塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』 170 物語:伽国で妖魔を滅ぼす

2016-11-05 02:01:49 | ケサル
★ 物語の第一回は 阿来『ケサル王』① 縁起-1 です  http://blog.goo.ne.jp/aba-tabi/m/201304


物語:伽国で妖魔を滅ぼす その2




 約束の日は木曜星と鬼宿の二つの吉星が出会う5月15日となった。

 この日のために、伽国の皇帝は空に一筋の細い透き間を開けるのを許した。そこからわずかに天の光が射し込んで、民は盛大な儀式を見ることが出来る。

 皇帝は言った。
 「こうすれば民は、牛が反芻するようにこの盛大な光景を思い起こしながら、これから先の長い年月も、暗い闇夜の中で心安らいで過ごせるだろう。我が皇后が死から蘇るその日まで」

 皇帝は妖皇后の亡骸を収めている部屋を黒い幕で更に何重にも包ませた。
 ケサルはついに、伽国の宮殿の前で皇帝と合まみえた。

 この時、雲の隙間から射し込む僅かな光が広場を照らした。広場を囲んだ伽国の人々は天をも震わす歓声を上げた。
 伽国の皇帝は言った。
 「民はこのように狂おしくワシを敬愛している。ワシが常には宮殿を出ないのは、このような歓呼の声を恐れるからなのだ」

 「民が喜んでいるのは天の気のためではないのでしょうか」

 「民はいつでもワシが定めた気象を喜んで受け入れる。そうすれば心を煩わせずにすむからだ」

 「この気象はあまりにも暗すぎます」

 「だが、そのために強い風は吹かず、霰も洪水もない、太陽が地上の水を干上がらせることもない」

 歓呼の声に驚いた鳥の群れが、高い宮殿の壁に次々とぶつかった。馬は車を引いたまま池に嵌まった。

 ケサルは言った。
 「長い間光を見ずにいれば、人々の目は盲いてしまうでしょう」

 「だが皆見えているではないか」

 「こっそりと灯りを用いているからです」

 伽国の皇帝は不機嫌に言った。
 「目の前の菓子と香りの良い茶を召し上がられよ」

 「日の光がなければ菓子も茶も本来の旨味を味わえません」

 皇帝はさっと立ち上がった。
 「そなたはワシのもてなしを受ける気はないようだな。ワシの威厳を潰すために参ったのだろう」

 「私は天の命を受け、そなたの国がもう一度光を取り戻す手助けをするため参ったのです」

 皇帝の手が腰の刀に置かれると、宮殿の上にあらかじめ伏せられていた兵が弓に矢をつがえて現われた。

 「私が十二人の君臣しか連れていないと思っていたら、それは大きな間違いです」
 ケサルはすぐさま幻術を用いて街の内と外に千を超える軍馬を並べた。人々が驚き騒いだので、ケサルは声を挙げて叫んだ。

 「みな恐れなくともよい。今日この目出度い日にリン国と伽国の勇士が武術を競おうとしているだけだ」

 ざわついていた人の群れは瞬く間に鎮まった。
 伽国の皇帝は言った。
 「ならば、我々も受けてたとう」

 双方はまず馬で競うことになった。起点は目の前のこの広場、決勝点は仏教の聖地五台山と決まった。
 そこで、伽国の将軍は風のように駆ける追風馬に、リン国の将軍は鉛色の玉鳥馬にまたがり、閃光のように広場を飛び出した。

 国王と皇帝はそのまま酒と茶を飲みながら時を過ごした。間もなくヒズメの音が聞こえ、リン国の将軍が五台山に咲くシャラの花を手に戻って来た。伽国の将軍はしばらく待っても戻って来なかった。
 宿場から伝わって来た知らせによると、追風馬は始め前を走っていたが、晴れ渡り光あふれる五台山の麓で、長い間闇に馴れた目が眩い光線に堪えられず、足を滑らせて深い谷に落ち、将軍もろとも傷を負い、将軍は失敗を恥じ剣を飲んで自害した、という。

 ケサルは言った。
 「一つの国が長い間光のない曖昧な中にいるのは良いことではないようです」

 伽国の皇帝は憤り、大きなたもとを一振りすると、開かれたばかりの天の一隅が再び閉じてしまった。大地は瞬く間に暗黒の中に沈んだ。

 百を超す伽国の弓の使い手が現われた。彼らの放った矢は民が手にする黒い布で覆われた灯篭の灯りを消した。皇帝は言った。
 「我が民はわざわざ光が目を射るような場所へ出かけて行って敵と戦う必要などない」

 タンマは黄金の鎧を身に着け、弓を持って現れた。黄金の鎧は並みいる人々の目を惹きつけた。微かな光が集まって、彼の全身をきらきらと闇に浮かび上がらせた。
 タンマが弓を引き絞って矢を放つと、その飛び行く様は、まるで電光が掠めていくかのようだった。

 矢は、人々には見ることのできない黒い魔法の門に当たった。人々を取り巻いた闇は霧のように消え去った。
 空は青へと変わり、日の光が山や川を照らした。

 突然降り注いだ光に、水面を漂っていた魚の群れは驚いて深い底へと潜って行った。鳥は翼で目を隠した。伽国の皇帝と彼の臣民も同じように長い暗黒に慣れていたため、再び訪れた光に目を覆った。

 大地は一瞬静まり返り、ただ光だけが、ミツバチの羽音にも似た音を伴いながら遍く場所へと広がって行った。