阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

伊予の国の住人から3月の便り その1   今年の四国・ 新居浜の寒さは例年にない厳しい寒さだった!

2022年03月06日 | 新居浜便り
阿智胡地亭さん 大変ご無沙汰しています。一年ぶりに伊予の国の状況を連絡します。 
今年は特に東北、北陸地方の皆さんは大雪で大変ご苦労されていますね。
愛媛県の新居浜も寒さは例年にない厳しい寒さでした。格別なニユースありませんが近況報告します。
 
 
自宅から約15キロ南に石鎚山系から連なる西赤石山(標高1625m)があります。
一年に何回か雪山の姿を見ますが今年は珍しく大雪の山脈で綺麗でした。
 
 
新居浜の住人 泉谷さんは 阿智胡地亭が入社した会社の新居浜製造所で新入社員教育がおわって 昭和41年7月に配属された課に 先輩社員でおられたけん
もう半世紀を超える年月が経過したんよね。  よいよ 長い付き合いに 驚くしかないわネ・・・・
 
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長年 泉谷さんから送って頂いている画像をアップしたカテゴリーの「新居浜便り」click シリーズは現在113編になっている。
 
その中から2015年10月19日掲載の

新居浜の太鼓祭り(16~18日)     祭りに大接近の迫力!  

愛媛県新居浜市に住む泉谷さんからメールが届きました。

⇒地元の祭りは今年もしっかりやったけんね。心配せいでも力強うまだまだ毎年つづきそうなかい。

以下は彼のメールです。

→初日には地元の氏神である萩岡神社社殿に約15度の坂を100メートルかき上げお祓いをする「宮出し」の神事が毎年ある。
まだ夜も明けきらない午前3時半の花火を合図に約150人のかき夫が一気に上までかき上げるという荒業である。
今年初めて見学したが、かなりむ冷え込み真夜中にもかかわらず祭りのパワーに圧倒された。

本殿に駆け上がる準備中の4台の太鼓台(岸の下、萩生西、萩生東、治良丸)

傾斜15度で100メートルの坂にいよいよ挑んだ瞬間

無事本殿に到着し神主のお祓いを受ける





本殿前で差し上げる雄姿を表現して見せる。

 一台約五千万円とも言われ金糸銀糸を使用したこの竜の面の力強さと美しさが特徴
重量は多少違うが約2トン500キロあり120人~150人のカキ夫が操る。
4本のかき棒はほぼ樹齢100年以上の檜を使用され、乾燥期間も1年以上かけたものを使用する。
 ↑トップの画像
上がりも下りもかき夫の肩だけで全て行うのでバランスが大変そうでした。皆さん肩を痛めながらも支える台車無しで必死に頑張っていた。

宮出しのあとは自部落を回りご祝儀を集める。 我が家の前を通過中。






(上部地区の夜のカキ比べ)
初日の夜は萩生地区だけの9台のかき比べが行われた。 提灯とライトアップで昼間とは違った風情がある。



自部落太鼓台の応援に観客も1000人以上と多かった。











 

 
 
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イスズベーカリーとフロインドリーブ   高羽交差点から三ノ宮まで歩く その1     13年前の今日 2009年3月6日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年03月06日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

新神戸駅から三ノ宮までは地下鉄でも一駅ですから歩いても15分ほどの距離です。ひさしぶりに歩きました。

トップの画像は加納町の交差点にある「イスズベーカリー」の創業店。「イスズベーカリー」はいま神戸でも旬なパン屋さんの一つです。

三ノ宮から元町にかけていくつも店があり、どの店もいつも賑わっています。昭和21年に出来た頃は普通の町のパン屋さんだったそうですが、

このあたりは最初に進駐軍相手の、次は外国船の船乗り相手のバーやクラブがあったところで、彼らに鍛えられて本物のパンを作り出した?

イスズの店の前を通りかかるとつい入ってしまいますが、多少多めに買いすぎても家で文句を言う人は誰もいません。


その横には同じく昭和20年代に開店したという「アカデミーバー」があります。駅からの距離もあって入ったことはありません。

市電が走っていた頃は、目の前の交差点で市電に乗れば、酔っ払っても歩かずに市内東西どこへでも帰れたロケーションだったと思います。


大磯の吉田茂宰相の屋敷へ毎朝、パンを航空便で届けたという伝説を持つドイツパンの「フロインドリーブ」は

震災後中山手の本店からこの元ユニオン教会の建物に移転しました。

今から40数年前、初めてフロインドリーブの山食を食べた時、それまで食べていたパンはなんだったのだろうと思いました。

 なお、昭和45年に開店した東京・広尾の「東京フロインドリーブ」は神戸のフロインドリーブで8年間修業した人がやっているそうです。


大通りから少し入ったところにお風呂屋さんがあるのに気がつきました。

表通りで戦後づっと小商いをしていた個人経営の店は殆ど姿を消し、洒落たマンションやコジャレたショップに変わってしまって、

自分が知っていた街はもうなくなっています。 この大衆浴場もいつまで営業出来るのかと思います。


 

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「これまでに日本のあちこちで ばったり 出会った人」    ’02/05/03 メールで発信

2022年03月06日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

 *(立松和平さん)小説家は思っていたより顔も大きく身体の厚みがあり、大柄で人より身長が頭一つ抜け出ていました。

大きなリュックを肩にかけていて、定年後 先輩のご配慮で観に行った香川県琴平の金比羅歌舞伎の金丸座の入場口で会い、目が合いました。

ふんわりした気分の人のように見えました。

*(中島誠之助さん) 会った近さの順番で行くとその前は中島さんでした、2ヶ月ほど前、新幹線の東京駅ホームで。

その時は名前はわからなかったが、「・・お宝鑑定団・・」とかいう番組にヒゲの着物姿で出ている人と、その時は洋服でしたがすぐわかりました。

私より小柄な人でした。番組は見ないけどコーヒーかなんかのCMでよく見かけていたせいか

瞬間、よく知っている人と思い、目が合った時「今日は」と挨拶しそうになりました。

*(吉村教授)エジプト考古学の早稲田大の教授。新幹線京都駅のホームで。

長い黒革のコートを着て真っ赤なネクタイ。なかなかダンデイなおっさんがおると思ったら彼でした。

ホームの柱の陰で携帯を始めましたが カタチが決まっていました。

*(永 六輔さん)小沢昭一の次に好きな人です。JR浜松町で電車を降りる時、同じ車輌の扉から乗ってきた。

相当な年だと思うが背骨がピンと伸びた大きな人だった。やはりアゴに特徴があった。

自然体でなんとなく落ちついた江戸火消しの頭みたいな雰囲気があった。

ところで小沢昭一は、数十年にわたりラジオの「小沢昭一的こころ」の番組でちょっとHな
「〇〇〇〇お父さん」を出しており、このお父さんのイメージのお陰で私もあちこちで時々
得をさせてもらっている。

広島のどこやらのゴルフ場で、キャデイさんに「何年もあの番組を欠かさず聞いとるけど、
〇〇〇〇 という名前の人に始めておうた。ホンマにおるんやねー。おたくがモデルかね」と
独りだけ大事にしてもらって他のパートナーの顰蹙をかったことがあった。

*神戸製鋼ラグビー部の(大八木)選手、家の近所のホームセンターで。

家族で買物していた。プロレスラーみたいな大きい人で坊主頭で異彩を放っていたが、
普通のかっこうのせいか誰も気がつかず、あいかたも私が言うまで気づかなかった。
このコーナン大石ホームセンターにはよく来るらしく数回出会っている。

*(岡村隆さん)ナイナイの小柄な方、新幹線の新大阪の上りホームで。

文庫本1冊だけ持ってホームのあちこちを移動しながら床に座りこんで読んでいた。


まだテレビに出始めた頃だったか、自分が見られているかどうかチラチラ周囲を確認しながら
時々場所を変えて列車が来るのを待っていた。

*ギタリストの(クロード・チアリさん)、新幹線の神戸駅改札口で。
広島から家に帰る時、改札口で出会った。一人でたんたんとギターケースを手に持っていた。
確か夙川か仁川あたりに住んでいるはず。

*神戸製鋼ラグビー部の(平尾)選手、当時監督?、積水化学の大阪本社ロビーで。

私が大阪の積水化学さんの物流部の方を受付で待っていたら、ちょっと離れた場所で、彼が名刺を出して積水の人と挨拶していた。

後で自分の面談相手に伺うと、営業で神鋼製品の売り込みに来てるんやろと。

鼻の下にかっこいい髭を蓄え、例の精悍にして鋭い目付きでにこやかに話をしていた。
一流の人間はどこにいてもかっこええなあ、全身が決まっているなあと思った。

*(桂 文珍さん)、阪急六甲から梅田まで阪急電車の席で約30分隣どうしに座った。

当時関西大学に招かれ講座を持っていた頃で、風呂敷からなにやら難しげな本を出して読んでいた。

途中で前の席のおじいさんが気づいて、「文珍さんやねー」と席を立って親しげに声をかけたが、
電車の中やからとか何とか硬い顔で言われて、じいさんはバツが悪そうに席に戻っていった。

文珍氏とは近所の小さな蕎麦屋でも一回会ったが、その九州佐賀出身の夫婦者がやっていた
すぐれもののソバヤは震災でつぶれた。その後一年間なんども店のあったところに歩いて行って
みたが再開されず、経営者は佐賀に帰ってしまったようだ。あの蕎麦は本当にうまかった。
震災の痛手の一つ。(佐賀で再興した蕎麦屋 狐狸庵さんClick)

*(松島トモ子さん)、神田美土代町勤務時代に接待帰りの23時過ぎの銀座で。

もう亡くなった紀伊国屋書店の田辺茂一社長ともう一人と3人で肩を組んで酔っぱらってよろよろ歩いていた。

小さい時のあこがれの童謡歌手や、元気でがんばってやと暫し見送った。

*(司馬遼太郎さん)、千葉県南柏の社宅から家族でたった一回だけ食事に行った有楽町の東京會舘で。

何か文学賞の授与式があったのか廊下ですれ違った。昭和54年頃?。白髪ですぐ司馬さんとわかった。

*(尾崎紀世彦さん)、羽田空港で。「又会う日まで」でレコード大賞かを取った後だったか。

テレビでは大きく見えていたが、実際は身長160cmくらいで小柄なので驚いた。

誰も皆、あちこち出張や旅行やなんやかんやで動いていると、誰かにバッタリ出会うもんです。

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2022年3月6日追記

2003.8.10作成

  落語家二人

①新大阪のホームで列車の入線を待っていた。車内で読む「週間文春」と「お~いお茶」を確保した後は、
いつもの癖で目の前を行き来する人達をバードウォチングならぬピープルウォチングを楽しむ。

背をしゃんと伸ばして夏物を涼しげに決めた奥さんの後を、ゴルフウェアーらしいポロシャツを着た旦那が荷物を持って
トボトボついていく。アタッシュケースを持った紺のスーツの若い女性が男の同僚社員らしいのと急ぎ足で通り過ぎる。

若い男女の外人が6、7人でトランクの山を横においている。ツアーらしいがガイドはいないなあ。
女性が小柄だし、着ているものの色とコーデネイトが洒落てるからからアメリカ人じゃなくてラテン系みたい。

あら、向こうからくるおっさんあれは桂文珍みたいやなあ。荷物をカートで引っ張っている。
お伴なしで一人で動いてるんだ。彼は私のすぐ隣に来て立ち止まった。やはり文珍だった。

5、6年前に阪急六甲から梅田まで隣どうしに座った桂文珍とはこれで3度目の遭遇だが、
いままでになく自然体で周囲の人は誰も気付かない。気のせいか彼は少し仏頂面に見えた。

テレビと違うのは薄いサングラスをかけているだけだ。彼は早く来すぎたのか私の乗った列車には乗ってこなかった。

②21のB席は窓際3列の真ん中の席だった。この伊丹空港発のフライトは乗客に子供が多く満席だった。

シートベルトを締めてぼんやり乗って来る人をみていたら、笑福亭鶴瓶みたいな男が通路をこちらに来る。
その後ろに名前は知らないがテレビで顔は見たことがあるのが続いている。

みたいではなく間違いなく鶴瓶だった。彼は20のD席、若いのが20のC席に座った。
飛行中二人は半分の30分ほどスケジュールの話をしていた。あのダミ声の大阪弁で。

着陸して皆が席をたったとき、彼の前の席の女性が後ろを振り向いて握手を求め、それに対して笑って握手を返していたくらいで、
殆どの人は気付かないままで機内から下りていった。

運動会などの集団の中から自分の子供をすぐ見分けられる視覚の識別能力は、動物の始源的な能力の一つらしいが、
例え一度も会ったことがない他人でもいったんインプリンテイングされたイメージと同一人物が目の前に現れたら、
無意識かつ即座にその人だと認識するという経験は何度あっても面白い。

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2004年頃の出会い

*(小田実さん)、最終の東京行き新幹線に乗るべくJR芦屋駅で京都行き新快速に乗りかえようとした2004年頃、

ホームで黒いコートの背中の広い大柄な男のすぐ後ろについた。

電車が入ってくるとき横顔に電車の前方ライトが当たり、そのがっしりした顎の男の横顔が浮かび上がった。

小田実さんだった。確か当時彼は家族で芦屋に住んでいた。

高校生の時から40数年ずっと本も買ってきた憧れの人が目の前にいることに驚き嬉しかった。

二人だけの列は誰も降りてこないドアから乗ったあと、右と左に分かれて座った。彼も新大阪で降りて、新幹線の改札口に向かった。

恥ずかしながらミーハー辛好の大切な思い出です。

*(仰木 彬 監督)、もう何の用事で乗ったのか忘れましたが、2004年頃三ノ宮から神戸市営地下鉄に乗りました。

昼下がりの車両はガラガラに空いていて、乗客は私とはるかむこうに座っている一人の初老の男の二人だけでした。

見るとも無く視線を向けたそのもう一人の乗客は、地下鉄の中だというのにサングラスをかけていました。
軽く背中を座席の後ろにもたれかけて目をつむっているようでした。

その初老の男の「すがたカタチ」は「決まって」いました。

身体のどこにも力が入っていないリラックスした彼のまわりに、そこだけ何ともダンデイな空気が流れていました。

オリックスの仰木監督だと気づきました。

この沿線にグリーンスタジアムがありますが、まさか監督が一人で地下鉄に乗っているとは思いませんでした。

世の中には歳をとって、こんなに「姿かたち」が美しくなる男がいるんだと思いました。

一回限りの、しかもわずかな時間の、仰木彬という人との個人的な出会いの思い出です。

 

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3月05日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年03月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像クリックで記事全文に飛びます。

 

 

 

 

 

 

 

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