塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来が私の微博に答えてくれた!

2013-04-21 02:06:28 | ケサル


最近、阿来宛てに何度か微博(中国版ツイッター)を書いた。
『ケサル王』への質問や、他の作品との関係など、思いつくままに、自分への問いかけとしてつぶやいていた。
期待がなかったといったらウソになるが、阿来の微博のフォロワーは何十万人、彼の目に留まるかどうかさえわからない。
だがなんと、そのうちの一つに阿来からの返信があったのだ。



「阿来先生、聞くところによると、チベットの語り部は普通琴を弾かないそうです。モンゴルの語り部は琴を弾きとても賑やかに語るそうです。どうして『ケサル王』の中でジンメイに琴を持たせたのですか。ホメーロスの叙事詩と関係があるのでしょうか。そうであっても、ジンメイが琴を学ぶ過程の描写はとても美しい。(4/14)」

それに応えて、

阿来「聞くところによると?それでは確実とは言えない。しっかりと見なくてはいけない」



一瞬舞い上がり、よくわからず読み直し、何度か読み直しても腑に落ちず、ついには心配になった。
私のいい加減な中国語を読み、阿来先生はどう思われたのだろうか。失礼な言い回しでもあったのだろうか。

でも、この中で使われている「しっかりと見る」という言葉、中国語にすると“看見”。これは阿来の散文集の題名にも使われている言葉だ。
阿来にとっては大切な言葉と言っていいだろう。
その言葉を私にもかけてくれたのだ、きっと励ましてくれているのだ、と解釈することにした。
阿来先生には、“看見”という言葉を心に刻んでおきます、と返信した。

とても刺激的な出来事だった。


六弦琴への疑問を持ったきっかけは…

『ケサル大王』の大谷監督に、阿来は語り部の様子をどのように描いているかと尋ねられた時に、他の特徴と並べて、六弦琴を持っていると伝えた。
阿来の『ケサル王』の中では、六弦琴はかなり重要な役割を果たしている。そしてそれはごく当たり前なことと思っていた。

それに対して監督からのコメントがあった。
「チベットの語り部は楽器を持たないはずです。モンゴルでは楽器を持って語るようですが」と。

何の疑いも持たずにいた自分に慌てた。

そこで、数少ないケサル関係の本と、ネットで調べてみた。

六弦琴はチベットでは大切な楽器だという記述がまず目に入った。
  <札木年はチベット族が弾く楽器で心地よい音を出す琴という意味である。俗に六弦琴と呼ばれている。>
  <ある日、大海の中から札木年を持った天女が現れ、弾きながら心を込めて舞った。>

更に調べていくと、語り部は楽器を持たないという記述もいくつか見つかった。
  <チベット族のジャンガと呼ばれる芸能には六弦琴が使われているが、歴史の長い「ケサル」はその影響を受けていない。>
  <伴奏を伴わない原始的な語りは独特な風格を見せている。>

  <モンゴルでは芸能が発達していて、ケサルを語る時も楽器を使う>という記述もあった。

では、何故楽器を使わないのか、という疑問は残っているのだが。

阿来は語り部と六弦琴を結びつけ、独自の美しいイメージを作り上げたのだ、というのが私のその時の結論だった。


こうやって調べていくうちに、少しずつ語り部の姿が私の中で形になってきた。
(帽子の問題その他、まだまだ考えなくてはならないことは多いが)

同時に、長年関わってきた監督の、ものを作る人としての鋭い目線に感動すると同時に、これからの道程の遥かさを思わされた。


そのきっかけとなった六弦琴。そこに阿来の目がいったことに、何か不思議な力を感じた。
阿来は実際に語り部が六弦琴を弾くのを「見た」のだろう。




その、阿来『ケサル王』の、語り部と六弦琴の美しい出会いの部分をご紹介したいと思います。
牧人だった若者ジンメイが語り部としての力を授かったばかりの旅の途中の出会いです。


             *****************


 ジンメイは一本の道しかない小さな村に着いた。村には六弦琴を作る老取った職人がいた。
 ジンメイが、人づてに聞いたその工房の庭に入っていった時、琴職人は出来たばかりの琴を試していた。
 貝のように丸い琴の空洞に息を吹きかけ、耳に近づけて注意深く音聞き取る。その顔には満足げな笑顔が浮かんでいた。
 
 彼は言った「さあ、試してみなさい」

 彼の弟子の一人が前に進み出て琴を受け取ろうとした。だが、琴職人は言った。
 「お前じゃない。あの男だ」

 彼は琴を直接入って来たばかりの男の前に差し出した。
 ジンメイは言った「いいのか?」

 老人は三人の弟子を見て言った。
 「これはとても出来の良い琴だ。わしが作った中で一番素晴らしい琴だ。今、これを受け取るべき者が来たのだ」

  ……

 「どうして分かったんです。親方は占い師でもないのに」
 親方は三人の弟子には構わず、ジンメイの方を向き、
 「持って行きなさい。お前は夢に見た様子そのままだ」
 「夢に見たんですか」
 「そう、神が見させたのだ。神は言った。お前の琴は一番ふさわしいものに出会う、と。そして言った。お前の琴作りの生涯は終わった、と。さあ、若い人、お前の琴を受け取りなさい」

  ……

 こうして語り部は自分の琴を手に入れた。
 三日後彼は琴によって語りに必要な拍子をとることが出来るようになった。
 歩いている時、神の使いが体を縮めて彼の耳の奥にしゃがんでリズムを打っているように感じた。その拍子にあわせて歩き、その拍子のとおり、大通りを得意揚々として歩く人々のように体を揺らせた。

 こうして歩くうちに、彼は突然理解した。
 水の動き、山の起伏にはもともと同じようなリズムがあることを。
 一つのリズムだけでなく、別のリズムもあった。
 風が揺るがす草の波、空では様々な鳥が様々なリズムで翼を鳴らしていた。

 より隠されたリズムを感じることも出来た。
 風が岩の空洞を通り過ぎる時、水が樹の中を昇っていく時、鉱脈が地下で伸びて行く時のリズム。

 彼は琴を操り、事も無げに、それらのリズムを真似していった。

 叔父の家のまだ青い実を付ける果樹で覆われた門の前に来た時には、すでにさまざまなリズムを繋ぎ合わせていた。
 いつの間にか、いつも耳の奥でリズムを刻んでいた神の使いも消え、彼の手の中の琴からこの長く古い歌のリズムが聞こえてくるようになった。

 軍の太鼓の掻き立てるようなリズム、馬の蹄の軽快なリズム、神が降りてくる時の憤怒の雷鳴、妖怪が鞭を鳴らしながら踊る時の稲妻…