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シュワンツとRGV-Γ500。(番外編vol.609)

2014年09月03日 10時27分02秒 | Weblog
1986年からWGPに参戦したケビン・シュワンツ選手は、

スペンサー選手を凌ぐ評価で当時実力ナンバーワンと言われていました。

ただ、スズキの開発した「RGV-Γ500」は戦闘力が低く、

ケビン・シュワンツ選手をもってしてもなかなか勝てなかった時代が続きます。

シュワンツ選手の勝つか転倒かという走りも原因でしたが、

とにかく「RGV-Γ500」は他のワークスマシンと比較しても

速いマシンではありませんでした。

V型4気筒エンジン搭載の「RGV-Γ500」は1987年シーズンより登場するのですが、

トップスピードは遅いし信頼性も悪く、さらにコーナリング性能も低い状態で、

スペインGPの5位が最高成績に終わります。

1988年にはケビン・シュワンツ選手の独特なライデイングを考慮し、

かなりトップスピードを上げることに成功しますが他が悪く総合で8位という成績に。

1989年はケビン・シュワンツ選手の速さのおかげでマシン開発が進み、

総合的に他社のワークスマシンとほぼ同等のポテンシャルまで追いつきます。

6回の優勝、3回の2位を獲得するのですが、ほかでの転倒リタイヤがひびき、

結果的には総合4位に終わります。

確実な走りをするレイニー選手やローソン選手に負けてしまってたんですよね。

しかし、ケビン・シュワンツ選手の速さは確実にナンバーワンでした。

1990年が総合2位、1991年は総合3位、1992年で総合4位といいところまで来ます。

この頃の「RGV-Γ500」は完全に熟成されてていました。

ただし、ケビン・シュワンツ選手とのコンビネーションのみでしたけどね。

1993年、堅実な走りを身につけたことで、ついにワールドチャンピオンになります。

「RGV-Γ500」のポテンシャルも最高潮に達していました。

1994年は永遠のライバルだったレイニー選手の引退と、

ケビン・シュワンツ選手自身の腕のケガで総合4位に。

1995年はライバルを失ったことでモチベーションが上がらず、

ケビン・シュワンツ選手も引退してしまいます。

それと同時に主人を失った「RGV-Γ500」も失脚。

その後、ケニー・ロバーツ・ジュニア選手の登場まで低迷してしまいます。

80年代後半から90年代初頭にかけて「RGV-Γ500」が速かったのは、

確実にケビン・シュワンツ選手がいたからこそで、

彼無しに「RGV-Γ500」は語れなかった時代でしたね!