時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

デリバティブで154億損失の駒澤大、理事長を解任

2008年12月20日 | 政治問題
以前の記事でも書いておいたが、大学の金融取引で損失を出したところが少なからずある。
そのうちの1つ、駒澤大学(東京都世田谷区)がデリバティブ(金融派生商品)取引で154億円の損失を出した問題を巡り、駒大の理事会が開かれ、理事長を解任することが決まったそうだ。
駒大は外資系証券会社3社とデリバティブ契約を結んだが、世界的な金融危機の影響で今年3月末に53億円の含み損を抱えた。
好転の見通しもないため、10月下旬、すべての契約を解除し、154億円の損失が確定。清算のためキャンパスやグラウンドなどを担保に都銀から110億円の融資を受ける事態となった。
金融商品という物について、読者の皆さん考えたことがあるだろうか?
たとえば、皆さんがXという商品に投資すればもうかりますよ、という勧誘を受けるとする。
Xは、何でもよい。貴金属や美術品、土地などの不動産、化石燃料や穀物でもよい。形のないサービスやこれから立ち上げられる会社などでもよい。
値上がりするものもあるだろうし、値下がりするものもあるだろう。
しかし、さまざまな投資をトータルでみると、結果的には必ず実際の経済成長率程度の儲けしか得られないことがわかるだろう。
誰かが得をすれば、誰かが損をする仕組みになっている。
さまざまな投資話や売買にはいつか終わりがあるが、現時点では何らかの投資話が進行しており、すべての投資話をある時点で清算して結果をみることはできないため、含み損があってもいつかは解消できるかもしれないし、逆に、現時点では含み益があって儲かっているように見えても、売却する時には原価を割り込んでいるかもしれない。それが見えないのが投資話なのだが、特定の期限(1年とか、5年とか)の間に清算された投資話の結果をまとめて俯瞰してみると、そこで得られた利益は、その間の経済成長の程度に等しいことは当然である。
だから、本当に、人類が豊かになりたいと願うのであれば、くだらない投資話に現(うつつ)をぬかすのではなく、実体経済にいかに有効にお金を回すようにするかを考えなければならないだろう。
大学という最高学府の経営陣であれば、自らの大学の研究室で生み出されたさまざまな研究成果(発見や発明に留まらず、人の精神生活を豊かにするものであっても良い)を社会に還元する形で、投資を行う(お金を生み出す)べきではないだろうか?
そういう努力、お金の使い道をせずに、大学経営者が投資に手を出し、しかも154億円もの損失を出した、その姿勢を笑わずにはおられない。
これだけのお金が失われたことで、大学施設や環境の整備に遅れを生じ、教職員や学生にさまざまな形で不利益となって跳ね返ってくるであろう。
教育の原資で、危険なデリバティブ取引を行うような愚は避けるべきであろう。