あびこ雅浩の日記

仙台市議会議員あびこ雅浩の活動日記。

伊藤孝夫先生とサッカーワールドカップ大会

2010-07-18 | 国際・政治

Cimg9341 宮城県サッカー界の重鎮伊藤孝夫先生が瑞宝小綬章を受章され叙勲をお祝する会が催された。会場には宮城県サッカー協会関係者、ベガルタ仙台関係者、東北大学、宮工高、東北工大関係者、教員リーグ関係者をはじめ300名を超えて御祝いに駆けつけた。会の司会役は竹鼻純氏。Cimg9344先生は2ヶ月後に80歳を迎えるが今なお現役サッカー選手(宮城フェニックスSC)としてピッチに立ち続けていらっしゃる。今日に至るベガルタ仙台の生みの親のひとりでもあり、現在取締役を務めておられる。飾らない淡々とした先生のご挨拶に、戦後日本の復興にサッカーを通して人を育て地域の輪を築いてこられたご功績を識り、あらためて頭が下がりました。

伊藤先生は昭和5年、サッカーワールドカップ第一回大会がウルグアイで開催された年に生まれ、2002大会年はへガルタ仙台がJ1に昇格、そして叙勲の年に南アフリカ大会が開催された。先生の人生の節目にはいつもサッカーワールドカップ大会があった。

さて、日本代表の大活躍で国民を睡眠不足にさせたワールドカップ今大会は、先ずもって岡田監督の精神力と才覚の高さに心から敬意を申し上げる次第です。本番前に全くいいところなくメディアから酷評され続けていた日本代表は、3戦全敗の予想を大きく覆して、見事に2勝1敗でベスト16へ。1敗は準優勝したオランダ代表戦でキーパーがクリアミスした1点のみの失点試合。またベスト8を賭けたパラグアイ代表戦では、本田選手のゴール前左足アウトで放ったシュートが枠を捉えていれば勝てた試合。そのパラグアイは優勝したスペイン代表を最後まで苦しめたチーム。ベスト4の夢も実は叶わぬ夢ではなかった今大会の日本代表の雄姿を心から讃えます。

宮城県出身の初のワールドカップ代表となった今野泰幸選手は、仙台市立上野山小学校、山田中学校、そして東北高校の出身。今野選手が今回たとえ数分間であってもワールドカップの大舞台のピッチに立った陰には、伊藤先生をはじめとする今日まで宮城県のサッカーに情熱を注いできた実に多くの人たちの汗があり、その汗の結晶として今回の今野選手があるのだと思います。

今回の代表レギュラーメンバーの中で一際、大きく輝いていたのは長友祐都選手でした。身長170センチの小兵ながら世界トップ選手の動きをことごとく封じていくプレーは世界の注目を集めました。イタリアセリエAでの活躍にエールを贈り、日本人魂で世界の一流選手達を止め続けることを祈っています。

サッカーは地球上で最も競技人口の多いスポーツです。FIFAから言わせれば、「ワールドカップ」とはサッカーの世界大会そのものであって、ワールドカップにサッカーを冠する必要なしとの主張もあるとのことです。

私がワールドカップに熱くなった動機は、25年前に世界各国の若者とイスラエル滞在中に、世界の共通言語はサッカーであることを知ったことでした。またそれは同時に、サッカーは生まれた経緯から狩猟民の遺伝子を持つ競技なので農耕民の日本人がどこまで伍していけるかその限界を直感しました。日本代表の得点力不足、決定力不足は民族的な遺伝子に由来しているものなので、日本はハンデがありながらも頭脳と組織力でどこまで異なる遺伝子競技に挑戦できるかが、日本のサッカーであると私は考えています。


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