
80年代から90年代前半まで活躍した「宮城光」選手ですよ。
83年からチームモリワキより全日本選手権GP250ccクラスに参戦し、
いきなりシリーズチャンピオンに輝きます。
88年から全日本選手権GP500ccクラスにステップアップし、総合で3位。
翌年、89年が総合4位、90年が総合3位と、
あと少しでチャンピオンという惜しいシーズンを送ります。
93年より全米選手権にフル参戦し、SS、SB650ccクラスで全米チャンピオンに。
その後もアメリカを中心にレース活動を続けますが、
あまりぱっとした記録を残すことがありませんでした。
98年から国内耐久レースなどを中心に活動拠点を変えますが、
シリーズチャンピオンになることは出来なかったようです。
とにかく全盛期はルックスが良いこともあって女性からの人気が高かったです。
ボクも南海部品のイベントで何度か本人を見たことがありますが、
当時はイケてましたね。(笑)
で、現在は解説者やイベント司会、時にテストライダーなどをしてるようです。
ボクが峠小僧だった頃はまさに人気絶頂たったので「宮城光」選手の話題はよくしてて、
神戸の六甲山でホンダCB750Fに乗りガソリン満タンからカラケツになるまで、
一日中、走り込んでいたっていう噂も聞いたことがありました。
六甲山最強と言われた人物だったですね。
デビューから初期は恵まれた環境でレースをしてましたが、
後半は半分プライベーターとして活動していたため苦労が多かったようです。
才能あふれた選手でしたが世界の壁は厚かったという感じなんでしょうかね。
83年からチームモリワキより全日本選手権GP250ccクラスに参戦し、
いきなりシリーズチャンピオンに輝きます。
88年から全日本選手権GP500ccクラスにステップアップし、総合で3位。
翌年、89年が総合4位、90年が総合3位と、
あと少しでチャンピオンという惜しいシーズンを送ります。
93年より全米選手権にフル参戦し、SS、SB650ccクラスで全米チャンピオンに。
その後もアメリカを中心にレース活動を続けますが、
あまりぱっとした記録を残すことがありませんでした。
98年から国内耐久レースなどを中心に活動拠点を変えますが、
シリーズチャンピオンになることは出来なかったようです。
とにかく全盛期はルックスが良いこともあって女性からの人気が高かったです。
ボクも南海部品のイベントで何度か本人を見たことがありますが、
当時はイケてましたね。(笑)
で、現在は解説者やイベント司会、時にテストライダーなどをしてるようです。
ボクが峠小僧だった頃はまさに人気絶頂たったので「宮城光」選手の話題はよくしてて、
神戸の六甲山でホンダCB750Fに乗りガソリン満タンからカラケツになるまで、
一日中、走り込んでいたっていう噂も聞いたことがありました。
六甲山最強と言われた人物だったですね。
デビューから初期は恵まれた環境でレースをしてましたが、
後半は半分プライベーターとして活動していたため苦労が多かったようです。
才能あふれた選手でしたが世界の壁は厚かったという感じなんでしょうかね。
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