阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

成城石井が「海老とオクラのシンガポール風焼きビーフン 」を売り出した。       星州炒米粉 三題

2022年03月26日 | ある日のランチ

エスニック惣菜では成城石井の一番人気という「シンガポール風焼きビーフン」は高く積まれて店頭でも目立っていた。

具がしっかり入っていてカレー味も立ち、調理も丁寧でおいしい。泡盛などの酒肴にもよく合う。539円なのでちょっと高めに感じるが時々買って帰ることになりそうだ。

 ◎ 家で常備品のケンミンの焼きビーフンカレー味もうまい

◎ あいかたがもう17年ほど作り続けてくれている星州炒米粉 従来からあるケンミンのビーフンがベースだ。  

この日の家の昼食は久しぶりに「シンガポールビーフン」だった。

錦糸町の台湾料理店でおいしい焼きビーフンは食べられるが、残念ながらシンガポールビーフンのメニューはない。

しかし旨いシンガポールビーフンが家で食べられるのがありがたい。

 

昼飯はシンガポールビーフン  (阿智胡地亭の非日乗  2005年07月02日(土)掲載) 

今日の昼メシは「シンガポールビーフン」でした。前から相方に作って欲しいと頼んでいましたが、ついに作ってくれました。うまかったです。

聞くと数日前の新聞にシンガポールビーフンの記事がレシピと一緒に出ていたのだそうです。

このビーフンとの最初の出会いはシンガポールでした。

昭和50年代の中ごろインドネシアによく出張で行っていましたが、その行き帰りには今のチャンギー新空港の前の旧シンガポール空港を利用しました。

どこの空港でも、乗換え時間があると時間一杯まで必ず隈なくその空港見学をしたもんですが、あるときシンガポール空港で喉が渇き、

隅っこにある前から目をつけていた小さなレストランに入りました。

そこのメニューを見ると「星州炒米粉」と言うメニューがありました。シンガポール市内では見たことがない料理でした。

元々ビーフンは台湾から生まれたもので、台湾でビーフンの美味さを知ってからメニューにビーフンがあれば必ずオーダーするようになっていました。

迷わずビールのサン・ミゲルの小瓶と「星州炒米粉」を頼みました。何が星州かわからなかったのですが、黄色い色のカレー味のビーフンが出てきました。

ビーフンにカレー風味がマッチして初めての味でしたがうまかったです。

それからはこの空港でトランジットの時も店に直行してサン・ミゲルと「星州炒米粉」を楽しみました。

シンガポールにはイギリスの植民地時代にイギリス人が統治のための使用人として連れてきたインド人の子孫が今、シンガポール人として多く住んでいます。

そしてシンガポールの中国人も中国の福建省から出稼ぎでイギリス統治の当時のマレーシアへ苦力(クーリー・労働者)として出て来た中国人の子孫が多いのです。

福建省は台湾の原住民、高砂族以外の殆どの現在の台湾人(本省人)の出身地でもあります。台湾の米粉とインド人のカレー粉がシンガポールで合体してシンガポールビーフンが出来たのでしょう。

「星州」とはシンガポールの漢字表記でした。


これから我が家のメニューの定番の一つとしてカレービーフンを入れていいかと確認したら、相方からOKのサインが出ました。嬉しいことです。

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大阪市が運営する『帆船 あこがれ』を見学しました。          10年前の今日2012年3月26日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年03月26日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

大阪南港を母港とする帆船「あこがれ」を月曜会のメンバーが見学しました。

「あこがれ」は“日本丸”や“海王丸”を造った住友重機械工業社の浦賀工場で1993年に竣工しました。

海洋諸国では地方公共団体や帆船愛好家団体が帆船を持って、若い世代に海に対する関心を持ってもらうべく乗船や航海体験をさせています。

日本では行政として唯一「大阪市」が体験用帆船を所有し、これまで20年間、海洋国家日本の次世代のために貢献してきました。

乗船してみると、まことにこじんまりした船でしたが、勝海舟や福沢諭吉などは、ほぼこの大きさの船「咸臨丸」で太平洋を渡ったのです。

幕末の日本人の「国家が存続するために、それぞれの人たちが持つた使命感ーミッション」を果たそうとする気概の重さ、大きさを思います。


 「あこがれ」が係留されているATCは毎週日曜日にはコスプレ愛好者が集うそうで、多くの男女が非日常の衣装で異界の自分を楽しんでいました。









「あこがれ」の沿革と歩みはこちら
案内して頂いた吉川指導員、ありがとうございました。
○この2枚はHPの壁紙からダウンロード。



橋下市長さん、大阪市の中高生の課外活動に最適の帆走体験が“あこがれ”で出来ます。そして海洋国家日本のためにもこういう教育の場は貴重だと思います。

これからもこの帆船の活用を是非考えてください!

◎HPは こちら


“あこがれ”の主要目

起工 1992年6月19日
進水 1992年11月24日
竣工 1993年3月31日
船種 帆船
用途 国際航海に従事する練習船
船型 全通平甲板型
帆装形式 3本マストトップスルスクーナー
主要寸法
 全長 52.16m バウスプリットを含む
垂線間長 36.00m
型幅 8.60m
 型深 5.90m 上甲板まで
満載吃水  4.50m
総トン数 362トン(国際)
航海速度 8.5ノット
主機関 4サイクルディーゼル
最大出力 320PS×1基
プロペラ フェザーリング式可変ピッチプロペラ
搭載人員
 乗組員   10名
 訓練生等   40名(ただし国内での1日コースの場合は60名)
帆枚数/帆面積
 横帆3枚/約215㎡
 縦帆10枚/約568㎡13枚/約783㎡
 総帆 通常セットしている帆の枚数と面積13枚/約783㎡
マスト高さ(最高) 約30m 上甲板上

参考 咸臨丸Wikipediaから

艦歴

発注: 1855年(江戸幕府)
起工: 1855年 (オランダの造船所)
進水: 1856年
就役: 1857年
退役: 1871年沈没

性能諸元

排水量: 620 t
全長: 48.8 m
全幅: 8.74 m
吃水:
機関: 3本マストの帆
100馬力の蒸気機関
燃料: 石炭
最大速: 6 ノット (10 km/h)
兵員:
兵装: 砲 12門
1860年、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断。

咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日品川を出帆、旧暦1月19日に浦賀を出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港。

艦長は勝海舟。(正確には勝海舟は「軍艦操練所教授方頭取」、木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、勝が艦長、木村が提督と考えると現在の呼称に最も近い

福澤諭吉やジョン万次郎らも乗船していた。

万次郎以外の船員は大半が船酔いで、技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉他、アメリカ人乗員の助けを借りての航海であった。

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「あこがれ」から「みらいへ」船名を変え母港を神戸へ☞ちら

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3月25日に目に留まったSNS・メディアの記事

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