塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』 87 物語:ギャツァ、命を捧げる

2015-01-12 16:15:37 | ケサル
物語:ギャツァ、命を捧げるその2




 クルカル王はシンバメルツにジュクモを迎えに行かせた。
 ジュクモは言った。
 「三日間お待ち下さい」

 「どうして三日なのですか」

 「自分が是非もわきまえず、王妃でありながら村の娘のように嫉妬の心を起こしたことを、三日の間悔いたいのです。」

 三日後、シンバメルツは出発を促した。
 ジュクモは言った。
 「私は神の子の愛を失ったことに、あと三日間泣くことにします」

 また三日が過ぎ、シンバメルツはまた出発を促した。
 「大王は気の短い方です。ジュクモ様がこれ以上出発を遅らされたら、必ず兵を率いて攻撃してくるでしょう」

 「クルカル様には少し待って頂きましょう。私には三日の時間が必要なのです」

 自分はこのような状況で賢く堂々とした王妃であることを学んだ。
 だが、ケサルはまだ、海のような知恵と総てを見抜く洞察力を持った万民の王にはなっていない。
 ジュクモはそのことを三日の間悲しみ惜しんだ。

 この三日の間、彼女の心は痛みで張り裂けそうだった。
 彼女はルビーを目の前に置いた。心の痛みが最早耐えきれなくなった時、その固い宝石にひびが入り、粉々に砕けた。

 ジュクモは侍女に言った。
 「見たでしょう!天も私の心の痛みを知っている。それなのに、大王様は何も知らない。王様が帰って来たら伝えておくれ、私の体はここを去るけれど、心はリンの地に散らばっていると」

 一人の侍女がジュクモの前に進み出た。
 「王妃様、覚えていらっしゃいますか。私がどうして侍女になったのか」

 この侍女は元は羊飼いの娘だった。
 顔かたちも体つきもジュクモとよく似ていることが知られ、宮中に献上され、侍女になったのだった。

 ジュクモは言った。
 「それは、お前が私によく似ていたからでしょう」

 「私に王妃様ほどの威厳はありません。ただ、クルカル王はまだ王妃様をお目にしたことがありません。恐れ多いことですが私が王妃様に成り済まし、クルカル王の元に参ります」

 ジュクモは涙を流した。
 「辛いけれど、そうしましょう!王様が心を入れ替えたら、必ずお前を連れ戻しに行かせましょう」

 三回目の三日目、ジュクモは宮中に身を隠した。
 侍女は王妃の衣装に身なりを整え、シンバメルツが迎えに来るのを待って、しずしずと宮廷を出た。

 侍女は馬の上でただ泣くばかり。シンバメルツは不審に思った。

 この女は姿形はジュクモのようだが、そのふるまいに王妃の高貴さと鷹揚さが感じられない。
 この場に及んで、ジュクモが女子供のようにめそめそと泣いてばかりいるはずがないではないか。

 だが、シンバメルツはクルカル王が女一人のために挙兵することにもとより不満を抱いていたので、必要もなく騒ぎたて、真相を暴くまでもないとそのままにした。

 クルカル王はリンの王妃が自ら身を捧げに訪れ、伝説の神の力を持つ一世の英雄ケサルはいまだ現れないと知ると、すぐに盛大な宴席を設けて、祝った後、兵を休ませた。

 潮が引くように大軍は去って行き、クルカル王は日々宮中で、新しい妃と酒を飲み楽しみに耽った。

 だがクルカル王も不満を感じる時があった。
 新しい王妃は亡くなった漢の妃と同じように従順だが、ただ従順なだけで、漢妃のように燃えるような情熱を表さなかったからである。

 だが、クルカル王がわずかな不満を示すだけで、新しい妃はぽろぽろと涙を流し、ジュクモが粉々に砕いた宝石を思い、言うのだった

 「私の心はすでに一人の男性に砕かれてしまったのです。大王様、私の心が癒えるまで、もう少し待っていただけますか」

 クルカル王はこの言葉に心を動かされた。
 稀に見る女性の深い情愛に、偽のジュクモを珍しい宝物として、より一層愛おしんだ。