阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった年の [ 2011年12月30日(金)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年01月31日 | 東日本大震災ブログ
2011年12月30日(金)
 
 
佐賀県・福岡県からの福島原発出稼ぎ作業員の話
 
福島原発出稼ぎ作業員「骨まで被曝、体が急にだるうになる」
週刊ポスト2012年1月1・6日号

一部引用・・

佐賀県氏の作業は多岐にわたる。建屋の壁を解体し、がれきを運び、人が通れる、換気ができる配管をつくり、さらに原液と水を攪拌して、解体時に飛び散る粉塵を固める液をつくる。

 32歳の福岡県氏。「建屋は超高温、湿度100%。たまらん暑さと湿度やもんねえ。しかし、アゴ、アシ、ドヤ付きで、1か月30万円ちょこの出づら(日当)やけん、文句はいえんが、『そゲなもんの片づけして、あんたらせいぜい働いて死ね』いうことかと、毎日思うとよ。

われわれジャンパーと呼ばれとりまして。危険なとこでも飛び込んで行きよる、ジャンピングしよる〈ジャンパー〉。

アラーム鳴りっぱなし、体が急にだるうになるのは、しょっちゅう。内部被曝も外部被曝もありゃせんで。骨まで全面被曝じゃもん。しかしまあ、われわれ、地獄の釜這いずりまわる人間ですき、いたしかたなかよ。

メルトダウンを聞かされたのも後になってからやけねえ。3号機の前通ると、線量計がひと桁上がる。死ぬくさと思うとです。そんでも、カネと欲の道連れでこんな割のええ仕事やめられんとですよ」

全文はこちら
2011年12月30日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
今日の気になるネット情報 / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3913/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
ベントの配管のやり直しは喫緊の工事
 
3号機 ベントで水素逆流し爆発か
12月29日 5時41分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の3号機で、格納容器の気体を放出する「ベント」を行った際、水素が別の配管を逆流して、原子炉建屋に流れ込み、水素爆発を起こした可能性があることが新たに明らかになりました。

福島第一原発の3号機は、3月14日に水素爆発を起こしましたが、前日の13日以降、格納容器の圧力を下げるため、中の気体を外部に放出する「ベント」を、複数回行っています。東京電力が、最近になってベントの配管から枝分かれして原子炉建屋につながる別の配管を調べたところ、ベントで放出された水素を含む気体が流れ込んだ跡があることが分かりました。

この配管には、弁と気体の逆流を防ぐ装置がついていましたが、弁は、電源がなくなると自動的に開く構造になっていたほか、逆流を防ぐ装置も気密性が低く、ベントで放出された水素が配管を逆流して、建屋に入り込み水素爆発を起こした可能性があるとみています。

3号機の水素爆発は、これまで原子炉内の水素が格納容器のふたなどの隙間から漏れ出て爆発したとみられていましたが、別の配管を逆流したことも原因の一つだった可能性が出てきたため、国の原子力安全・保安院は、ほかの原発についても気体の逆流を防ぐ機能の強化を検討することにしています。

専門家は、「ベントを行うことが水素爆発につながりかねないので、ベントの配管を別の配管から切り離す必要がある」と指摘しています。

東電 過去にも非常用発電機が水没
12月29日 4時40分 NHKニュース

 東京電力福島第一原子力発電所で、20年前、非常用発電機が、配管から漏れた水につかり、機能しなくなるトラブルが起きていたことが、東京電力の元社員らの話で分かりました。発電機の浸水対策を進め、今回の事故のような深刻な事態を防ぐきっかけにもなり得たトラブルでしたが、結果として、対策にはつながりませんでした。 

福島第一原発の事故では、地下1階の非常用ディーゼル発電機が、津波によって流れ込んだ水につかって機能しなくなり、原子炉を冷やせなくなったことが、事態を深刻化させる原因の1つとなりました。このような浸水から、発電機を守るきっかけにもなり得たトラブルが、20年前の平成3年10月に起きていたことが、東京電力の元社員らの話で分かりました。元社員らによりますと、トラブルが起きたのは、福島第一原子力発電所1号機のタービン建屋で、配管から漏れ出した水が地下1階に流れ込み、非常用発電機が機能しなくなりました。

 当時、福島第一原発の技術者だった元社員は、タービン建屋が海に近かったことから、「もし津波が来たら、同じように地下の発電機が水につかって使えなくなると思い、上司に相談した」などと話しています。一方、東京電力は、当時、発電機のある部屋のドアに、防水対策を施したということですが、発電機を地下から高い場所に移し替えるなど、津波を想定した対策は採りませんでした。

 これについて東京電力は、「このトラブルの原因は、配管からの水漏れでその対策は講じている。また『津波の危険性を上司に相談した』という元社員の主張について、当時の上司は、相談を受けたという認識を持っていない」としています。
 
2011年12月30日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3909/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
原子力安全委員会の後出しジャンケン  被曝者は許せない
 
原発 全電源喪失に備え代替電源を
12月29日 7時59分 NHKニュース

 東京電力福島第一原子力発電所で、すべての電源が失われたことが、深刻な事故につながったことを受けて、国の原子力安全委員会は、原発の設計に関する指針を改訂し、原発で停電が起きたうえに、非常用の発電機も使えなくなった場合に備え、さらに代わりになる電源を配備するよう求めることを決めました。

国の原子力安全委員会の今の指針では、原発ですべての電源が長時間失われる事態について、「送電線の復旧や非常用の電源の修理が期待できるので考慮する必要はない」となっています。ところが、福島第一原発では、地震によって停電が起きて外部からの電源が断たれたうえ、津波で非常用の発電機も使えなくなって、すべての電源が長期間失われ、深刻な事故につながりました。

 このため、原子力安全委員会は、今後、原発で、すべての電源が失われた場合に備え、電源車やガスタービン発電機など、さらに代わりになる電源設備を配備することを求める指針の改訂案をまとめました。

 代わりの電源は、地震や津波でも機能が失われず、電源を長時間失っても対応できるよう要求していて、具体的には電力会社が決めることになります。各地の原発では、福島第一原発の事故を受けた緊急の安全対策として、電源車などの配備が進められていますが、指針の改訂を受けて、代わりの電源として十分かを改めて検討することになります。

(太線は管理人)
2011年12月30日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3910/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
出しさえすればとりあえず役人の責任は果たせる 沖縄県民がどうあれ
 
評価書 沖縄の反発は一段と強まる
12月29日 5時41分 NHKニュース

 沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画に伴う環境影響評価書について、政府が、市民団体などによる抗議行動を避けるため、業者に委託して発送したり、明け方に運び込んだりしたことで、沖縄側は、一段と反発を強めていて、計画が進展する見通しはいっそう不透明になっています。

政府は、普天間基地の名護市辺野古への移設計画に伴う環境影響評価書について、民間の業者に委託して沖縄県庁に発送したものの、市民団体などの抗議行動のために届けられず、28日午前4時すぎという異例の時間に、沖縄防衛局の職員が県庁の守衛室に運び込む事態となりました。

 これについて、沖縄県の仲井真知事は、評価書は受理せざるをえないとする一方で、「奇異な感じを受ける」と述べ、普天間基地の県外移設を求める考えに変わりはないと強調しました。

 また、移設先となっている名護市の稲嶺市長が、「こそくな方法で、あきれてものが言えない」と批判するなど、沖縄側は、一段と反発を強めています。評価書は「環境保全上、特段の支障はない」という総合評価となっていて、提出を受けて、仲井真知事は、軍用機の騒音などについては45日以内に、辺野古沿岸部の埋め立てによる影響などについては90日以内に、「意見書」を提出することになりますが、国に再調査を求めることも含め、厳しい意見を出すことが予想されます。

 政府は、日米地位協定の運用の見直しを進めたり沖縄振興予算を上積みしたりしたことを踏まえ、年明け以降、名護市への移設に沖縄の理解を得ていきたいとしていましたが、今回の事態によって、計画が進展する見通しはいっそう不透明になっています。

☆沖縄防衛局の自衛官は公務時間中に何故どうどうと評価書提出という公務を執行しない。もし沖縄県民がその正当な公務執行を阻害するのであれば、沖縄県警に出動を依頼し、現行犯で逮捕させればいい。

東京の警視庁は電力会社の会長の自宅に24時間多数の警官を派遣して民間人の会長を守っているくらいだから、(【要塞勝俣屋敷】テルアビブの米国大使館よりも堅牢―炭小屋に身を潜める電力業界の最高権力者-こちら)沖縄県警も依頼がなくても国家の公務執行を警護しないといけない。
勝俣邸前を訪れた報道陣を追い返す警察官。右端はポリスボックス。(25日、新宿区左門町。写真:田中龍作撮影)

こんなこそこそとした提出の仕方でよしとするようでは、国家の安全を守る任務を持つ使命感が、沖縄防衛局の局長にないことの証明だ。沖縄県庁に受け取ってもらいさえすれば、後は自分たち役人の手を離れ、民主党の防衛大臣のお手並み拝見になるということなんだろう。

宗主国の手の上で卑しいタコ踊りをさせられている、我らが「さきもり(防人)」の後裔と、我々くにたみのみんなも本当にみじめだ。

やはり臥薪嘗胆、捲土重来、次は勝つ、の気概と品位を、独立国の国民として、日本人は忘れてはいけない。
2011年12月30日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3912/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
「死の灰」データ 文書発見
 
「死の灰」データ 文書発見
2011年12月29日 06時54分 東京新聞

 一九五四(昭和二十九)年三月一日に米国が南太平洋のビキニ環礁で行った初の水爆実験で被災した第五福竜丸の「死の灰」のデータを伝える日本人科学者の文書が、英物理学者ジョセフ・ロートブラット氏の遺品から見つかった。科学者による核廃絶運動を主導したロートブラット氏ら世界の科学者に、初めて水爆の実態を知らせた文書とみられる。 (加古陽治)

 文書は、愛知県豊田市の科学史研究家奥田謙造さん(55)が、英ケンブリッジ大チャーチルアーカイブセンター所蔵のロートブラット文書から見つけた。

 一枚の表と裏にタイプで書かれ、表は西脇安・大阪市立大助教授(当時)の妻が四月二十六日付で在外キリスト教関係者に宛てた手紙で、裏に西脇氏による「ビキニの灰の分析についての非公表データ」があった。

 文書によると、西脇氏は第五福竜丸に降り注いだ「死の灰」の放射性物質を採取して分析。ヨウ素131やストロンチウム90など十七種類以上の放射性物質を検出した。船に降り積もった時、灰一グラムに少なくとも〇・五キュリー(一八五億ベクレル)の放射能が含まれていた可能性がある。

 日本全域に降っている雨が人工的な放射能を帯びているようだ、とも指摘。雨に含まれる放射性物質は危険な水準ではないが、実験が台風の影響のある季節に行われていたならば、灰が日本に運ばれる可能性を否定できない-と述べていた。

 西脇氏は第五福竜丸が静岡・焼津港に戻って二日後の三月十六日に、同港で放射能を測定。七月にキリスト教平和大会参加のため渡英した際、現地の大学などで講演し、原爆では出ないはずのウラン237が「死の灰」に含まれているとの情報を伝えた。

 西脇氏の情報をもとに、ロートブラット氏は、ビキニ実験の水爆が(1)核分裂(2)核融合(3)核分裂-の三段階反応で爆発を起こし、大量の「死の灰」を降らせたことを解明した。

 ロートブラット氏は水爆の実態を哲学者バートランド・ラッセルに伝達。ラッセルが提唱し、ロートブラット氏のほか、アルバート・アインシュタインや湯川秀樹らノーベル賞受賞者らが署名し、核戦争が人類の危機を招くと警告する「ラッセル=アインシュタイン宣言」を出した。

 奥田さんは「文書は後のラッセル=アインシュタイン宣言に発展したと推測される。西脇氏のジェーン前夫人はアイゼンハワー米大統領に手紙を書いたと記しているので、米国側の調査もしたい」と話している。

 <ビキニ水爆実験> 米国が南太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で1954年3月1日に行った核実験。爆発の威力は15メガトンで、広島原爆の約1000発分に当たる。「死の灰」により東のロンゲラップ環礁の島民多数が被ばく。米国の設定した警戒区域外で操業していた静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人も被ばくし、半年後に無線長の久保山愛吉さん=当時(40)=が死亡した。原水爆禁止運動や、ラッセル=アインシュタイン宣言など核廃絶運動のきっかけとなった。

 西脇 安(にしわき・やすし)氏 1917年、大阪市出身。放射線生物物理学が専門で、大阪市立大助教授当時、第五福竜丸を調査した。ウィーン大名誉教授。2011年3月に大阪市内で死去。享年94。

 ジョセフ・ロートブラット氏 1908年、ポーランド出身の英物理学者。米国の「マンハッタン計画」で原爆開発に参加したが、ナチス・ドイツに原爆製造の能力はないとして離脱。核兵器廃絶を求める科学者組織「パグウォッシュ会議」を創立し、反核運動に生涯をささげた。95年、ノーベル平和賞受賞。2005年、ロンドンで死去。享年96。
 
2011年12月30日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3911/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
AP記事が暴露 米原子力規制委員会が業界と共謀
 
テレビ番組「Democracy now」から。画面下のccをクリックすると字幕が出ます。
2011年12月30日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
東日本大震災・原発 / 今日の気になるネット情報 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3914/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
2011年に映画館で見た作品メモ
 
◎封切作品ー14本

・ロビンフッド
・アメリア 永遠の翼
・ソーシャル・ネットワーク
・ヒアアフター
・英国王のスピーチ
・ダンシング・チャプリン
・東京公園
・大鹿村騒動記
・一枚のハガキ
・コクリコ坂から
・ツリーオブライフ
・エンディングノート
・ちずる
・チエルノイブリハート

◎昭和時代の作品ー9本

・麦秋
・彼岸花
・道頓堀川
・「エロ事師たち」より 人類学入門
・団地妻昼下がりの情事
・ツィゴイネルワイゼン
・越後つついし親不知
・神々の深き欲望
・幕末太陽傳


封切作品の映画の感想はこちら(Myムービー@Yahoo)
 
2011年12月30日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
映画・テレビ・舞台・ホール |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3907/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神戸で「かぎろい」、刻々色... | トップ | 01月30日に目に留まったSNS・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東日本大震災ブログ」カテゴリの最新記事