阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

素晴らしくおいしい「鯉のうま煮」を印旛沼の里山住人から頂いた。

2020年02月03日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

ずっしりと重い配達物が届いた。送り主は印旛沼の里山住人であるKさんだ。早速届いたその日の夕食に頂いた。

包み紙を見ると印旛郡栄町安食の「うなぎのさかた」と書いてあった。

うま煮は素材の大きな鯉の旨味を引き出す、なんともさっぱりした味に仕上がっていた。信州で食べた鯉の甘露煮(うま煮)のイメージとほぼ同じの味付けで

大きな鯉の魚体を想像しながらぎっしりつまった卵も堪能した。

Kさんから⇒「明治初期に利根川に蒸気船が運航していました。
安食には船着き場があり成田山に向かう参拝客が下船して
「成田道」を通って行きました。
船着き場付近には食堂、宿屋など栄えていたようです。

成田山の表参道には今でも鰻、鯉などの川魚を扱う料理屋、旅館などが
数多くあります。
利根川、印旛沼の川魚が昔からの名物だったのでしょう。」

  店の外観写真はネットから引用

ネットで「さかた」のホームページを見たら本業は「うなぎ」を食べさせる店だ。

一緒に鯉のうま煮を楽しんだあいかたが、こんなに鯉をおいしく仕上げる店なら鰻も絶対おいしいはず、と言う。

だから食べに行きたいねと言う。一度は行かねばなるまいて・・・・(笑)。

 それにしても「鯉のうま煮」は江戸時代以前から関東東北や甲信越の農民や町人の貴重な蛋白源でありご馳走だったと思うが

それがいまでも甲信越や千葉県や山形県などで商品として流通しているのが嬉しい。

 以前にも書いたが京都の「錦市場」で「鯉のうま煮」をいつも置いている店を早くに見つけ、神戸から京都に行くたびに買って帰ったが

その店のうまい「鯉のうま煮」の仕入れ先は信州の店だと後で知った。海のない国の京のみやこ人も日常の魚としては昔から鯉をよく食べていたのだろう。


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