床屋さんのエントリーに反響が多かったので、以前やってもらっていた床屋さんのことを書いた(2003年5月8日にメール発信)文章に一部手を入れて再掲載します。
☆4月も終りのある日 昼休みが終って席についてすぐ、床屋さんからお電話ですと言われた。床屋から電話をもらうとは誰からで、何だろうと首をひねりながら受話器を取った。
「ビルの床屋のドイです。えらい急な話やけどワタシ4月一杯でココ止めますねん。
今日来はった樋口さんからお宅の会社の電話番号教えてもらえたんで今電話させてもろとるんですわ。
長い事お世話になったお客さんも仰山いてはるから、黙って辞めるんもなんやし、社長に言うて5月21日まで勤めさせてもらうことにはしたんです。
そやからそれまでに来られるんやったら前日に電話して、時間を言うてください。」と言って電話は切れた。
いつもは当日電話で予約して行くのだが、今回は連休前に電話を入れておいた。堺筋本町から淀屋橋までは、20分ほどで歩くのにちょうどいい距離だ。
ドイさん担当の椅子に座ると「来てもろて有難うございます。電話で言いましたけど、急やけどやめる事になったんですわ」と言った。
「始めあれば終りあり、ですか」と返すと「そうなんですわ」と言って、こうなった経緯や今後の事を、しかし散髪の手は休めず話し出した。
ドイさんにはもう16年の間、髪を切ってもらっている。何も言わずに椅子に座れば、後は寝込んでもちゃんとやってくれる。
夏季、汗かきの私が入室するとさりげなくクーラーの温度も操作してくれ、濡れタオルを出してくれる。
整髪料は私が家で使っているのと同じものをキープしてくれている。
広島時代も月に一回の大阪での会議の日にやってもらって結局ほとんど16年間毎月続けてやってもらった事になる。
この理髪店は先代が店の社長の時にこのビルに入り込んで、昭和43年に私が愛媛県の新居浜市から転勤で来た頃は、広い面積をとって営業していた。
今回ドイさんに聞いたら当時は理髪椅子が12台あり理容師が15人居たという。それでも一日中フル回転だったそうだ。
ドイさんは昭和44年に入店したとのことで、それから34年ビルの地下の職場で働いた事になりますと言った。
昭和62年に転勤で東京から大阪に戻り、再度、ビルの理髪店に行き出した頃は理容師は、6人になっていたが、行き出してすぐドイさんを指名するようになった。
理由ははっきりは覚えてないがこちらの状態を見て、床屋政談をしたり、眠りたい時はずっと眠らせてくれたりと色々あったが、やはりウデが良かったのだ。
口八丁手八丁で客あしらいもうまかったけど。
本人の自慢は「カットした後の最初の一週間は、職人の誰がやってもおんなじやけど、それからが違いまんねん。そっからのモチ(持ち)が違うんですわ。
ワタシは一人一人の頭の恰好を見て全部カット変えてますから」という事で、私はそれはその通りだと実感していた。
退職するにいたった大きな理由は「この仕事はやっぱり刃物を使いまっしゃろ、まだまだ自信はありまっけど、
もしこっちが手えでも滑って怪我でもさしてから止めるのはいややし。」という事だったが、それは自分が納得するため自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
ドイさんの話しから推測すると、理髪室はここのところ3人の理容師でやってきたが、ビルの就業人口の減少から、来店客数が減り続け、
いまや理容師は二人で充分という事になり、店の社長からドイさんに退職勧奨があったようだった。
ドイさんの話しに、何で私がやめないかんねんという思いが時々覗いているような気がした。
彼は負けん気の強い、ずうっと自分の仕事に誇りを持っていた男だった。
頭を黒く染めているのは知っていたが、肌の色はピンク色で艶々しており、顔にはしわ一つ無い。
自分よりちょっとくらいは年上かと想像しながら散髪が終って椅子をたつ直前に、
「若こうに見えるドイさん、時においくつになったん?」と聞いたら、67歳ですわとの答えだった。
とてもその年には見えない。頭のサエもなんら変わらず、腕もまだまだやれると思った。
後は家ででも床屋やるんと聞くと、ハサミはもう握らないと言った。
昭和44年頃は名前は知らなかったが、なんとなくその頃から彼に見覚えがあり、昭和62年からは毎月一回はバカ話や床屋政談や居眠りをさせてもらった。
また彼は元の勤務先のOBや知人の動向の情報センターでもあった。にしても長い付き合いになっていたものだ。
「そんなことで長いことお世話になりました。」
「いや、こちらこそお世話になりました。私もちょうどこの6月で会社終りです。」
「そうでっか、このビルに来たんお宅が一年違いの先輩で、退くのんは一緒の年やなんてまあご互いご縁があったちゅうことですわな。」
「そういうことや。ほなお元気で。」
「お元気で。ご縁があったらまたどっかで会えまっしゃろ。」
こんな会話を交わしたあと、用意していった気持ちだけの餞別を渡して店の外に出た。
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