ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

オルフォイスへのソネット第一部・2  リルケ

2009-09-28 21:28:50 | Poem


第一部・2

それはほとんど少女のようで、歌と七絃琴(リラ)との
一つに融けた幸福のなかから生まれ、
春のうすぎぬを透いてかがやき、
わが耳のなかにしとねをのべた。

そしてわたしのうちに眠った。すべては彼女の眠りだった。
わたしがかつて嘆賞した樹々も、この
まざまざと感じられる遠方も、素足で触れた牧場も、
わが耳に覚えたひとつびとつのおどろきも。

彼女は世界を眠っていた。歌う神オルフォイスよ、覚めようとする気配もなかった。
どのような完全のわざをもってあなたは彼女を造ったのか、
生まれ出て、そしてそのまま眠ったとは。

どこに彼女の死はある?おお、あなたの歌が
歌われて尽きてゆくまでに、死という主題が見つかるだろうか?――
彼女はどこへ、わたしを離れ、沈んでゆく・・・・・・ほとんど少女のように・・・・・・

(翻訳:生野幸吉)


そしてほとんどひとりの少女、それが
歌と竪琴の一体になった幸福のなかから現れ、
春のうすぎぬをとおしてあかるく輝いて、
私の耳のなかに臥床をしつらえた。

そして私のなかで眠った。するとすべてが彼女の眠りだった。
私のかつて賛嘆した樹々も、こうして
感受される遠方も、あの感触された草原も、
そしてこの私を打った驚きのひとつひとつも。

彼女は世界を眠った。歌う神よ なんと完全にあなたは
彼女を創られたことだろう、目覚めようとは
彼女が望まぬほどに? 見よ 彼女は生まれ そして眠ったのだ。

どこに彼女の死はある? おお あなたの歌が尽きないうちに、
あなたは思いつかれるだろうか この主題をも?
どこへ彼女は私のなかから沈んでゆく? ・・・・・・ほとんどひとりの少女・・・・・・

 (翻訳;田口義弘)

 
 オルフォイスが歌い、かつ奏でる美しい音楽のなかから生まれた少女。この少女の眠りは「死」でもなく、さりとて「生」でもないだろう。すでにここでは時間が意味を持たない状況ではないだろうか?またこの「少女」そのものが姿を持たないひかりのような存在で、しかしこの上なくやさしく美しい抽象的存在であって、すべては孤独な詩人の内的世界で創りあげられてゆく精神の状況ではないか?

 詩人の耳はさまざまなものに満たされてゆく。樹、神殿、少女の臥床・・・・・・しかしそれはすべて詩人の内面へと沈んでゆくのだろう。

オルフォイスへのソネット第一部・1  リルケ

2009-09-28 01:37:17 | Poem
 
翻訳:田口義弘

 
 このソネットは、第一部26編、第二部29編、合計55編で構成されています。「ドゥイノの悲歌」が書かれた時期と大分重なっているようですが、ただし「悲歌」のように第一次大戦の多大な精神的打撃のなかで、ペンが進まず10年の歳月がかかったしまったことに比べて、比較的順調に書かれたようです。第一部の1~20編までは3日間で書かれています。


 このソネットに大きな影響を与えたものは、ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」でした。この詩は手書きで紹介するのにはあまりにも長いので、ここにリンクさせていただきました。この翻訳者の方は存じ上げません。リルケ自身はこの詩を独訳していますが、この「海辺の墓地」との類想と対峙が「オルフォイスへのソネット」にはみられます。


 このポール・ヴァレリーの詩は、堀辰雄の「風立ちぬ」のなかで引用されている1行「風立ちぬ いざ生きめやも」でも有名な詩ではありますが、どうもこの1行だけが1人歩きしているような気がします。

 
 「ドゥイノの悲歌」のなかで呼び出される「天使」は、彼岸でも此岸でもなく、この大きな統一体に凌駕するものとして存在しましたが、この「ソネット」のなかでの「オルフォイス」は、神話のなかに登場する比類なき楽人のことです。神ではありますが、絶対化されていながら、無常な一個の人間としての姿も見えかくれします。



第一部・1

すると一本の樹が立ち昇った。おお 純粋な超昇!
おお オルフォイスが歌う! おお 耳のなかの高い樹よ!
そしてすべては沈黙した。 だが その沈黙のなかにすら
生じたのだ、新しい開始と 合図と 変化とが。

静寂より動物らが押しよせてきた、澄んだ
解かれた森のねぐらから 巣から
そしてわかった、かれらがそんなにも静かだったのは、
企みや、不安からではなくて

じっと聴きいっているからだった。叫びも 吠え声も
かれらの心のなかで小さく思われていた。
そしていまさっきまで これを受け入れるための小屋も、

暗い欲望からの、戸口の柱が揺れうごく
隠れ家すらほとんどなかったところ――そんなかれらの
聴覚のなかに神殿を創られた。


 ここでは「オルフォイス」の姿は見えません。彼の歌声あるいは竪琴の音色だけが聴こえています。それによって、1本の樹が超昇するのですが、これは耳のなかに聳立つ樹なので、あくまでもここでは聴覚の段階です。その耳のなかにまたもや見えない神殿もつくられています。それらがあたりに沈黙を拡大して、その声と静寂との対比のなかで、なにかが起きるであろうという予感です。大変すぐれたプロローグとなっています。

 「超昇」という漢語が使われていますね。訳者の言葉への真摯な姿勢がここに見られます。これ以外に該当する日本語はない、というところまで考え抜いた結果ではないか?と思います。


 (2001年・河出書房新社刊)