ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

岡山の娘・福間健二監督

2010-04-08 16:01:29 | Movie
「岡山の娘・予告編」

 昨日「高崎映画祭」で「岡山の娘」を観ました。その後で福間健二監督の舞台挨拶もありました。詩人が映画をつくるということに、おおいに興味がありました。詳細は後ほどに。

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 群馬県高崎市では、毎年「高崎映画祭」が開催されている。上映は高崎市文化会館、高崎シティギャラリー、シネマテークたかさきなど。3月27日(土)~4月11日(日)まで、今年で第24回目となります。

 第1回高崎映画祭は、昭和62年(1987)3月30日~4月5日までの1週間、文化会館・音楽センター・市内映画館(松竹・スカラ・東宝・東映)で上映されました。高崎映画祭運営委員会(会長・当時の山崎旭高崎経済大学長)が主催、後援には高崎市教育委員会、高崎市商工会議所のほか、高崎市等広域市町村圏振興整備組合が住民の自主的文化向上を図るリージョン・プラザ(田園都市中核施設)事業の一環として積極的に加わりました。

 山崎旭氏は2003年にご逝去。しかし気になることがあります。彼が学長を勤められた「高崎経済大学」というところは、故「小川紳介」監督によるドキュメンタリー映画「圧殺の森・高崎経済大学闘争の記録・1967年制作」の舞台となった大学ではないだろうか?

 何故「高崎映画祭」があるのか?と考えた時、この繋がりは全くないとは言いがたいのではないか?帰宅してから考えたのは遅かったなぁ。


 前書きが長すぎました。
 さて「岡山の娘」・・・何故「岡山」なのか?それは福間監督が30代の5年間、岡山に大学教授として勤務されたからでした。土地の人間ではない、さりとて旅行者でもない視線で「岡山」をみるには、5年というロケハン時間がちょうどよろしいのではなかったか?(←ご本人のお言葉。)

 「みずき」という女子大生のヒロインは、母親と2人暮らし、ある日遅く帰宅したら母親は急死していました。母親の残した借金の破産宣告、大学中退、困難な仕事探し、さらに長い間別れたままだった外国暮らしの父親が帰国したものの、2人には会話がないままに時間をかけて近づこうとする。恋人(B・Fか?)との関係も希薄。自分さがしはいつでも若者のメインテーマであろうか?

 この映画は極力音楽を流すことを避けている。その代わりに挿入されるものは「詩」である。「三角みずき」の詩をメインとして、「福間健二」「北川透」(←彼は映画のなかで詩を朗読して、わずかな会話もあるのです。)の詩が登場しています。

 キャストは全員役者ではない。岡山の人々でした。暑い一夏の花火のような時間軸のなかで、「岡山」という街に生きるさまざまな人間の物語。





 我が埼玉県から、群馬県高崎までは、関東平野の真ん中あたりから高崎線で北上して、赤城山や榛名山の手前まで平野をひた走る感覚です。列車の進行方向左側には蒼い山並みが遠くに連なり、右側には建物がなければ地平線が見えるであろうか?という地形を通過しました。

  吹越や伐り出されたる柩の木    請関くにとし

 この方言俳句の舞台でもある。「吹越」は「ふっこし」と言う。「風花」のことで群馬県の方言です。福間さんの舞台挨拶が済んでから、福間さんと高崎の詩人たちとともに「榛名まほろば」までお伺いしました。さまざまなことが思われる一日でした。