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B'zの稲葉 浩志

2011年01月19日 10時11分51秒 | Weblog
B'zの「稲葉 浩志」さんと言えば我らが地元出身のミュージシャン。

年齢もボクより1つ上の46歳。

まさに同世代ですね。

しかも、彼も昨日の福山雅治さんに負けず劣らずの

ナイスなフェイスをしてますよね。

残念なのは身長がちょっと低いことかでしょうか。(笑)

でも音楽的センスや歌詞、そしてシャウトなボイスは素晴らしいです。

今やB'zで大成功を収め、雲の上の人となってしまいました。

出す曲のほぼ全てがヒットするという驚異的な実績、

今なお、続くスーパースターです。

相棒であるギターリストの松本孝弘さんと20年以上のキャリア。

地元なので一応、応援してますが、

「稲葉 浩志」さんは地元に対してどう思っているのか分かりません。

地元でB'zのライブをすることもなく、

栄誉賞も辞退する始末。

B'zレベルのライブとなると動員数の問題など、

やる場所が無いのが理由なのか?

それともしないのか?

現役をこだわって栄誉賞を辞退したのか?

それとも別にそんなもの欲しくないのか?

もうちょっとボクらに分かるように地元愛を見せて欲しいですね。

和菓子屋を経営する兄が「ホルモンうどん研究会」の副会長なので、

ホルモンうどんの普及とPRなどの市民活動に携わっているという噂はあります。

もっと出身地に誇りを持って欲しいですね。



神は二物を与えた、福山雅治。

2011年01月18日 10時28分46秒 | Weblog
41歳にしてあのカッコ良さ、そして音楽の才能。

もちろん俳優としての才能も高いですよね。

何もかも持ってる人、それが「福山雅治」さんです。

ボクが彼を始めてテレビで見たのはドラマ「あしたがあるから」でした。

1991年に放送されたいわゆる当時のトレンディー系ドラマです。

確かヒロインは今井美樹さん、ちょうど20年前の作品になりますね。

「福山雅治」さんがコンビニの売上げを伸ばす

企画開発プロジェクトメンバーの1人として登場してたのを覚えています。

最初の印象は特にこれと言ってなく、

ボクとしては存在感が薄かったですね。

しかし、その後、数々のドラマに出演、

同姓ながらカッコ良いことに気がつきます。(笑)

音楽をしてるのはその後知りました。

当時は俳優…実はボクミュージシャンなんです。(例えば吉田栄作)なんて

スタイルの人が多かったので、なーんだ、コイツもそうゆうこと。

って冷ややかに見てました。

しかし、彼は他とは違ってましたね。

音楽の才能も高かったです。

初期の作品で一番印象深かったのは「IT'S ONLY LOVE」「HELLO」。

後で知ったのですがカップリングの「恋人」も良い歌です。

神は二物を与えた。

まさに彼のことを言うんですね!





アイドルNo.1 SMAP!

2011年01月17日 10時07分32秒 | Weblog
今やアイドルNo.1「SMAP」の結成は1988年のこと。

昭和です。いやぁ随分前ですね。(笑)

実は当時大人気だった同じジャニーズの光ゲンジとほぼ同じ時期のデビューです。

結成当時の年齢はそれぞれ、

中居15歳、木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草13歳、香取11歳。

みんなめちゃ若いです。

それまでのジャニーズアイドルと違い、彼らは早い時期から、

バラエティー番組に取り組みます。

1992年「夢がMORIMORI」がスタート、アイドルらしからぬコントを披露。

ちょうどこの頃から木村拓哉「キムタク」がメンバーの中でも大ブレイクします。

その後、1996年に木村拓哉初主演ドラマ「ロングバケーション」が

30%超えの高視聴率を獲得。

木村拓哉さんを中心とした「SMAP」の人気は絶頂に上り詰めます。

歌も「青いイナズマ」「SHAKE」「ダイナマイト」が立て続けに大ヒット!

国民的なアイドルにまで成長。

現在もなおその地位は不動なものになっています。

これだけ長い期間、アイドルというスタンスで人気を保持した人は他に存在しません。

年長の中居正広さんや木村拓哉さんも来年は40歳。

アラフォーアイドルが現実化しそうです。

今の中高校生に「SMAP」ファンが存在するのかどうか?

そこら辺は疑問ですが、とにかく全体的には人気です。

さて、今後彼らはどこまでアイドルとして人気を保ち続けることが出来るんでしょうね!

注目ですね。





無冠の帝王、ジャン・アレジ。

2011年01月15日 10時47分42秒 | Weblog
フランス出身のF1ドライバーです。

日本人の女優、後藤久美子さんと夫婦であることで、

日本でも多くの人が知ってますよね。

二人の間に子供が3人いるのですが、

実情は内縁の妻ということになってます。

ジャン・アレジのF1デビューは1989年。

ティレルから参戦します。

当時あの中嶋悟がチームメイトだったんですよね。

彼の才能は直ぐに結果につながり、

初戦でいきなり4位になり関係者達から脚光を浴びます。

そのアグレッシブルな走りはトップドライバーを脅えさせる勢いでしたからね。

無謀とも言えるほど限界でドライビングするスタイルは、

F1ファンの心にも残ったと思います。

それに目を付けたフェラーリ陣営が1991年にアレジを獲得。

長く低迷を続けていたフェラーリだったので、

ジャン・アレジによせる期待は大きいものだったと言えます。

1995年まで在籍したのですが、

フェラーリをチャピオンチームまで押し上げることは結局出来ず、

ミハエルシューマッハと交代するカタチになります。

その後はベネトン、ザウバー、プロスト、ジューダンと渡り歩き、

2001年に引退を表明。

一発の速さには定評があったジャン・アレジでしたが、

結局、ワールドキャンピオンになることなく現役を終えてしまいました。

F1は速いだけでは勝てないことがよく分かりますね。


無冠の帝王、ランディ・マモラ。

2011年01月14日 11時04分14秒 | Weblog
アメリカ出身のロードレース世界選手権(WGP)ライダーです。

デビューは1979年で当時19歳という若さでした。

初年度は250ccクラス(ヤマハ)と500ccクラス(スズキ)の

ダブルエントリーで何故かそれぞれ違うチームから参戦という

今では考えられないスタイルをとっていました。

2年目からは完全にスズキチームから500ccクラスで戦います。

ランディ・マモラはデビュー当時から常に速く、

優勝回数も沢山あり、いつも上位を走っていましたが、

ヤマハ、ケニーロバーツ、ホンダからはフレディースペンサーなど、

超スーパースターがいたため、

彼自身ワールドチャンピオンには1度もなっていません。

1984年にスズキからホンダにチーム移籍するのですが、

小柄な体系にホンダのマシンとが合わなかったのか、

コーナー中に外側のステップから足が離れてしまい

それを日本のファンからは「マモラ乗り」なんて言われていました。

それでもちゃんとマシンをグリップさせて、

速いコーナーワークを見せてたところはさすがと言えます。

現役中の成績としては総合で2位が4回、3位が3回と、

素晴らしくも残念な成績を残しています。

1988年にチームカジバに移籍して以降ぱっとした成績を残せず、

1992年に引退します。


タイガーマスクこと伊達直人。

2011年01月13日 10時37分56秒 | Weblog
今、各地の養護施設に「伊達直人」と書かれた人物から子ども達に、

ランドセルや文具、現金が寄付されてますね。

どこかの誰かが「伊達直人」に扮して、

恵まれない子ども達に無償でプレゼントしてます。

そう「伊達直人」と言えばタイガーマスク。

ボクらが子供の頃にあった昔のプロレスマンガですが、

実際、マンガの中でタイガーマスク扮する「伊達直人」は、

自分が育った養護施設にお金持ちのお兄さんと名乗り、

子ども達に寄付をし続けていました。

その養護施設が取り壊しになる話しを聞きつけた「伊達直人」は

ファイトマネーの50%を無断で使い、取り壊しを防ぎます。

しかし、それが原因で悪役レスラー養成団体の

虎の穴からリング上で命を狙われるようになるんですよね。

最後まで自分がタイガーマスクを隠し続け、

子ども達に夢を与えた素晴らしい内容です。

実際にも世の中には良いことをする人もいるんですね。

ワイドショーなどで取り上げられていますが、

あえて誰なのか探さず人物を特定せずにいるようです。

現代版、足長おじさんですね。


板尾創路。

2011年01月12日 10時40分32秒 | Weblog
彼の笑いはストレートじゃないシュールで独特なものですよね。

他にもそういった芸風の人はいますが、彼がその中では1番な気がします。

それだけに笑いの王道からは随分とかけ離れてる気がしてました。

特に初期の頃の彼のギャクというか、

笑いはボクには全く理解出来ませんでしたね。

一体これのどこが面白いの?って感じです。

ダウンタウンとのからみが多いこともあって逆に好きじゃなかったですね。

でも、この歳になってようやく彼の笑いが理解出来るようになった気がします。

ちょっと面白いって思えるんですよね。

もし笑いにセンスってものがあるならば、

ボクは板尾創路のセンスがよく分からない人だったのかもしれません。

まぁ、以前は分かりやすいものしか面白くなかったってことかな。

今でも笑いは王道が好きですが、

変化球も受け入れる体質になったようですね。(笑)


新しいヴィッツ。

2011年01月11日 10時21分24秒 | Weblog
ついに新しい「ヴィッツ」が登場しましたね。

これでボクが乗ってる「ヴィッツ」も1つ旧型になってしました。

まぁ、ちょうど6年乗ったんで当然ですが…(笑)

昨日タイミングよく、キーの電池が無くなったので、

その入替をしにネッツトヨタに行ってきましたが、

ありました。新型「ヴィッツ」が。

フロントは随分とデザインが変わってカッコ良くなってますね。

全体的に10mm長くなって車高が低くなったそうです。

内装は、センターメーターがハンドルの前に付き、

雰囲気としての斬新なイメージは無くなった気がしました。

値段は旧型とほぼ同じらしいですが、

その分、オプションが増え、結局は高い話しになるらしいです。

個人的には、どうしても買い換えたい!って思うほどではないですね。

でもまぁ、しいて言えばRSに5速マニュアルが設定されているので、

それが良いかなぁって…。

でも、結局はセカンドカーですね。

中嶋悟。

2011年01月08日 10時31分10秒 | Weblog
日本人初のF1フル参戦を果たしたドライバー「中嶋悟」選手です。

34歳でルーキーと遅咲きながら、

1987年から1991年までの5年間、現役で活躍しました。

彼の存在がなければ、

その後の日本人F1ドライバーがこれほど参戦することは無かったと言われています。

現役時代の彼の成績はそれほど飛び抜けたものでは無かったのですが、

実は今まで戦った日本人選手の中では一番の成績を残した選手なんですよね。

レギュレーション制度を今に見直せば彼の総合ポイントは52ポイントにあたり、

2位で47ポイントに付く佐藤琢磨選手より良い成績になります。

後は何と言ってもロータス・ホンダ時代、

チームメーイトがあのアイルトン・セナ選手だったこと。

大きな渦巻きの中で戦っていたことを思い出させてくれます。

この時代のF1ドライバーは戦国時代とも言えるほど、

優秀な選手が存在した時代で、その代表選手で言えば、

アラン・プロスト選手、ネルソン・ピケ選手、ナイジェル・マンセル選手、

ジャン・アレジ選手など、

そうそうたるドライバーが現役だった時代でした。

そんな中での戦いを演じていたことになります。

今はチームオーナー兼監督であり、日本のレース界の会長をしていますが、

現役時代は素晴らしい選手だったんですよね!


ケビン・シュワンツ。

2011年01月07日 10時34分40秒 | Weblog
アメリカ出身のGPライダーです。

世界ロードレース選手権(500ccクラス)で1988年から1995年まで活躍した

天才ライダーなんですよね。

彼の走りは、何と言っても他を圧倒するアグレッシブルなところ。

ホンダ・ヤマハが独占状態で優勝をしてた時代にスズキのマシンで、

好成績を残していきます。

独特のライディングと豪快な走りで多くのファンも獲得していきます。

日本での人気も高く、当時ケビン・シュワンツモデルのカラーマシンや、

レプリカヘルメットをかぶった一般ライダーが沢山いました。

ケビン・シュワンツは1993年に1度ワールドチャンピオンに輝いています。

当時、他に速かった選手にウェイン・レイニー(ヤマハ)がいましたが、

現役中、ずっと彼の好ライバルとして戦っていました。

しかし、1994年シーズンにそのレイニーが事故で下半身不随になってしまい、

現役引退に追い込まれて以降、ケビン・シュワンツのモチベーションも

すっかり落ちてしまいます。

ライバルを失ったことで、彼自身も翌年引退を決意します。

ボクの中で今でもペプシカラーとラッキーストライクカラーの

スズキRGVガンマが思い出されます。