阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

北品川の「原美術館」を鑑賞した後、旧東海道の品川宿跡を歩いて「牛もつ鍋」に辿り着いた。   シリーズその1

2019年02月17日 | 東京あちこち




原美術館、2020年に閉館へ。40年の歴史に幕 2018.11.22 「美術手帖」のサイトから引用。
日本を代表する私設美術館である東京・品川の原美術館が2020年12月をもって閉館することがわかった。
 1938年に東京・品川に建てられた実業家・原邦造の邸宅。ここをもとに、79年に開館した原美術館が2020年12月、約40年の歴史に幕を降ろす。
 原美術館は現代美術の専門美術館として開館して以降、国内外の多数のアーティストたちを紹介し、日本のアートシーンに絶大な影響を与えてきた。
 今年に入ってからは、同館がコレクションしてきた50年代以降の作品約1000点のなかから、原俊夫(元同館館長、現アルカンシェール美術財団理事長)自身が選びキュレーションするという初の展覧会を開催。美術館自体の回顧展ともとれるものだった。
 人事で大きな動きがあったのも今年のことだ。原美術館とハラ ミュージアム アークの館長を兼任していた原俊夫が退任し、7月1日付で新館長にそれぞれ内田洋子と青野和子が就任しことは記憶に新しい。
 閉館の理由としては、竣工から80年を経た建物の老朽化と、古い建築を再利用しているがゆえに、ユニバーサルデザインやバリアフリーの観点からの問題があること。そして、建替えには法規制上の制約も厳しくのしかかる状況などが挙げられている。
 2021年からは伊香保のハラ ミュージアム アーク(1988年に開館)を原美術館ARCと改称し、同館が唯一の活動拠点になるという。
 原美術館は館内に奈良美智の常設展示室をはじめ、多数のアーティストたちによる作品が常設展示されており、建物を含めてこれらの作品が21年以降、どのような経緯をたどることになるのか、注目が集まる。


東京・北品川の原美術館が閉館へ 2020年末で 2018年11月22日朝日新聞
現代美術を専門とする美術館の先駆けだった東京・北品川の原美術館が、2020年12月末で閉館することになった。美術館が22日発表した。築80年になる建物の老朽化などを考慮したという。
 原美術館は1979年、実業家の原俊夫・前館長が、祖父の私邸を改築して開館。東京国立博物館本館を手がけた渡辺仁氏の設計で、白を基調としたモダニズム建築で知られる。ただ古い建物で、公共建築としてはバリアフリーの観点などからも問題があると判断したという。
 ウォーホルや草間彌生ら国内外の絵画や立体作品などを収集し、所蔵は1千点を超える。88年には、群馬県渋川市に別館「ハラ ミュージアム アーク」(磯崎新氏設計)を開館。美術館によると、2021年から「原美術館ARC(アーク)」と別館の名称を変え、活動を集約していくという。
 2館は公益財団法人「アルカンシエール美術財団」が運営。原氏が理事長を務めている。(森本未紀)

現在開催しているコレクションは
「ソフィ カル ─ 限局性激痛」原美術館コレクションより
会期:2019年1月5日[土]─3月28日[木]

1999年~2000年に原美術館で開催したソフィ カル「限局性激痛」を、フルスケールでご覧いただく再現展を開催いたします。当時の展覧会終了後、全作品が当館コレクションに収められたため、この再現展示が可能となりました。
ソフィ カルは、1953年パリ生まれ。主に写真と言葉で構成した物語性の高い作品の制作で知られます。「限局性激痛」とは、医学用語で身体部位を襲う限局性(狭い範囲)の鋭い痛みや苦しみを意味します。本作は、カル自身の失恋体験による痛みとその治癒を、写真と文章で作品化したものです。人生最悪の日までの出来事を最愛の人への手紙と写真とで綴った第1部と、その不幸話を他人に語り、代わりに相手の最も辛い経験を聞くことで、自身の心の傷を少しずつ癒していく第2部で構成されています。この作品は、1999年、原美術館での展覧会のためにまず日本語版として制作され、その後フランス語や英語版も世界各国で発表されました。
自身の人生をさらけ出し、他人の人生に向き合うカルの制作に多くの鑑賞者が心を打たれることでしょう。
鑑賞者にさまざまな問いを投げかけるカルの作品を、この機会に是非ご覧ください。 (原美術館のホームページから)
 ◎三人会のメンバーはJR大崎駅の北口に集まり昔本社ビルだったビルの横を通って美術館を目指した。











阿智胡地亭が大阪支社へ転勤になってから本社は大手町からこのビルへ移転したので、阿智胡地亭は出張ベースでしか来たことはない。
そして今はまた同じ大崎だが本社は移転したそうだ。訪ねたことはない。

元の本社ビルの横を通り

品川駅に向かうとき時々歩いた道を辿った。



最近までイメージが良かった「ミャンマー国」の大使館も以前の場所にあったが、今や何となく軍部独裁のひどく遅れた暴力国家のイメージになってしまった。




 原美術館には日ごろ自分の周辺には見かけない雰囲気の若い男女が次々に訪れていて少し驚いた。どうもアート系大学や専門学校の学生さんたちらしいなと想像した。
以前から外側から建物は見てきたが、中に入ると確かに空間自体が非日常の世界だった。展示のコレクションはある意味難解だったが、
自分に起こった痛みを他人の不幸な体験を聞くことで癒すというその行為は、そうかそうやって自分を取り戻すことはアリなんだと一つの啓示をもらった気がした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 統計不正は森友と同じ忖度行政 | トップ | 図書館で新しく5冊借りました... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東京あちこち」カテゴリの最新記事