の他国より抜きんでている。
将来の展望も控えめ。「大きな組織の中で自分の力を発揮したい」や「自分の会社や店を作りたい」が他国より少ないのに対し、「多少退屈でも平穏な生涯を送りたい」の多さが目立った。
読者諸兄はこの調査結果をどのように感じられただろうか?
社会的に「偉い」といわれている人たちが、必ずしもその人格や人間性において尊敬に値しない日本の社会状況の反映とみることもできよう。政治家や高級官僚、企業経営者などを見ていると、そう感じるのが普通かもしれない。
また、偉くなって責任が重くなることを避け、のんびりとした人生を送りたいと思う気持ちを強く持っているということについては、現代高校生の無気力な一面を表わしているとみることもできよう。自分の父親などが、休みも取れずに働いているのをみて、そういう人生は送りたくないと感じているのかもしれない。
あるいは、「偉く」なりたいと思っても、実際に「偉く」なれる人は少ないから、理想ばかり高くても仕方がないというのが、この8%という数字に表われているのかもしれない。
人々の意識は、常にその時代の社会状況、置かれた環境を反映する。
高校生が(偉くならなくても)夢を持って、自らの人生を有意義に過ごし、他人や社会のために貢献したいと願い、そのような希望が実現できるような社会を構築することが、大人の責任ではなかろうか。