阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

「1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録 補遺」      記憶の交換 その2

2022年01月16日 | 1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録 

(本エントリーの初掲載は5年前の2010年6月13日です。文章中の年数は当時の年数です。)

 栗田様 シリーズ第4回のご寄稿ありがとうございました。
あらためて、不意をつかれ ただ呆然と過ごすしかなかった当時を思い出します。
つい「平時に最悪に備える」という意識が、今また自分から抜け去っていることに気がつきました。

 神戸の大震災の当時は、国には全く個人補償の考えはありませんでした。

別途、取り上げる予定ですが、シベリヤ抑留者57万人に対する補償問題に対する官僚の方針、「国は個人財産・生命の補償はしない」と言うのが、
明治以来、日本国を動かしてきた中央官僚の考え方でした。そのことに手をつけたら“パンドラの箱を開けることになり、収拾がつかなくなる”と。
 中央官僚には、「まず国民ありきではなく最初に国家財政あり」でした。

 その後、新潟地震や各地の台風災害や洪水災害などで、多くの被害が発生し、地方行政が動かざるを得なくなり、個人補償が必要であるという概念が各地で
作られ始めました。中央の官僚には迷惑なことだったと思います。

そして平成10年に「被災者生活支援法」が制定されました。まだまだ不十分な
内容ですが、日本という国を官僚国家から国民国家に舵を切り変えるため、各地のくにたみが奮闘努力した一つの成果だと思います。


その間の個人復興支援の立法化の動きの一部を神戸新聞の記事でご覧ください。
こちら

 ☆震災当時の神戸新聞の社説「被災者になって分かったこと」を引用します。1995年1月20日朝刊1面に掲載された社説です。


「被災者になって分かったこと」

 あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。
三日目に、やっと自衛隊が遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった。

だが、埋まったままだった二日間の無力感、やりきれなさは例えようがない。 
被災者の恐怖や苦痛を、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。

あの未明、ようやく二階の窓から戸外へ出てみて、傾斜した二階の下に階下が、
ほぼ押し潰されているのが分かり、恐ろしさでよろめきそうになる。
父親が寝ていた。いくら呼んでも返答がない。

怯えた人々の群が、薄明の中に影のように増える。軒並み、かしぎ、潰れている。
ガスのにおいがする。

家の裏へ回る。醜悪な崩壊があるだけだ。すき間に向かって叫ぶ。
何を、どうしたらよいのか分からない。電話が身近に無い。
だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。公的な情報が何もない。

何キロも離れた知り合いの大工さんの家へ、走っていく。
彼の家もぺしゃんこだ。それでも駆けつけてくれる。

裏から、のこぎりとバールを使って、掘り進んでくれる。
彼の道具も失われ、限りがある。いつ上から崩れてくるか分からない。
父の寝所とおぼしきところまで潜るが、姿がない。
何度も呼ぶが返事はなかった。強烈なガスのにおいがした。
大工さんでは、これ以上無理だった。

地区の消防分団の十名ほどのグループが救出活動を始めた。
瓦礫(がれき)の下から応答のある人々を、次々、救出していた。
時間と努力のいる作業である。頼りにしたい。父のことを頼む。
だが、反応のある人が優先である。日が暮れる。余震を恐れる人々が、
学校の校庭や公園に、毛布をかぶってたむろする。
寒くて、食べ物も水も乏しい。廃材でたき火をする。
救援物資は、なかなか来ない。 いつまで辛抱すれば、生存の不安は薄らぐのか、
情報が欲しい。

翌日が明ける。近所の一家五人の遺体が、分団の人たちによって搬出される。
幼い三児に両親は覆いかぶさるようになって発見された。こみ上げてくる。
父のことを頼む。検討してくれる。とても分団の手に負えないといわれる。
市の消防局か自衛隊に頼んでくれといわれる。われわれは、消防局の命令系統で
動いているわけではない、気の毒だけど、という。

 東灘消防署にある救助本部へいく。生きている可能性の高い人からやっている、
お宅は何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。
理解できるが、やりきれない。そんな二日間だった。

これまで被災者の気持ちが本当に分かっていなかった自分に気づく。
“災害元禄”などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜(ふそん)さ、
甘さを思い知る。 この街が被災者の不安やつらさに、どれだけこたえ、
ねぎらう用意があったかを、改めて思う。


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